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プーチンが主張する「大義」とは


2022.03.30

 by 高野孟

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を報じる西側諸国のメディアは、プーチン大統領による蛮行を非難する色が濃く、善悪わかりやすい構図を作り上げました。今現在起きていることは明白な侵略でも、その背景を理解することで捉え方が変わってくると伝えるのは、ジャーナリストの高野孟さん。2月1日掲載の記事で、2014年のロシアによるクリミア併合がなぜ起こったか、ソ連崩壊から20年余りの物差しで綴った高野さんは、さらに遡ってソ連邦が誕生した100年前からの物差しを用意し、プーチンが軍事行動を決断した理由ついて想像してみることの大切さを説いています。



* 歴史の物差しの当て方で視点が変わる ウクライナ情勢を理解するための「頭の体操」

 ロシアのウクライナ軍事侵攻から1カ月が過ぎた。

その最初の1週間ほど、例えばNHK毎回のニュースのトップに必ずこれを取り上げプーチンが「突然」「一方的に」「侵略」を開始したと、同じ文言を執拗に繰り返し、彼がいかに悪逆非道の無法者であるかの印象を全国民に植え付けるのに大いに貢献した。

 

 「侵略」には違いないとして

 確かに現在のウクライナは歴とした独立国であり、その国境を踏み越えて軍隊を送り込んだロシアの行いは明明白白の侵略である。そんな国際社会の常識のイロハも無視するとは「きっとプーチンは頭がおかしくなったに違いない」というのが西側に多い解釈で、そこで狂ったような侵略者というヒトラーのイメージとの重ね合わせも説得力を増す。

それに対してプーチンが「そんな単純な話ではないんだよ」と、改めて内外にウクライナという国のそもそもの成り立ちから説明を試みたのが、2月21日の彼のビデオ・メッセージであり、さらに遡れば、21年7月の論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」である。

論文On the Historical Unity of Russians and Ukrainians – Wikisource, the free online library(クレムリン発表の英語原文のウィキソースによるミラー)

ウクライナに限らず、旧ソ連を構成した16の共和国はいずれも、1917年の革命後にレーニンとスターリンが葛藤しつつも作り上げた、言わば人工的な擬似国家である。旧ソ連全体が共産党の一党独裁を骨格とした強固な中央集権体制であるにもかかわらず、各地の民族独立派をなだめて従わせるために形ばかりの主権国家の体裁を与えるという、プーチンに言わせれば「狂気の沙汰」の奇型的な連邦制度が生まれた。

プーチンはこの中で触れてはいないが、1945年の国連創設に当たって、旧ソ連のうちロシア、ウクライナ、ベラルーシの3国が原加盟国となるというのは全く訳の分からない話で、当初旧ソ連は連邦下の16共和国を加盟させようとしたが、米国に「それなら我が国は49の州をすべて加盟させるぞ」と凄まれて、「では3国だけでいいや」と引き下がった結果だという。

しかし、なぜこの3国なのかと言えば、特にロシア人が「東スラブの3兄弟」こそが旧ソ連の中核でなければならないというこだわりを抱いているからという、全く非合理的な理由しか見当たらない。出鱈目なのである。

 

 ロシアとウクライナの100年の因縁

だから、ウクライナとの国境などあってなきが如きもので、侵しても構わないとまでは言っていないが、国内にはたくさんのロシア系住民も長年暮らしてきたこの他国だと思ったことはないと主張している訳である。もちろん勝手な言い分で、例えば元駐ウクライナ大使で『物語ウクライナの歴史』(中公新書)の著者=黒川祐次は、プーチンが「自分に都合のいいところだけをとってストーリーをつくっている」と批判している(毎日新聞3月23日付)。

いずれにしても、ウクライナが初めて全き主権を得たのは1991年の旧ソ連解体で独立を果たしてからであり、それから30年余という短い歴史の物差しを当てれば「明明白白の侵略」で話は終わって、「だからプーチンが悪い」という結論にすぐに行き着くことになる。

それに対してプーチンが持ち出してくるのは1922年の旧ソ連憲法から今年でちょうど100年という長い歴史の物差しであり、それを「何を弁解がましくゴチャゴチャ言ってるんだ」と切って捨てるのは簡単だろうけれど、そこで一旦我慢して、プーチンの目からは今のウクライナの事態がどう見えているのかに想像力を伸ばしてみるのが大事だろう。

それが即自化の罠を逃れて対自化された意識を獲得する方法の1つである。                                               『高野孟のTHE JOURNAL』


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