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ワクチンじゃない?謎のコロナ急減解く3つの鍵

10月9日夜の東京・渋谷。感染急減を受けて全国各地の繁華街では日を追うごとに人の数が増えてきている(写真:Toru Hanai/Bloomberg)

ロックダウンなど強い行動制限なしでも急減した

仲田 泰祐 : 東京大学大学院経済学研究科 准教授

2021年10月26日

東京都では7月後半から新型コロナウイルスの感染が急拡大した。

8月前半には多くの人々が、人流を大幅に削減しなければ感染は減少しないと主張した。

ロックダウンを求める声もあった。

現実には8月中旬から多くの人流データは増加に転じた、もしくは下げ止まったにもかかわらず、感染は急速に減少した。東京都での1日新規感染者数(7日間平均)は8月19日には4774人であったが、その1カ月後の9月19日には815人、2カ月後の10月19日には52人である。この記事を書いている現在もまだ減少は続いている。



  この急速な感染減少の要因に関してさまざまな推測・仮説が提示されているが、それらの定量的重要性を探った分析はあまり提示されていない。今後さまざまな分析が提示されてくると推測するが、現時点では、10月19日に発表された名古屋工業大学の平田研究室(平田晃正教授)の分析「7〜9月における新規陽性者数の増加と減少について」とわれわれが今回公表した分析の2つである。

 この論考では、われわれのレポートの要旨を読者の皆様にお届けしたい(別府その他〈2021〉「東京での感染減少の要因:定量分析」)

* ワクチンだけが感染急減の要因にならない

重要ポイントは、以下の4つである。

1. ワクチン接種は7月後半から感染を抑制させる大きな力を継続的に働かせているが、それだけでは8月後半からの

 感染減少のタイミングと急速さは説明しにくい。

2.  基本再生産数の過大評価・医療逼迫に伴う人々のリスク回避行動120日周期の存在は、その1つひとつが感染減少の

 多くを説明することが可能である(だからと言ってこれらが正しい仮説とは必ずしも言えないことには留意)。

3.  仮説によっては、今後の見通しは大きく改善する。

4.  どの仮説が正しいかにかかわらず、「追加的な人流抑制をしなくても感染が急速に減少することもある」ことが

 判明したことは、今後の政策に大きな含意がある。

この分析の出発点は「感染減少が始まる直前の8月中旬に人流データを重要視していたら提示したであろう仮想の感染見通し」である。過去のデータから推定されたわれわれのモデルの接触率パラメーターと人流データにはある程度の相関関係がある

図1:8月中旬の仮想基本見通し

人流データの8月後半以降の実現値を仮に当時知っていて、過去の人流と感染の相関関係を利用していたら提示していた仮想の見通しが 図1の青い線である。

この見通しによると、8月後半以降も感染拡大が続き10月第1週には1日新規感染者数約7000人となっている。

 この仮想見通しは、後ほど言及する当時の藤井仲田チームが提示していたものとは違うことは留意していただきたい。この仮想見通しをベースとして「感染減少要因として挙げられている要素を考慮していたら見通しはどのくらい減少したであろうか?」というシミュレーションをすることで、それぞれの要因の定量的重要性を探っていく。


* ワクチン接種が遅くても感染減少は起こっていた

 1つひとつの要因を眺める前に強調しておきたいポイントは、上記の仮想見通しはその後に観察されたワクチン接種率向上を考慮していることである。ワクチン接種率向上をきちんと考慮してもここで提示した見通しは感染減少を予見できていない。

程度の違いはあれ、この特徴は8月中旬に提示されていたさまざまな研究チームによる見通しに共通している。 

ワクチン接種率向上が8月後半からの急速な感染減少の説明としては成り立ちにくいことは、ワクチン接種がこれまで感染抑制に貢献していないということではない。 

図2:ワクチンの感染拡大抑制効果

図2では、仮にワクチン接種ペースが遅かった場合の感染の推移を計算しているが、7月後半からワクチンが感染拡大を大きく抑制してきたことが読み取れる。

それと同時に、感染推移の輪郭はワクチン接種の有無には強く影響されないことも読み取れる。

 ワクチン接種ペースはこれまで連続的に推移しているので、ワクチン接種の影響だけで感染がある時期に急速に増減することは起こりにくい。

8月後半からの感染減少のタイミングと急速さを説明するためには、ワクチン以外の要因も必要そうだと言える。 

 ワクチン接種が8月後半からの急速な感染減少を説明しにくいのであれば、どのような要素が説明できるのであろうか?


* 感染減少に貢献したかもしれない3つの要素

ここでは3つの要素を定量分析する。

紙面の都合上、感染減少に大きな貢献をしたとは言えなさそうないくつかの仮説には触れることはできないが、そちらにも興味のある方々は元のレポートをご覧になっていただきたい。

また、資源的・時間的制約から、世の中に提示されている興味深い仮説をすべて定量化することはできなかったことは理解していただきたい。

 

1.当時の想定よりも低いデルタ株の感染力

われわれは、7月最終週の感染急拡大を観察した直後に「デルタ株の感染力は想定以上に高い」と判断し、デルタ株のアルファ株に対する相対的感染力の設定を1.3倍から1.5倍に変更した。 

しかしながら、デルタ株割合が増加し始めた6月下旬からの実効再生産数の推移を見てみると、7月最終週に大きな値を記録した以外はそれほど高くないレベルで推移している。

7月最終週の値を、デルタ株の感染力の高さのシグナルとして捉えるのではなくほかの特別要因によるものとして捉えたほうがよかったのかもしれない。  

図3:想定よりも低い基本再生産数

8月中旬にデルタ株の感染力をアルファ株の1.5倍ではなく例えば1.2倍と評価していたら、感染見通しは10月第1週で約3500人減少する(図3水色の線)。

  この仮説はより広く、標準的なモデルに考慮されていない集団免疫獲得の閾値を下げるさまざまな要素の定量的重要性を捉えていると解釈してもいい。

そういった要素の例としては、個人間での免疫力の異質性・細分化されたコミュニティーの存在等などがある。

 どんなに複雑なモデルも現実を単純化しており、単純化のされ方によって集団免疫獲得の閾値を過大評価してしまう可能性がある。

運用しているモデルを変更せずにそういった影響を修正する1つの方法は、基本再生産数を低く設定することである。もし、モデルと現実の乖離が理由で基本再生産数が想定よりも低いと判断するのならば、図3の水色の線で示した以上に低い基本再生産数設定も正当化しうる。

 この仮説が正しいとすると、今後の見通しは改善する。

低い基本再生産数は、集団免疫獲得までに必要な感染者数を減少させるからだ。 


2.医療逼迫による人々のリスク回避

われわれが分析を始めた昨年から重視している感染増減メカニズムの1つが「医療逼迫による人々のリスク回避・個人レベルでの感染症対策の徹底」である。

このメカニズムはさまざまな研究者がコロナ危機発生直後から重要視しており、それをサポートする実証研究も存在する。 肌感覚としてこの仮説に納得感を持つ人も少なくないと考える。

個人的な話で恐縮だが、8月前半に東京都で深刻な医療逼迫を理由に外出も控えた人々はわれわれの周りに少なからずいる。SNSで同様の行動変容をした人々を探せばいくらでも見つかる。

 もちろんまったく医療逼迫に動揺しなかった人々もたくさんいると推測するが、このような行動変容をした人々が一定数いた可能性がまったくなかったとは断言しにくい。 

既存のデータだけではわからないことも多い中では、こういった事例証拠(Anecdotal Evidence)も積極活用するのが自然である。中央銀行は、データだけからは経済・金融の全体像がつかめないこともあることを長年の経験で理解しているので、事例証拠を政策判断の一部として積極的に活用している。

もちろん事例証拠に頼りすぎたり、自分と似たような価値観の人々だけと意見交換をしたりしていると、判断を誤るので要注意であるが。

* 追加的な人流抑制なしでも感染は急減する

このメカニズムを根拠に、われわれは7月後半・8月前半には「自主的な行動変容による感染拡大抑制シナリオ」というものを提示していた。このシナリオでの見通しは定量的には現実との乖離もあるが、「追加的な人流抑制なしでも感染は急速に減少する」というパターンを大体捉えている。 

図4:医療逼迫によるリスク回避

図4では、この仮説の定量的重要性を捉えるために、過去の接触率パラメーターと新規感染者数、重症病床使用率の過去の相関関係を取り入れていたら、仮想見通しはどのように変化したかを示している。

過去のデータによると、新規感染者数・重症病床使用率の増加はその後の実効再生産数の減少を予測する力がある。 

結果としては、図に示されているように、この仮説は8月後半からの感染者減少をある程度説明することが可能である。

  この仮説の弱点は、新規感染者数が減少して重症病床使用率が下がった10月以降でも、感染減少が続いていることを説明しにくいことである。

われわれは、この仮説は8月後半・9月前半の感染減少にある一定の貢献をしたが、それ以降の感染減少の説明には他の要因が必要であると判断している。 


3.自然の周期

ウイルスの流行・変異には自然の周期というものがあり人間の行動とは関係なしに増加したり減少したりするという主張も聞かれる。季節性インフルエンザが人流抑制とはまったく関係なしに毎年冬に訪れることを考えると、ウイルス学を専門としないわれわれには十分に検討に値する仮説に思える。  

図5:120日周期

実際に、図5に示されているように、120日のサイクル過去の接触率パラメーターとの相関関係を考慮した見通しを立てていたら、8月後半以降の感染減少をある程度捉えることができる。この仮説が正しいならば、感染症対策と社会経済活動の両立という視点からの最適な政策というものは根本的に見直す必要があるかもしれない。


 この要素の今後の見通しへの影響は、周期がなぜ生まれるかに依存する。

冬に拡大・4カ月後にアルファ株が蔓延・その4カ月後にデルタ株が蔓延したことで外生的に120日周期が発生してきたとする。そうすると、冬にまた拡大すると考えることもできれば、デルタ株よりも強い変異株が出てこない限り、拡大はもう起こらないと考えることもできる。

もしこのような周期が上記したような人々の自主的なリスク回避行動によって内生的に発生するのであれば、それは再度波が来る可能性を示唆する。

 

* 急速な感染減少の政策含意

 今回のレポートでは、急速な感染減少に関するいくつかの仮説の定量的重要性を分析した。

こういった分析の結果は分析手法によって大きく変わる

したがって、われわれの分析結果を真実として受け止めるのではなく、今後出てくるであろう数ある分析結果の1つとして受け止めていただきたい。

また、われわれもこの分析を最終地点として位置付けているわけではなく、今後も分析を続ける。

分析でわかりにくい点・物足りない点等があれば、気軽に連絡していただけるとありがたい。 

 分析によって上記した3つの仮説が有力に見えてきたが、これら3つの仮説のすべてがある程度正しいのか、1つが正しくてほかの2つはまったく間違っているのか、等はまったくわからない。

しかしながら、どの要素がどのくらい感染減少に貢献したかにかかわらず今回の感染減少からはっきりとしたことがある。

それは「ロックダウン等の強い追加的行動制限なしでも感染は急速に減少することがある」という事実である。 

この事実は、今後感染症対策と社会経済の両立を考えていくうえで示唆がある。

もし周期性や医療逼迫によるリスク回避説にある程度の正当性があるのならば、感染拡大時において休校・時短要請・イベントでの人数制限等の追加的な人流削減政策を打たなくても、感染はある時点で減少に向かうと考えられる。

政府は人々に正しい情報を提供することに徹することが重要であると言えるかもしれない。 

上記の事実は、行動制限政策が無力であることを必ずしも意味しない。

柔軟性があるとは言いがたい医療体制、保健所や一部のコロナ患者受け入れ病院の疲労、高齢者の重症化率や致死率の高さ等を考慮すると、行動制限政策が効果的な局面もあるかもしれない

だが、そういった政策は社会・経済・文化・教育へ多大な負の影響をもたらす。

飲食・宿泊業に従事されている方々をはじめ、これまで多くの方々がさまざまな生活の犠牲を払ってきた。

自殺者もコロナ禍で若い世代を中心に増加しており、子ども達への発育・教育への長期的な負の影響も懸念されている。 

今回の経験を記憶に刻み、「感染のリスク評価」と「感染症対策のリスク評価」の両方に配慮しながら意見形成・政策判断をしていただけたらと願う。 

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