2023.11.09
by 廣田信子『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』
普段見ているものも視点を変えると新たな気づきがあるもの。東京のタワーマンションを見上げて「資産価値」について考えている人も、高い場所からそのマンション群を見下ろすと、まったく違う感慨や思考が浮かんでくるようです。
一級建築士及びマンション管理士の廣田信子さんが、初めて高さ450mのスカイツリーの天望回廊からの眺めを見て感じ、考えたさまざまな思いを綴っています。
スカイツリーから見た眺めに不遜さを感じてしまった
こんにちは! 廣田信子です。
先日、東京スカイツリーの最上階の天望回廊(450m)まで行きました。
「え、今さら」と思われるでしょうが、今まで、急に運休になったり、あまりに混み過ぎていたりして乗れずに、実は、初めてだったのです。
私は、最上階からの眺めを見て、「きれい」とか、「すごい」とか思わずに、なぜか、怖い気持ちに襲われました。
こんなに広い範囲に密集して人がひしめいているのだということに対してです。
超高層ビルが並び、その他の地域も道路沿いは、ビルやマンションが建ち並び、その内側には、戸建て住戸や3、4階建ての建物が密集しています。
うすっぺらい地表にへばりつくように、多くの人が生活しているのです。
この東京周辺の地が、大地震や地球温暖化による洪水被害や海水面の上昇といったことに耐えられるのか…という気持に襲われました。
それは、長期的には絶望的に思えてしまいました。
展望デッキ(350m)まで降りると、その怖さがいくらか和らぎます。そこに人間の営みをかすかに感じるからです。
その後、友人と、30階のレストランで食事をしましたが、そこからの夕方から日が沈み夜になっていく景色は、それは美しいものでした。
この「怖さ」と「美しさ」の感覚の違いは何だろうと思いました。
天望回廊(450m)からの眺めは、天からの眺めに近く、私たちに、不遜さを教えているように思えました。
思えば、地球も大きな変動を体験し、大都市が一瞬で沈んでしまうようなことも何度もありました。その中で、生き延びた人たちが今の世の中をつくっているのです。
もう、集中するのは限界だと思え、中心地に人が集まる仕組みはやめたいと思いました。
大いなる存在は、大自然と共にあり、自然に大きく反することは、いずれ、終わりになる…そんなことを改めて思いました。
私たちは、今の都市の不遜さを忘れてはならないと深く思いました。
ITの発達により、人間は、1カ所に集まれなくてもより心豊かに暮らせるのです。
最近の中学生、高校生、若い人たちが、自分が役立っていること、喜んでもらえることがうれしいという思いで、行動している様子を見て感じます。
日本の一時の豊かさが、こういう子供たちを生む下地になったんだと思うと意味があります。
本当は、自宅マンションの不動産価値を云々言うのは、もうやめにしたいと思いました。
自分の住んでいる地域を、マンションを、より住み心地のいい場所にしたい…そういう気持ちがあれば、それでいいじゃないか…と。
高齢者の超高齢化も、そんな気持ちを後押ししてくれます。
現役時代は、マンションの資産価値を高らかに言っていた方が、高齢になられて、人の持つ信念や人を思う心に惹かれていく様子からも分かります。
私も、今、人の持つ心の温かさに惹かれます。そして、少しでも、地球温暖化を防止しようと思い、次の世代の人の温かさを育てようと思う人たちに心惹かれます。
ChatGPTのAIチャットサービスがどんなに発達しても短期的な損得、合理性とは違った人の心の動きまでは、つかめないのではないかと思います。
でも、そのうち、それも含めて理解できるAIが始動するのでしょうが。
自分たちの不遜さを思い、次の世代に、少しでも温かいものを残したいという気持ちが大事だと知らされました。
私には、東京スカイツリーの天望回廊(450m)から見た、あの怖さを感じた景色が忘れられません…。
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