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人手不足のブラック職場「官僚と教師」の共通点

夜まで明かりが灯る霞が関官庁街

「できないことはできない」と業務を手放すべき

土居 丈朗 : 慶應義塾大学 経済学部教授

2023年08月14日

87日、人事院の川本裕子総裁は岸田文雄首相に人事院勧告を手渡した。

その中で、「選択的週休3日制」の導入など多様な働き方ができる仕組みを打ち出した。国家公務員の「多忙化」や「過労」が、なり手不足を助長するとの見方が広がっており、それに歯止めをかけたい狙いがある。


重荷は国会対応、深夜の質問通告も

国会開会中に、与野党の国会議員から担当部局に問い合わせがあれば、それに即応しなければならない。

各省庁の大臣の国会答弁には、担当部局で答弁書を作成すべく事前準備に忙殺される。そして、野党からの質問通告が深夜になることもままある。これでは、自身の自由時間や家族との団らん時間も確保できない。

人事院が、国家公務員の過労に目を向けるなら、「週休3日制の導入」とかよりも、国会対応についての官僚の負担軽減について、もっと厳しく指摘して、目に余るものはやめさせるぐらいの勢いで勧告すべきだろう。

たとえ国会は国権の最高機関で、国会議員は主権者たる国民の信託を受けているとはいえ、目に余る過労を強いるようなことを国会に許してはいけない。ただ、原因は、官僚の働き方自体にもある。それは、業務の抱え込みすぎである。

確かに、少子高齢化も影響して、行政の役割が拡大している。高齢化が進むにつれ、医療や介護にまつわる行政の業務は年を追うごとに増えている。独居高齢者や空き家の対応も、民間では解決できずに行政に委ねられている

他方、これまで営んできた業務や事業は、容易に廃止することができず、ニーズが明らかに減っているものであっても、継続して実施していて、そこに行政職員が業務時間を割くことになる。

新たな業務が増える一方、必要性が低下した業務をやめられない。仕事を抱え込みすぎなのである。

それでいて、公務員の定数は、以前ほど減らさなくはなったが、業務量が増えるほどには増えていない。

これでは、国家公務員の多忙化には歯止めがかからない。人員に合わせて、抱える業務を適正化することが必要だ。

 

なり手不足なのだから、肥大化よりも適正化を

ただでさえ、過去の学術研究でも、洋の東西を問わず「官僚の肥大化」が指摘されているだけに、なおさらである。

官僚の肥大化とは、さまざまな機会や理由を捉えて、官僚が自らの権益を拡大しようとする様を指している。

今や、なり手不足に陥るほどに多忙化しているのだから、官僚の肥大化などと言ってはいられない。

なり手を確保するには、仕事量を適正化して、職場環境を改善しなければならない。

これは、霞が関だけで起きているわけではない。「教員不足」にも共通点が見られる

教員の多忙化も一因となって、そうした働き方が敬遠されなり手不足に陥っている。

教員の多忙化は、総授業時数の増加や中学校の部活動時間の増加、これまでにはなかったアクティブラーニングやデジタルデバイスへの対応などが理由として挙げられているが、それだけではない。

教員が学校にまつわる業務を抱え込みすぎていることも助長している。

東洋経済オンラインの拙稿「公立小中高・特別支援学校は2056人の『教員不足』」でも詳述したが、外部専門人材を教務で活用したり、地域住民と連携して教員の業務負担を軽減したりすることができる。しかし、それを積極的に進めていない学校が多い。

公立学校の教員も、新たな業務が増える一方、必要性が下がった業務をやめられない。

官僚も公立学校の教員も、公務員であるという共通点も、ここでは災いしている。つまり、税金で給料をもらっている点だ。

国民からすれば、税金を払っているのだから、求められた仕事はきちんとこなせ、と言いがちである。

だから、必要性が下がった業務をやめようと発案しても、国民が1人でも影響を受けるとなると、その業務をやめにくくなってしまう。しかし、官僚も公立学校の教員も人の子である。124時間しか与えられていないのは、官民ともに同じである。携われる業務には限りがある。

「公僕だからやって当然」の意識を変える

官僚も公立学校の教員も、必要性が下がった業務をやめたくないからやめないということもあるだろうが、やめたいのにやめられないというものも結構多い。ならば、公務員という立場ではあるけれども、「できないことはできない」ともっと正直に、国民に言うべきではないか。それは、相手が地域住民や保護者であっても、国会議員であっても、である。

度を超えた業務量になるから「できないことはできない」ときっぱりと言えれば、官僚や公立学校の教員の多忙化は緩和できる。もちろん、できない理由を関係者が納得できるよう説明する責任はある

国民の側も、官僚や公立学校の教員は、「公僕」なのだから「要求したことをして当然」という発想を変える必要が出てこよう。そうした国民の協力があってこそ、官僚や公立学校の教員が職掌を全うし、国民のために貢献してくれる。

目下、官民ともに人手不足であるから、国家公務員や教員のなり手不足を容易には解消できないかもしれない。

当然ながら、国家公務員や教員のなり手不足だけが解消しても、わが国全体の問題を解決したことにはならない。

しかし、国家公務員や教員のなり手が不足し続ければ、国民生活にも重要な支障をきたすだけに、早急に対策を講じてゆくことが求められる。

まずは、「できない業務はできない」と見極め、業務の抱え込みすぎを解消してゆくことから始めるべきである。 

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