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渋沢栄一の玄孫が大河ドラマ「青天を衝け」の第一印象

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。

 昨日12/26に、大河ドラマ「青天を衝け」が最終回を終えました。去年、若手俳優の吉沢亮さんが主役になるというニュースで受けた第一印象は「あり得ない」でした。あまりにもイケメンで渋沢栄一と全く似ていない。ただ、一年間を通して、吉沢さんの熱い演技によりイメージが馴染んできて、これから毎週「渋沢栄一」とテレビ画面で会えないことに、ちょっと寂しい想いがします。

◆しぶさわ・けん シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役、コモンズ投信株式会社取締役会長。経済同友会幹事、UNDP SDG Impact 企画運営委員会委員、東京大学総長室アドバイザー、成蹊大学客員教授、等。渋沢栄一の玄孫。幼少期から大学卒業まで米国育ち、40歳に独立したときに栄一の思想と出会う。



  台本も見事でした。脚本家の大森美香さんは渋沢栄一に関する資料をかなり読み込んだということが、ストーリーの展開からわかります。  ☞ 作り上げた「栄一年表」はなんとA4で270ページ!(読み込んだ資料はダンボール14箱分)

 渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市に住んでいた豪農の家の子で、幼いころから農業と商売をしながら育った。青年時代は幕末の混乱の中で尊王攘夷思想に熱中するようになり、その後縁あって一橋家に仕え、最後の将軍・徳川慶喜に認められた。慶喜が将軍になると、その弟・昭武に従いパリ万博使節団として海を渡った。そして、フランスで市場経済の勢いを目の当たりにし、帰国後は明治政府に入り郵便制度や銀行の設立などに尽力した。

 栄一は商業を発展させる一方で、論語の教えを指針とし「道徳経済」を掲げていた。「人の世は経済だけではだめで、道徳や仁がなければ成り立たないということは当たり前なのですが、私たちはどうしても『お金がないと生きていけないよね』ということが先に立ってしまう。あくまでお金はツールなのに、ツールのために動いているところがありますよね。しかも、今の時代、その流れが進んでしまっているような気がします」

 

私が考えている渋沢栄一の大事なシーンは、ほぼ全て、ドラマで登場していました。

 栄一が若い頃の激動の時代を主に描くドラマになると思っていましたが、コロナ禍やオリンピック開催で放映回数が少なかったことにも関わらず、栄一の明治維新以降の実業家として、また晩年の功績まできちんと描いていただいたことはうれしい展開でした。

 また、「お、そこまで見せるのか」というシーンもいくつかありました。

偉人渋沢栄一の人間っぽいところも紹介してくれたので、視聴者からの親しみが高まったのではないでしょうか。

 もちろんドラマですから、演技がちょっと大げさなシーン、あるいは、その時に、そのような感じで、その人との関わりはなかったんじゃないかという場面もありましたが、大変楽しませていただいた一年であり、多くの関係者の皆様に感謝を示します。

 しかし、改めて考えてみると、現在の令和日本において明治の実業家であった渋沢栄一が大河ドラマや新一万円札の肖像など、なぜ世間からこれほど関心を寄せているのでしょうか。

 私は、その理由に現在の社会の激変が関係しているのではないかと考えています。

インターネットやAIなど新たな技術の台頭により、我々の生活や仕事が激変しています。もちろん栄一の時代にインターネットやAIは存在していません。ただ、栄一が生まれた1840年は江戸時代の末期であり、第二次産業革命による当時の新しい技術の台頭世界が激変していた時代背景がありました

 例えば、鉄鋼の生産技術の発展により機関車の線路を安価に敷くことができて、それまで考えられなかった規模のモノや人を陸路で移動できるようになっていました。

このような当時の技術展開で、交易の面でも、生活の面でも、大きなゲームチェンジがあった時代です。

 20代後半の時に渋沢栄一は明治維新、日本のグレートリセットを迎えて明治、大正、昭和というニューノーマルの時代において数多くの功績を築きました。そんな渋沢栄一は、どのような心構えや生きざまで社会変革に適応したのか、また、その変化の一歩二歩、先に歩んで新しい時代を導くことができたのか。

 渋沢栄一が残してくれた言葉を通じて、その思想は我々が現在の時代の変化においても活用できると考えます。

この「イノベーション」のマインドセットが渋沢栄一の魅力ではないでしょうか。

 しかしながら一方で、人間は変化を避ける傾向もあります。今までやって来たことが変わることで、我々は不安を抱くからです。したがって、もうひとつの渋沢栄一の魅力の側面があると思っています。それは、どのような時代でも通じる普遍性です。

 その普遍性が、道徳でありましょう。

どの時代でも、どのような技術で世の中が激変しても、人と人の間で通じるものが求められます。

 渋沢栄一は唱えました。「ぜひ一つ守らなければならぬことは、前述べた商業道徳である。約すればの一字である。」(【論語と算盤】道理ある希望を持て)

 インターネットやAIなど新しい時代の新しい技術が生活や仕事のあり方を変化させているからこそ、信用や信頼の必要性が増すのです。ただ、道徳と商業、つまり「論語」と「算盤」は一見相容れない関係性に見えます。

道徳的な人物は金儲けなんて考えては駄目ですし、商業が慈善活動になってしまうと金儲けができない。

 しかし、栄一は「論語か算盤」ではなく、「論語算盤」を貫いた人生を送ったのです。

それは、偉人渋沢栄一だから相容れない関係性を合わせることができたのでしょうか。

 いや、そもそも日本人は相容れない関係性を合わる「と」の力の感性が豊富だと私は思っています。

だって、我々日本人は「カレーうどん」を創り、親しんでいる民族ではないじゃないですか。 

 カレーはインドから発祥し、植民地の関係でイギリスへと渡り、おそらく海軍の関係で日本に持ち込まれたと思います。

一方、うどんは麺類なので発祥の地は中国大陸で、様々のルートで日本に入って来たのでしょう。

まったく別の文化の異国の異分子を見た日本人は何をしたのか。同じ鍋に入れました。そして、ここが大事なポイントだと思うのですが、御出汁もちょっと加えた

 美味しいじゃないですか。私は単純な男なので感動しました。

これは、素晴らしい「と」の力、新しいクリエイション、創造であると。

 一見、相容れない異分子を合わせて新しい価値をつくる「と」の力の感性をフルに活かせているから、B級グルメから超一流の高級料理まで、世界一美味しい料理が日本にあると私は思っています。

 ただ、日本人は食材に関して壁を立てることがないですが、生活や仕事の多くの分野で様々な壁が立ちはだかっています。

つまり、せっかく日本人の特有である「と」の力感性がフルに活かせていないのです。

 特に「失われた」時代で自信喪失した日本では意識が委縮して、壁の内側で留まることがよろしいという意識が広まった感じがします。だから平成は「バッシング」で始まり、終わる頃には日本が素通りされた「パッシング」になったのでしょう。

 では、これからどうする。令和時代に日本社会にどのような心構えや生きざまが必要なのでしょうか。

渋沢栄一は、その答えを『論語と算盤』の「道理ある希望を持て」で、その解を示しています。

「『道理ある希望を持って活発に働く国民』という標語は、概括的な言葉であるが、先頃ある亜米利加人がわが同胞を評して、日本人の全体を観察すると、各人皆希望をもって活発に勉強する国民であると言われて、私は大いに悦びました。私もかく老衰してはおるが、向後益々国家の進運を希望としておる。また多数の人々の幸福を増すことを希望としておる。」

 道理ある希望を持て。つまり、「青天を衝け」ということですね。  (出典 : AERA dot.)


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