世界に遅れる科学技術「退国」ニッポンの深刻度


岸田政権が掲げる「成長戦略の第一の柱」の課題

奥田 貫 : 東洋経済 記者

2022年03月17日

「成長戦略の第一の柱は、科学技術立国の実現だ」

  2021年10月8日、岸田文雄首相は、就任後初の所信表明演説でそう述べた。そのための施策として科学技術分野の人材育成の促進や、10兆円規模の大学ファンドを創設して世界最高水準の研究大学の形成を目指す考えを表明した。

立国――。広辞苑には「ある基本的な計画や方針によって国家の存立・繁栄をはかること」と記されている。

現代において国家の繁栄とは、主に経済的な発展を指すだろう。 


* 日本の科学技術は「質」も「量」も低迷

ところが日本の科学技術力は目下、世界の中での相対的な位置において、上昇するどころか下降の一途をたどっている。

科学技術の向上が「立国」につながるのであれば、現在の科学技術の低迷は、逆に経済成長を鈍化させる「退国」につながることになる。 

科学技術力を示す主要指標のうち、質を示すものとして重要視されているのが、「トップ10%論文」だ。

ほかの論文に引用された回数が各分野、各年で上位10%に入る、影響力の大きな論文の数を指す。

文部科学省の発表によると、そのトップ10%論文数の最新の調査期間(2017~2019年の3年間平均)で日本は、主要7カ国(G7)の中で、最下位の10位に沈んだ。2000年代半ばまでは4位前後をキープしていたが、以降はランクダウンを続けている。

また、日本の学術論文の総数自体も、2004年頃をピークに減少傾向になっている。日本は科学技術力において、質でも量でも苦戦しているのが実情だ。


では実際に、科学技術力の向上は経済発展にどうつながるのか

鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康氏は、「科学技術力を示す主要指標と各国の経済成長には相関性がある」と指摘する。

豊田氏がエッセンシャル・サイエンス・インディケーターズ(学術論文などのデータに基づいた研究業績に関する統計情報と、研究の動向データを集積したデータベース)のデータを、クラリベイト社の分析ツールを用いて調査したところ、人口当たりの論文数が多い国ほど、人口当たりの国内総生産(GDP)も高くなりやすく、反対に論文数が少ない国ほどGDPも低くなりやすい傾向が出た。

豊田氏の分析では、2019年~2021年の3カ年平均の人口100万人当たりの学術論文数で日本は36位。

国際通貨基金(IMF)のデータによると、2020年の日本の1人当たり名目GDPは24位にとどまっている。一方、学術論文数でベスト10に入るスイス、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、豪州、シンガポールは、2020年の1人当たり名目GDPでいずれもベスト10入りしている。

もっとも、論文数と名目GDPの相関が直ちに、「論文数がGDPを押し上げる」ことを示すものではない。卵が先か鶏が先かのように、「GDPが高いから税収も上がり、税収が上がるから研究開発投資が増え、その結果として論文数が増えるという逆の面もある」(豊田氏)。

 さまざまなデータの相関分析をした結果として、豊田氏はGDPと論文数などの重要科学指標は、相互に影響していると見ている。どちらかが上がれば、もう一方にもプラスの影響が出て、数値が上がるという流れだ。

豊田氏は「先行研究の結果などを見ても、(双方の指標で上位に入る国は)そういう好循環で回っていると考えるのが、最も説明がつく」と話す。

 * 世界競争力ランキングで日本は30番台

スイスのローザンヌに拠点を置く有力ビジネススクール、国際経営開発研究所(IMD)による世界競争力ランキングの上位国も、豊田氏がまとめた人口当たりの論文数の上位国と類似している。このランキングは、IMDの調査部が、各国の経済状況、ビジネスの効率性、政府の効率性、インフラに関するさまざまな項目の評価を行ったうえで毎年、総合順位をつけているものだ。

2021年の世界競争力ランキングで1~6位の スイス、スウェーデン、デンマーク、オランダ、シンガポール、ノルウェー は、豊田氏の調査による2020年の人口当たり論文数の順位でいずれも10位以内に入っている。 

一方、日本はどちらの順位も30番台だ。

世界の中での日本の科学技術力の相対的な地位低下と経済成長の停滞は、負の連鎖になっている可能性がある。第一の成長戦略に「科学技術立国」を掲げた政府は、国家の科学技術力と経済成長の関係性について、どのように考えているのか。

日本の科学技術イノベーション政策の基本的な方向性を定めている、内閣府の「第6期科学技術・イノベーション基本計画」(2021~2025年度の5カ年)の中には、経済的な効果に関する具体的な記述は出てこない。

内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官の生田知子氏は「科学技術の主要指標がGDPにどう影響するか、(文部科学省直轄の)NISTEP(科学技術・学術政策研究所)が分析しようとしたことがある。

ただ、とくに基礎研究になるほど(研究成果と経済効果の間の)タイムラグが出てしまうので、数字的なエビデンスを出すのは難しい」と明かしつつ、「国の経済成長には間違いなく寄与していると思っている」と話す。

 

 第6期基本計画に書かれている期間中の目標には、「2021年度から2025 年度までの官⺠合わせた研究開発投資を総額で約120兆円」「40歳未満の⼤学本務教員の数を基本計画期間中に1割増加させる」「2025年度までに、⽣活費相当額を受給する博⼠後期課程学⽣を従来の3倍に増加させる」といったものが並ぶ。

だが、これらはあくまでも科学技術力を引き上げるためのプロセスにすぎない。 

政策において重要なのはインプット(予算をどれだけ使ったか)、アウトプット(どんな事業をどれだけしたのか)ではなく、アウトカム(成果)だ。

第6期基本計画の中で定量的な記述があるのはインプットやアウトプットばかりで、肝心の科学技術指標におけるアウトカムの目標が欠落している。

アウトカムなくして、適切なアウトプットやインプットを決められるかは疑問だ。

* 以前は定量的な目標が掲げられていた

科学技術力を示す主要指標に関する記述では、かろうじて、トップ10%論⽂の数と、総論⽂数に占めるトップ10%論文の本数や割合を研究力強化の「参考指標」にすると書かれている程度で、そこには具体的な数字はない

その前の第5期基本計画(2016~2020年度の5カ年)では「総論⽂数を増やしつつ、トップ10%論⽂数の割合を10%にする」などと定量的な目標が記されていた

また、政府が基本計画とは別に2013年に策定した日本再興戦略の中では「2023年までに、世界大学ランキングのトップ100に10校以上入れる」という目標を打ち出していた。

だが、トップ10%論文の割合は伸び悩み、8%台で停滞。その結果、上述通り世界でのトップ10パーセント論文の本数の順位は10位に転落した。

2021年に発表された、イギリスの教育専門紙による世界大学ランキングでは、東京大学(35位)、京都大学(61位)の2校が100位以内に入るのみ。

ほかの大学は200位以内にもランクインしていない。目標達成は非現実的で、事実上すでに立ち消えの状態だ。

第6期基本計画の目標で、科学技術力を示す主要指標の定量的な目標を示さなかった理由について、内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官の樋本諭氏は「例えばトップ10%論文の数値目標をつくると、(研究者が)そっちばかりに行ってしまう。だが、科学技術では論文にはならないような産学連携の共同研究も大事だ。そこに乗り遅れれば日本はますます落ちていってしまう」と語る。

適切なプロセスは、その先の成果目標が定まっていてこそ決められる面がある。

その成果が、国家の経済的な成長への貢献も含めてどんなバリューを持つのという論拠がなければ、バックキャスティング(未来の目標から逆算して施策を考える思考)でプロセスの中身や費用が適切なのかを見極めることができない。そのような状態で科学技術への適正な予算を算出するのは困難だ。

 

* 科学技術力復活のシナリオをクリアに示せていない

この点について、財務省主計官(文部科学省担当)の有利浩一郎氏は、「研究の質が不十分なのは、資金の問題というよりは国際化が足りないという問題があると思っているが、すでに多額の科学技術予算を計上している中、研究の質を向上させるためには いま何が足りなくて、何をやればいいのか ということを把握することがまず必要。予算を要求してくる方々にはそれをきちんと分析して持ってきてほしい」と話す。 

「成長戦略の第一の柱」と言えば聞こえはいいが、日本の科学技術力はそれ以前に「下げ止め」を図るための立て直しが急務というのが現在地だ。

しかも、所管省庁の内閣府や文部科学省は、科学技術力の復活へのシナリオをクリアに示せていない。

具体的な成果目標なき暗夜行路の先に光は指すのか。今はまったく見通せない。

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