· 

六然の教え


1.  事に臨んでは、自分に関する問題に一切とらわれてはいけない。

2.  人に対する時は、いつも  なごやかでいなさい。

3.  何か事が起これば、活気に満ちて  きびきびと処理しなさい。

4.  事がなければ、水のように  澄みきっていなさい。

5.  得意の時には、自慢などせずに  あっさりしていなさい。

6.  失意の時には、ばたばたせずに  ゆったりとしていなさい。



1. 自ら処すること、超然  自處超然   (自ら処すること、超然)

自分自身に関しては、一向にものに囚(とら)われず、恬淡(てんたん)としている。
人はよく見ているもので、モノに執着している人は、人が離れていく
他人の行状は自分を振り返ってみる格好の物差しである。
2. 人に接すること、藹然  處人藹然 (人に処すること、あいぜん)
藹(あい)とは草木が盛んに繁るさまをいうので、處人藹然とは、
人に接する時は、相手の気持ちが和らぎ、穏やかになるように心がける。
3. 有事の時には斬然       有事斬然   (有事の時には、ざんぜん) 
いったん事が起きればグズグズしないで、束ねたものをマサカリで
斬るように、一気呵成 (かせい) にやる。 
4. 無事の時には澄然     無事澄然   (無事の時には、ちょうぜん)
事がない場合には、静かな湖面のように澄み切っている。
私利私欲がないから 心が澄んでいる。
澄んでいるから融通無碍 (ゆうずうむげ) 動くことができるのだ。
5. 得意の時には澹然     得意澹然  (得意の時には、たんぜん)
澹というのは水がゆったりと揺れ動くさまをいう。
従って、得意絶頂のときこそ、逆に静かであっさりしていることが緊要だ。
そうすると足をすくわれることがない。
 『菜根譚(さいこんたん)』にも同じ趣旨の言葉がある。
    「成功、常に辛苦(しんく)の日にアリ。敗事、多く得意の時に因る」
     得意絶頂のときに、敗れ去る原因を作っていたのだ。
6. 失意の時には泰然     失意泰然   (失意の時には、たいぜん)
失意の時にはうろたえ、呆然となるのが人間の常だが、だからこそ逆に 泰然と構え、大所高所から眺めてみる。
すると、それまでは見えていなかったことに気づき、死地を脱することができる。
そこで意気消沈したらおしまいだ。


ご承知の方もおられるとは存じますが、六然(りくぜん)といいます。

 中国は明の時代、崔銑 (さいせん)という男,時の権力者・劉瑾(りゅうきん)に諫言するも投獄され,

    見舞った王陽明に語ったそうだ。   聞き手も,語り手も素晴らしかった。

 

 崔銑(さいせん/1478年-1541年)は、中国明時代の政治家、学者。
「崔後渠」(さいこうきょ)という異名でも知られており、教えをまとめた「六然」(りくぜん)という言葉は日本でも人生訓として伝えられている。
 
  このような「達人」の域にはまったく到達していないのが実情ですが、・・・。

   私が、大学の専門講義で初めて受けた授業・・・「六然」を黒板に大きく「板書」されたコトを今でも覚えています !

     この講義をされた方が、私の大学時代の恩師 (教授) の「弟子」= 助教授でした!!

以下、ご参考になれば 幸いです 




メール・BLOG の転送厳禁です!!  よろしくお願いします。 


コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    OGAWA@OTM研究所 (金曜日, 06 12月 2019 18:10)

    私の恩師は、技術の探究を通して、仏の教え〜宇宙・・・という「真理」の探究をする過程で、高僧などの知己を得て、色々学ばれながら、工学部長を経て退官された後に、「神主」の資格を取られた異色の方でした。超精密加工の加工法論として「創造型加工」を提唱し、既存の工作機械では対応できず、工場の持つ技術力で補うのが「超精密加工」であると説かれました。
    人間の能力として、因果関係が既知の科学の分野をはるかに超えた技能力があり、因果関係の未知な科学を超えた"非科学"な超能力分野が存在していて、例えば「工具の研削」「工作機械の調整」などには超技能力が存在しなければ、「超精密加工」はできないと力説されました。
    京セラ(当時、京都セラミック研究所)の稲盛さんや東芝総研の方など、著名な方々が恩師の研究室の門を叩かれたと専門課程に配属された際に、先輩方から聞かされていました。 
    恩師は「研磨(研削)技術」の権威で、この技術はICチップを製作するためのシリコーンウェーハーの研磨工程には不可欠でした。
    私が大阪大学の門を叩き、吹田の大阪大学の専門学部=工学部で最初の講義の折に、私の恩師の「弟子」である助教授が板書したのが、以下に記したものでした。
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspe/75/1/75_1_28/_pdf ←助教授の執筆記事
    これって、何処が「工学部」? と思いましたが、「六然」は、今でも不思議にずっと自分の胸に残っております。