台湾に好例「GAFAに独占されぬネット空間」作る術


第2回は「SNSとジャーナリズム」について。

 

 自由で安全に意見交換できる公共の場が必要だ

堤 未果 : 国際ジャーナリスト / オードリー・タン : 台湾デジタル担当政務委員

2022年05月18日

 台湾のソーシャルメディアは日本と意味が異なる

堤:今世界では、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)のようなビッグテックのプラットフォームが、

事実上情報の独占権を握ってしまったことが問題になっています。ソーシャルメディア事業者による言論統制も進んでいて、例えばツイッターの投稿が、本人も知らないところで、ほかのユーザーに見えないようにされていたり……。

 

タン:ああ、わかります。それは「シャドーバンニング」と呼ばれるテクニックですよ。

ところでミカの言う「ソーシャルメディア」とは、1つのカテゴリーとしてのですか? それとも、ツイッターとフェイスブックだけ? 

 

堤:ツイッターやフェイスブックのような、商業版SNSの話です。

 

タン:よくわかりました。

それを聞いた理由は、私たちの活動におけるソーシャルメディアは、そうしたものとまったく目的が異なるからです。

台湾の人々は、そういうSNSではなく、ソーシャルセクター版のSNSで、政治や行政について話し合うのが好きなんです。

 例えばPTT(台湾の最大規模のオンラインコミュニティー)というSNSは、完全にオープンソース、100パーセント非営利で共同運営されているんですが、これができるのは学生たちが25年以上もの間、大切に続けてきたプロジェクトだからです。

 運営費のほとんどは、行政院国家科学委員会(現:行政院科技部)の助成金で賄われています。つまり、台湾で「ソーシャルメディア」という場合、それは社会的セクターや、ボランティアが管理・運営を行う共同メディアのことを意味するわけです。

 もちろん台湾にも趣味のためにフェイスブックを使っている人はいますが、とくに行政サービスに関することになると、まったくメジャーではありません。 政策請願書を出したり、参加型予算編成に意見を言ったり、総統杯ハッカソン(公共政策のアイデアをプレゼンする大会)へ投票したいとき、台湾の市民は、政府が管理する公共のデジタル空間を利用するからです。

これらのインフラは、GAFAにまったく独占されていません。つまりこれが、公共インフラや市民インフラへの投資が、社会にもたらす変化なのです。

 もし市民に与えられた選択肢が、娯楽施設のナイトクラブ――大音量の音楽、煙が充満した部屋、警備員がいてアルコールや広告に満ちた場所――だけだったらどうでしょう?厳密に言うと、それは娯楽施設の問題ではないし、私は、娯楽施設そのものは大いに尊敬しているんですけどね……。

 

堤:大いに尊敬(笑)。いやでも、その話はぎくりとさせられますね。

自由に意見を交わし合う場があれば、人々はちゃんと政治に参加する。それを台湾が証明している以上、私たちはフェイスブックやツイッターのアルゴリズム検閲だけに責任を被せて、文句ばかり言っていられません。

つまり重要なのは、実施する「方法」ではなく、実施する「場所」だと。

 

タン:まさにおっしゃるとおりです。どの区域かも重要ですよね。

人は何かを学びたければキャンパスに行きますし、読書会か何かを開きたければ公立図書館に行くでしょう。

でも、娯楽施設のラウンジとダンスクラブしかなかったら、それは選択肢ではありません。

 

堤:やはりここでもまた、「選択肢」がキーワード。

GAFAに独占されない公共の場を作ることは、今後どの国にとっても、民主主義を持続可能にする公共投資として、予算に組み込む必要がありますね。

 

 タン:同感です、とても重要なことですね。

 

物理的な公共空間が年々減っている日本への危機感

堤:「公共空間の消滅」は、私がデジタル化以前から危機感を感じて、取材、発信してきたテーマの1つでした。

1980年代以降、日本ではコスト削減と効率化を中心にあらゆる政策が進められたシワ寄せで、公立図書館や公園、公民館など、物理的な公共空間が年々少なくなっているからです。 

じゃあフェイスブックやツイッターのようなSNSが代わりになるかと言えば、見えないアルゴリズム検閲やフィルターバブル、異なる意見への誹謗中傷への心配などがあり、やはり本来の自由で安全な意見交換の場とは、とてもいえません。 

タン:言えないですね。

だからこそ私たちは今まさに、市民をそういう心配から解放する、安全な場を設計している最中なんです。

 

堤:私は社会をデジタル化するときに一番大事なことは、「公共」の精神を中心におくことだと思っています。 

今、各国がデジタル化を進めていますが、ビジネス論理だけで行政サービスをデジタル化した結果、弱者切り捨てが加速したアメリカの失敗例や、公益にこだわる設計で人々の満足度を高めている台湾の成功例など、つくづくテクノロジーは、使う側の思想が、結果を決めていることを感じます。だから日本も焦らずに、世界のいろいろな事例をよく見たうえで、人々を本当に幸福にするデジタル民主主義を入れていきたいです。 

ところで、あなたのようなシビックハッカーは、公式記録や元の一次情報の取得が本当に速いですね。私は調査ジャーナリストなので、つねに元データである一次情報を探しますが、ものによっては結構時間がかかるんです。そんな中で、最近自分の仕事の原点を意識して思い出さなければならない瞬間が増えています。 

あらゆる物事のスピードがどんどん速くなるこのデジタル時代に、オードリー(・タン氏)、あなたが考える「ジャーナリズムの役割」とは何でしょうか。

 

タン:ジャーナリズムは、偽情報の危機、すなわちインフォデミックに関して、パンデミックなどの疫学的状況における

公衆衛生と同じ役割を果たしていると思います。ジャーナリズムの実務であるファクトチェック、視点の提供、偏った見方の調整といったことはすべて、手洗いやマスクの着用などと同じような役割を持つのではないでしょうか。

 

ジャーナリズムとは「精神衛生」

タン:ミカ(堤)のようなジャーナリストが実践していることを皆が日々の習慣にできたら、心のウイルス、つまり根も葉も

ないイデオロギーから生まれた陰謀論に感染することはないでしょう。つまりジャーナリズムとは、「精神衛生」なのです。

 しかし、だからと言って、すべての人を偽情報から守るための門番をおこうとするのは、時代遅れの発想なんです。

今は誰もがスマートフォンという自分専用のメディアがありますし、すべての人々の門に門番をおくなんて、現実的に不可能ですから。 

 

堤:しかも昔と違って、今は誰もが情報の受け手だけでなく、発信する側でもある。

 

 タン:そのとおり。今はどのシビックハッカーやシチズン・サイエンティストも、情報を発信する、スマートフォンという

「武器」を持っています。YouTubeでライブストリーミングを始めて、彼ら自身が放送局になっている。

そこには彼らを手伝う門番も、編集者も、ファクトチェッカーもいません。

 

堤:必要なのは厳格な門番ではなく、質の高いコンピテンシー(知識や技能を超えた、社会の発展や全ての人にとって重要な

課題に対応する能力)ですね。

 

タン:ええ、まさに。私たちがここで望むべきことは、プラットフォームの選択肢をなくしたり、ライブストリーミング機能

を持つ携帯電話を取り上げたりすることではない。そもそもロックダウンをしない台湾で、そんなことはできません。

 でも、移動の自由を認める以上、手をしっかり洗うこと、ワクチン接種を受けること、マスクを着用することの重要性を、すべての人に確実に理解してほしい。つまり「ジャーナリズム」が、ライブストリーミング・アカウントを持つすべての人にとっての「常識」になる必要があるのです。

それが、台湾がメディアリテラシーだけでなく、メディアコンピテンスを、基本教育の中で教えている理由なのです。

 昨今、ミカのやっているようなジャーナリズムは、非常に重要な役割を果たしていると思います。願わくばすべての人に、ジャーナリズムの参加者になってほしい。そうすればすべてのシビックハッカーが、社会のために自分の力を有効に使えるようになるからです。

 

堤:とても励まされる言葉を、ありがとうございます。

オードリーが今言ったことは、デジタルが情報のスピードと質をドラスティックに変えるこの時代を生きる、すべてのジャーナリストにとっての勇気になるでしょう。 人々が情報を得る場所がネット空間に移ったことで、私たちプロのジャーナリストは、新しいジレンマに直面しています。紙媒体と違い、デジタル記事の評価基準は、質よりもスピードとクリック数になりました。

ほかの人より速くて、オンラインにいるユーザーが反射的にクリックしたくなる、センセーショナルな見出しのものばかりが増えてゆくのはそのためです。

 でもそこにとらわれていると、良質な調査報道のための十分な時間がとれません。各国のジャーナリストたちとオンラインや電話で話すと、いつもこの話になります。いったいどうしたら、民主主義社会に不可欠な、調査報道という公共財産を維持していけるだろう、と。

 

タン:確かに、広告収入がベースの仕事をするなら、当然広告ペースに合わせなければなりませんね。 

そうした仕事はミカの言うとおり、かなりスピードが速いうえに、小さな画面でどれだけのインパクトを与えられるかが重視されます。受け手が記事を読む画面はスマホですから、長文記事も必要ない。あの小さな画面に長文は向かないからです。こうしたことのすべてが、ジャーナリズムの質を維持することを難しくしているというのは、よくわかります。

 

広告収入を取らない調査報道もある

タン:一方で、台湾で最も優れた調査報道の中には、広告収入をまったく取らないものもありますよ。

クラウドファンディングやサブスクリプション、ソーシャルセクターから資金を得ているのです。 これはつまり、人々が質の高い調査報道を入手するために、進んでお金を出しているということです。調査ジャーナリストの側も、広告ペースに合わせるプレッシャーから解放されます。

 

堤:それはウィンウィンの関係ですね。

広告主の呪縛から開放されることは、間違いなくジャーナリズムの質を高めるでしょう。

 

タン:ええ、おっしゃるとおりです。

実際、過去数年の台湾の調査報道賞を見ると、その多くが非営利で執筆活動をしている調査ジャーナリストに贈られていますね。 

 

堤:個人の寄付によるものだけでなく、営利でないソーシャルセクターが資金源という形態も、調査報道の支え方として有効ですね。 

 

タン:はい、まさにそこが重要なポイントです。

ソーシャルセクターが資金提供する非営利活動は、調査報道にとって、とても有用です。私は入閣前、台湾のデジタルメディア「報道者(The Reporter)」の読者であり、寄稿者でもありました。 ここは広告をまったくとっていませんが、本当に優れた調査報道をしていますよ。彼らが望んでいるのは、読者が調査ジャーナリストになってくれることなんです。

 

堤:オードリーと話しているうちに、質の高い仕事をする世界中の調査ジャーナリストが、デジタル技術によって

つながり合う未来の光景が浮かんできました。 今多くの人が、テレビも新聞も信用できないと言ってスマホに張りついていますが、優れた調査報道はデジタル民主主義になくてはならない宝物、何としても守らねばなりません。公益のために真実を届けるという使命感を持って、心から誠実な仕事をする、そんな素晴らしいジャーナリストが、本当に、各国に大勢いるんですよ。

 

タン:そうでしょう。ミカと話していても、そのことがよくわかります。

確か「報道者」では、この小さなスペースにとどまらない仕事のやり方も見つけようとしていますよ。例えばポッドキャスト形式、これなら、長文の形をとりやすくなるでしょう?

 

堤:確かに、ポッドキャストなら長文OKですね。これからは発信側も工夫しなければなりません。 

音声は映像と違って深く考えられる余地をくれるので、私はラジオが大好きなんです。

取材したことを丁寧に伝えるために、今地方のラジオ番組や幾つかの地方紙で連載を続けています。

それから高速のヘッドラインでなく、濃い情報にゆっくり触れて深く理解したい人も多いので、そういう人たちのために、会員制の動画番組もやっています。

 

タン:そうですか!どれもとてもいい発信方法ですね。

 

情報は「どこから」より「誰から」手に入れるか

堤:台湾は、ある意味「デジタル民主主義」の実験国家のような存在ですから、そこでソーシャルセクターや市民が支える

調査報道が活気づいているというのは私たち皆にとって大いに朗報です。

デジタル化する社会が優れたコンピテンシーを必要とするように、人々が上質なジャーナリズムを強く求める時代が必ず来るでしょう。スマホ空間が中心になる程に、結局のところ、情報はどこで手に入れるかでなく、誰から手に入れるか、になってゆきますから。 

そのあたり台湾ではどうですか。そうやって花開いている市民ジャーナリズム、つまり市民セクターからの情報は、通常のテレビや政府からの情報よりも、人々に信頼されているのでしょうか。

 

タン:もちろんです。

誰でも、自分自身が参加していたり、身近な人や友人、家族が参加していたりすれば、その情報を信用するでしょう? これが、シチズン・サイエンスやシビックテックの重要な約束事なのです。

 もしそこにある情報が気に入らなければ、自分で参加して改善できる。こうした市民型システムに参加したがる人の多くが、自分の信念や考えを提案したり、自分のやり方で社会に貢献したりできるこの形態のメリットに、気づき始めています。

 例えば台湾には、学校やベランダでPM2.5を測定している市民がたくさんいますが、こうした個人の問題意識が、大気汚染反対パレードへとつながり、実際に台湾の環境政策を変えることになりました。

 また、浄水装置を使って水質や汚染物質を測定し、工場の汚染物質封じ込め対策が農地で機能しているかどうか分析している人もいます。その結果、新竹市で用水路の機能変更を求める住民投票が最近行われました。台湾では、今や参加型ジャーナリズムやシビックテックが、市民が日常的に何か不正や不具合に気づいた時、それを良い方向に正すための正当な手段の1つと考えられています。 

 

堤:これもまた、すごくいいお話ですね。

たとえどんな小さな変化でも、自分が動いて関わったことで社会が前よりよくなったら、その達成感と自己肯定感は何物にも代えがたい宝物になるでしょう。想像するだけで、私までワクワクしてきます。それを気軽にできる市民参加型のインフラを作るためにテクノロジーを使う、これも、〈デジタル民主主義〉の素晴らしい実例の1つですね。


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