中国史とつなげて学ぶと日本史の常識が覆る理由


近年、グローバル・ヒストリーの観点から、環境や気候が歴史学の研究対象となり関心が高まっている(写真:Ystudio/PIXTA)

「アジア史の視点」から日本史を捉えなおす意義

岡本 隆司 : 京都府立大学文学部教授

2021年10月22日

 現代の地球温暖化は人類が直面する重大問題となっている。

では、過去の歴史において、気候変動はどう影響したのか。

中国史とつなげて学ぶ日本全史』を上梓した京都府立大学・岡本隆司氏が、気候変動と日本史の関係について、さらには気候変動、人口動態、経済ネットワークなどアジア史の視点から日本史を捉えることの意義を解き明かす。


 気候変動と日本史の関係

過去の日本史において、温暖化・気候変動ということばや課題が、現代ほど身近にあったとは思えません。

それでも気候変動の実体が、歴史上なかったはずはないでしょう。あったとすれば、どのような影響を及ぼしていたのでしょうか。なかでも、われわれの来し方・日本史でどうだったのか、実はあまりよくわかっていないように思うのは、筆者だけでしょうか。近年はいわゆるグローバル・ヒストリーの観点から、環境や気候が歴史学の研究対象となり、関心も集まってきました。それでもまだ検討は緒に就いたばかり、体系的な史実の理解・叙述には至っていません。

そもそも史実に影響を及ぼす地球規模の気候変動は、日本の歴史だけをみていますと、わかりづらいように感じます。

日本列島は温暖湿潤で、すぐれて農耕に適した生態環境です。

住民の社会的な分業は種々あったにせよ、その主たる生業が農業生産だったことは疑えません。

そうした一元的な環境条件では、たとえ気象変動が発生しましても、社会経済的な史実では、おおむね作柄の豊凶や饑饉の有無に還元、包摂されてしまいます。それにともなって、政治の動きも単調にならざるをえません。

かくて列島では、ヒトの歴史と気候変動の相関がよくみえなくなっているのです。

それでも日本史は、大きな時代の画期をたびたび迎えました。

7世紀から8世紀の律令国家の形成、11世紀からの武家政権の勃興、16世紀以降の天下統一の達成など、やはりダイナミックな歴史です。そんな歴史の展開と気象の変動は、はたして関係していなかったのでしょうか。

その実地の、具体的で直接的な因果関係を論証するには、もちろん厳密な史料調査を通じた研究が欠かせません。

ですがそれは、専門家の仕事です。アマチュアのわれわれは、むしろ大掴みな見通しを示し議論の足がかりをつくって、専門家の厳密な指導・批正を仰げるようにしておけばよいかと思います。

そのよすがの1つになるのが、中国史とつなげてみることでしょう。

日本は島国ですから、外界との連絡・交渉に乏しい初期条件があります。

勢い外との関わりにあまり立ち入らずに歴史をみがちですし、またそれでも十分に内容のある歴史が書けてしまいます。

ですが、それだけではみえないことも、またたくさんあります。気候変動の関連などは、その最たるものでしょう。

そこでたとえば、日本の史実経過を近接する中国史の動向と照らし合わせて考えてみると、みえなかったものが視界に入り、新たな視野も開けてくるかもしれません。

 

古代の日本が目指した唐の律令体制

律令国家の形成は、日本の古代史の画期です。

その律令とは中国由来の法制ですから、中国・東アジアとのつながりは、つとに意識されてきました。

それでも、輸入した律令・土地制度など、日本の立場からみるばかりで、相手の中国・唐が全体として、実際にはどんな国家だったのか、なぜその律令ができたのか、あまり考慮しているようには思えません。

唐は中国の長い分立時代を経て、ようやくできた統一政権です。

それまでの分立は、主として黄河流域に遊牧民が南下移住してきたことで起こったものでした。

ではなぜ、かれらが移住してきたかといえば、気候の寒冷化によります。

北方の草原地帯で暮らしてきた遊牧民は、寒冷化で草原の植生が激減、生業の牧畜ができなくなり、生存のため移住せざるをえませんでした。移民と既存の住民のあいだでは、しばしば摩擦が生じます。

そこで治安を継続的に維持しうる秩序は、なかなか構築できません。

そうした秩序回復がひとまず実現をみたのが、唐の統一でした。

つまり唐の律令体制とは、従前の分立時代、ひいては気象変動の歴史が刻印されているものなのです。

かたや日本列島は、ようやく国家形成の黎明期でした。

建国にあたってモデルとできるのは、すでに数百年以上先んじている大陸の体制しかありません。

そこで律令をコピーして、国家体制をアップデートしました。

ただ日唐の国情・経歴には、あまりにも隔たりがあります。

列島は寒冷化・移民による動乱、政権の分立や統合といったことに未経験ですから、オリジナルな律令そのままのコピーは困難でした。日本版の律令を作るにあたって、かなりの改編を経たのはよく知られたところですが、それでも日本の実情に合わないところが少なくありません。

そうしたいきさつをもっと突きつめて考えてやれば、気象変動に大きく影響をうけてきた大陸の履歴と、さほど問題になったようにみえない日本の歴史過程とのちがいがいっそうはっきりして、古代史の位置づけを捉えなおすこともできるでしょう。

律令体制からの逸脱、それにともなう武家政治の形成が、古代から中世への日本の歩みでした。

北半球の気象は同じ時期、温暖化に転じています。それは大陸では、寒冷化に適応した唐とその律令体制の崩壊過程でもありました。日本の中世はそうした動きと並行していたのです。

寒冷が緩んで移動交通が活性化、各地の生産も回復し、それに応じて在地勢力が伸張する。

こうした現象が世界的な潮流でして、列島内部の動きもおそらく同じ現象の一環のように思われます。

そしてコピー法制の律令ではいよいよ対応しきれなくなって、政治も文化も土俗化していきました。

鎌倉時代の到来はそのピークをなしています。

ユーラシア大陸は13世紀にモンゴル帝国の建設を経て、大統合に向かいました。そこで日本へも直接の圧力がきます。

いわゆる「蒙古襲来」ですが、このモンゴルの動きこそ、それまでの温暖化の総決算ともいえるでしょう。

といいますのも、9世紀ごろから本格化した温暖化は、草原の植生を回復させ、遊牧民の活動をうながし、遊牧国家の強大化をもたしました。東アジアではウイグル・契丹・女真を経てモンゴルにいきつく動きです。

また農耕世界の中国では、環境の好転・競争の激化・資源の開発にともない、唐宋変革という技術革新・経済成長・文藝復興がおこりました。そうした政治軍事・経済文化の飛躍的伸張が結集したのが、モンゴル帝国の大統合だったわけです。

 

14世紀の危機から大航海時代へ

日本は「蒙古襲来」を撃退して、その大統合に加わりませんでした。

このあたりも日本と大陸の隔たりをあらわしています。温暖化という気候変動を共有し、類似の社会経済現象を経験しながら、しかも異なる道をたどったところに、日本史の特性をみることができます。

世界史ではこのモンゴル帝国、日本史では「蒙古襲来」は、1つの分水嶺をなしています。

といいますのも、それからまもない14世紀に、気候が寒冷化に転じたからです。

ヨーロッパのペスト蔓延が典型的ですが、世界全体が疫病と不況で暗転しました。

以後の世界史はその「危機」から脱却すべく、新たな営為をはじめることになります。

日本列島でも、鎌倉幕府の崩壊とそれ以降の騒乱が生じました。

そこでも中国との関係が、たえず問題になっていたことは見のがせません。

「危機」からおよそ200年。そのブレイクスルーが大航海時代にはじまる環大西洋革命・産業革命・世界経済、つまり西洋近代の形成になります。

その動きはもちろん世界中に波及しまして、日本におよんだ影響は、戦国乱世・南蛮渡来・天下統一という16世紀以降の近世へ至る歴史にあらわれています。それが明清交代という大陸の動乱とパラレルなことも注目すべき現象です。

このようにみてまいりますと、中国・東アジア・東洋史の視点から日本史をとらえなおすことの意義がよくわかるのではないでしょうか。

西洋の各国史はもちろん自国史です。ですが英・仏・独いずれも隣り合い、しかも各国は列強として世界を制覇した経験もありますので、各国史は同時に西洋史でもあり、また世界史にもなりえます。

ところが日本の場合は、そうはいきません。いくら日本史を掘り下げても、全体的な世界史は出てきません。

折に触れて外国が登場はしても、あくまで日本からする意味づけにとどまって、客観的な文脈はほとんど重視されないのです。それほど日本は世界から孤立して、独自だったともいえるでしょうか。

 

東洋史の枠組みでみる「真実の日本史」

そのため明治の日本人が草創したのが、東洋史学という学問でした。

江戸時代からすでに漢学で中国の史書・史実には親しんでいましたので、西洋史とは別に東洋の「ワールド・ヒストリー」を作って、あらためて日本自身をみつめなおしてやろう、そして東西あわせた世界全体の世界史を構築しようと考えたのです。

とりわけ東アジアで圧倒的な存在の中国の歴史を抜きにして、空間的にも時系列的にも日本の位置を理解することはできません。日中両国は日本海をはさんで対峙し、お互いに不断の影響をおよぼしてきました。

東洋史学によって中国や東アジアという世界を説明できれば、その関係性から日本のありようも明らかにできます。

ひいては世界全体における日本の位置づけもみえてくるのです。

にもかかわらず、現在その東洋史学は、解体寸前の絶滅危惧種です。

大学にある東洋史・中国史の講座・授業には誰も寄りつきませんし、いまや真っ先に消えてゆく運命にあります。

つまり日本人は、先人が築いたはずの東アジアからの目線と日本を世界全体に接続する有力なよすがを失いつつあるのです。

気候変動と日本の歴史との関わりなどは一例にすぎませんが、温暖化の昨今、日本史を学ぶにあたって中国史とつなげる意義を示すものでしょう。

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