若手官僚はなぜ辞めるのか
2022.5.31
鳴海 崇 /日経ビジネス記者
深夜残業の多いブラック職場、旧態依然とした年功序列型の組織、自己成長の実感が薄い――。悪評が定着した霞が関の不人気は深刻化し、応募者の減少傾向に歯止めがかからない。それでも官僚が今、そして未来の日本を支える頭脳集団であることに変わりない。
多岐にわたる関係者と調整し、課題を解決する力は、企業のイノベーションにとっても必要だ。司令塔の地盤沈下が進む国に未来はない。官僚の威信と魅力を取り戻す道を探る。
5月20日、いつにも増して静まり返る財務省を幹部が朝から駆け回っていた。未明に電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された。その後処理に追われていたのだ。
省内で「周囲に声を荒らげることはなく、仕事もそつなくこなす」(主税局関係者)と評されていた小野氏に何があったのか。
総括審議官は政府の経済財政諮問会議に絡む業務が多い。複数の関係者の話を総合すると、6月上旬に閣議決定される「骨太の方針」について、小野氏は財務省の意向を反映させるため自民党との調整に追われていた。
自民党には財政再建派の「財政健全化推進本部」(額賀福志郎本部長)と、積極財政派の「財政政策検討本部」(西田昌司本部長)がある。国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化する政府目標の取り扱いを巡って対立しているが、参院選を7月に控える今は、政局化を避けることで内々に合意していることで知られている。
財政健全化推進本部は5月19日、小野氏が作成したドラフトを基に官邸宛ての提言をまとめようとした。
しかし財政政策検討本部側に抵抗されて断念。結局、額賀本部長が預かって骨太の方針に押し込む流れになった。
機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲したとみられる。
*「出世しても潰れる」不安
財務省の中堅幹部はこう漏らした。
「いくら昇進レースで懸命に勝ち残っても、一寸先は闇ということだ。もちろん許される行為ではないが、霞が関の一員としてむなしいし、正直に言うと少なからず同情できる面もある」
今回の事件が霞が関に広げた波紋は、単なる「有力幹部の不祥事」レベルにとどまらない。
特に若いキャリア官僚の間では、「順調に出世して事務次官のポストが見えていても、強いストレスによって潰れてしまう」(総務省課長補佐)という捉え方にみられるように、自らの将来を不安視する向きが強まっている。
働くステージとして、霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。
21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。
22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない。
中央省庁は国政の基盤を作る役割を担うだけに、もともと「働きがい」ならどの職種にも勝るとも劣らないはずだ。 しかし過酷な残業が、それを打ち消してしまう。
* 3割が「過労死ライン」
内閣人事局が20年秋に国家公務員約5万人の働き方を調べたところ、20代のキャリア官僚の3割が「過労死ライン」とされる月80時間を超える残業をこなしていた。
19年4月施行の改正労働基準法で、民間企業の時間外労働時間は原則として1カ月当たり45時間以内、特別条項が適用されると1カ月100時間未満、複数にわたる月平均は80時間以内と定められた。
国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。
首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。
本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない。
「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」
ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする。
経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。
「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織 に失望した。
若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう。
* 忙しくても報酬は少ない
日本の国家公務員は、諸外国と比べて仕事量が多いのに、もらえる報酬は少ない。
大阪大学大学院法学研究科の北村亘教授が経済協力開発機構(OECD)のデータを基に試算したところ、政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。
国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。
北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。
一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった(グラフを参照)。
北村教授は「予算が膨張する一方で職員の定数が減らされ続けているため、国家公務員の業務は量が増えつつ複雑・高度化している」と指摘。
「国家公務員の志願者がさらに減れば質の確保が難しくなり、人数以上の仕事を処理できなくなる」と警鐘を鳴らす。
* 極端に減った「ボトムアップ」
霞が関OBも、キャリア官僚の業務スタイルが変わったのを感じ取っている。
1993年に通商産業省(現経産省)に入った古谷元さんは、当時を「霞が関が日本を動かしているという自負が強かった」と振り返る。省内にさまざまな人が出入りし、あらゆる先進的な情報が自分の机に座っていれば得られた。
夜は仲間と政策を議論し、固まったものが1年たった頃に実現していく。そんなダイナミズムがあった。
シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。
経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。
ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。
代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。
「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた。
* 東大生は「コンサルか商社」
霞が関の地盤沈下は、エリート層が敬遠するようになった現実とも無関係ではないだろう。
象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。
キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した。
法学部2年の男子生徒は「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている。キャリア官僚も悪くないが、やはり労働環境の悪さがネックになる」と明かす。
「霞が関に入ることを家族に相談したが、全力で止められた」と笑うのは、法学部3年の男子生徒だ。
大手IT幹部の父親は、データを示しながら「年収が低いし、下積みの期間が長くて効率が悪い。大企業を目指すか、コンサルで経験を積んで起業すべきだ」と説得したという。
21年は法案や条約の関連文書に多数の誤記が見つかり、組織の劣化が懸念された霞が関。
このまま自滅するわけにはいかない──。危機感を高めた霞が関は今、モデルチェンジを急いでいる。
出所 : 日経ビジネス
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