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尾身茂会長、政府との危機認識のズレ抱えた苦悩


「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長(写真:Kiyoshi Ota/Bloomberg)

本音を告白、コロナ対策の裏側で起きていたこと

辰濃 哲郎 : ノンフィクション作家

2021年09月15日

「約1年半に及ぶコロナ禍で、何度もルビコン川を渡ってきた」

そう明かすのは、政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長だ。

専門家として何より必要なのは、サイエンスをベースにした社会的応用だと信じている。

官邸や政府に煮え湯を飲まされながら、そのたびに歴史の審判に堪えうる科学者としての「インテグリティー(高い倫理性)」を貫いてきたつもりだ。時には政府批判とも受け取れる言葉を発してきた尾身氏だが、それも専門家としての「説明責任」だったと振り返る。

地域医療機能推進機構理事長を兼ねながら、新型コロナ対策の専門家集団を率いてきた尾身氏が、このほどインタビューに応じた。

感染症対策と経済の再建との間で揺れる政府と、専門家集団との認識のズレを埋めるために苦悩したことを打ち明ける。いくつもの正念場を乗り越えてきた尾身氏の、いわば“告白”だ。

 尾身の業績のひとつは、西太平洋地域において急性灰白髄炎(ポリオ)の根絶を達成したことである。この業績により、1998年の世界保健機関 (WHO) 西太平洋地域事務局事務局長選挙に日本政府から擁立され、当選。その後再選され、10年間務めた。

在任中は重症急性呼吸器症候群 (SARS) 対策で陣頭指揮をとった。これら(「アジア地域における感染症対策等の陣頭指揮」「東アジアを含む西太平洋地域からポリオを撲滅する上で発揮した指導力」「SARS勃発の際の迅速・機敏な対応」)を評価され、西太平洋地域事務局長在任中の2006年5月、イ・ジョンウク(リー・ジョンウォック)WHO事務局長の急逝に伴う後任の事務局長を選出する選挙の候補者に日本国政府から擁立されるも、中国が推薦した(香港出身の)マーガレット・チャン世界保健機関事務局長補(感染症担当)に敗北して落選した。

2009年2月、母校の自治医科大学教授に就任し、後進の指導にあたった。

2009年新型インフルエンザパンデミックの際、政府の新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会の委員長に任命された。既に政府によって始められていた水際作戦から、重点を地域感染対策に移すべきこと、パンデミック初期には広範に学校閉鎖を実施すべきこと、ワクチンの優先接種グループなどについて提言した。

2014年からは、日本初の新たな医薬品や診断キットの国際的普及を目指した官民学一体の「アジア・アフリカ感染症会議」議長を務めている。

2016年、国際的な公衆衛生危機対応タスクフォースメンバー(国連議長からの要請)。

(出典:Wikipedia)


「専門家会議」として初めての「見解」

尾身氏が最初に「ルビコン川を渡った」と打ち明けるのは、国内に感染が拡大する前の2020年2月のこと。厚生労働省に設けられた「専門家会議」として、初めての「見解」を公表したときだった。

2月3日、感染者が乗船していたクルーズ船が横浜港に寄港した。厚生労働省は、専門家を集めたアドバイザリーボード(ADB)を設けた。同月16日にはADBをそのまま引き継ぐ「専門家会議」が、今度は内閣府に設置された。このころ、専門家は政府から諮問された課題に答えるにとどまる“受け身”の会議体だった。

当時、散発的なクラスターが起きていて、全国に広がる可能性が高かった。密閉、密集、密接という、のちの「3密」につながるウイルスの特徴もわかってきた。専門家が危機感を募らせる一方、政府はクルーズ船の対応に忙殺される。国内の感染症対策は手つかずのままだ。こうなったら、専門家が独自に政府や市民に向けて、コロナウイルスの特性や感染対策を示す必要がある。会議のメンバーは、そう考えていた。

同2月24日の第3回専門家会議を前に、その専門家が動いた。独自の「見解」を公表する準備を始めたのだ。尾身氏らメンバーは、できあがった見解案を事前に厚労省の官僚にメールで送付することにした。当然、官僚の反発を招くことは予想していた。

尾身氏:
「頼まれてもいないのに政府の審議会で独自に提言するなど、前例はほとんどないはず。官僚が快く思わないのは、私のような鈍感な者でもわかりました。感染症対策は公衆衛生学、あるいは感染症学をベースにした社会的応用なんですね。われわれ専門家は、象牙の塔にこもっているわけにはいかない。ここで動かなければ、自分たちの存在意義が問われる。目をつぶってでも(ルビコン川を)渡らなければ、歴史の審判に堪えられない」

案の定、厚労省の官僚は「見解案」に難色を示す。

岩波書店から出版されている河合香織氏の著書『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』に、当時の経緯が詳細につづられている。緻密な取材にもとづいた秀作だ。これによると、厚労省の官僚から「このままでは出せない」とのメールが返ってきた。「専門家会議としてのクレジットは外してほしい」と要求され、「専門家有志」に書き直された。ほかにも「国民をあおり過ぎはよくない」と、さまざまな文言が削除されていた。そう河合氏は書いている。

尾身氏によると、専門家会議が始まる直前に、座長である国立感染症研究所の脇田隆字所長に相談した。こうなったら加藤勝信前厚労相に直訴するしかない。会議冒頭の加藤厚労相のあいさつが終わると、脇田座長は打ち合わせどおりに尾身氏を指名した。

私どもの全体の考え方や戦略を示させていただきたく機会をいただけないでしょうか」(分水嶺36ページ)

加藤厚労相は、専門家会議として「見解」を公表することも、「専門家有志」ではなく、「専門家会議」として出すことも、すんなりと受け入れてくれた。

官僚が最後まで渋っていた「瀬戸際」も盛り込まれた

尾身氏は、加藤氏ならわかってくれるという期待があった。前日まで抵抗した官僚たちの雰囲気が、会議が開かれる朝になって明らかに変わっていた。確証はないが、大臣の意向があったのかもしれない。

この日、公表された「見解」には、「これから1~2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際」と記されていた。官僚が最後まで渋っていた「瀬戸際」も盛り込まれた。専門家会議のたびに、見解や提言を説明する記者会見が開かれるようになったのは、この日からだ。

官僚が長年築いてきた霞が関の“常識”の一角が崩されていく。

尾身氏:
「事前に官僚に見解案を送ったのは、彼らと信頼関係を築きたいから。受け入れてもらえなければ、対策が実行されませんから。一方、こういった場面で私たちが動けば、必ず反作用はあります。国や政府が嫌がることでも、だれかが言わないといけない。だとすれば、老い先短い私でしょう。こういうときは、自分に対して、『まさかお前、処世術を考えているんじゃないだろうな』と問いかけるんです。覚悟のうえの判断ですから、批判されてもいいわけです」

尾身氏が、最もこだわってきたことのひとつが、専門家と政治家の役割分担だ。専門家は科学的な側面から対策を助言・提言し、最終的な判断は政治家が下す。WHO(世界保健機関)時代に学んだパンデミック時の政策決定システムの要諦だ。

ところが、その要諦が見事に覆される「事件」が起きる。尾身氏が「手足をもがれたようで、非常に危機感を抱いた」と、政治への不信感を抱く転機となった。

政府の「Go Toトラベルキャンペーン」をめぐる動きだ。

専門家会議は廃止された代わりに、経済や地方自治の専門家らを加えた、感染症対策分科会が新設されていた。尾身氏は、その分科会の会長に就く。4月からの緊急事態宣言で、感染状況は落ち着きをみせていたが、夏に入って東京・新宿の歓楽街などを起点とした感染が、全国に広がり始めていた。

そんなとき、官邸はGo Toトラベルを前倒ししてスタートさせようと、動き始めていた。

7月16日の参院予算委員会で、尾身氏はGo Toについて、こう答えている。

今の段階で全国的なGo Toキャンペーンというのをやるという時期ではないと思います」

同じ予算委員会で、新型コロナ担当の西村康稔経済再生相は、この日の夕方に開かれる分科会で議論することを約束している。

ところが、その専門家会議が開かれる直前の午後5時過ぎだった。官邸で安倍晋三前首相との会談を終えたばかりの赤羽一嘉国土交通相が、記者団の前に現れた。ここで、東京発着の観光を除外してGo Toキャンペーンを始めることを表明したのだ。

西村大臣が約束した分科会での議論を待たずに、官邸が「東京外し」を決めてしまったのだ。尾身氏が最も大切にしていた、専門家と政治家の役割分担が蔑ろにされた瞬間だ。

尾身氏の告白
「市民にステイホームとお願いしながら、一方で観光を促すのでは矛盾したメッセージになる。専門家の議論を経ずに決まってしまったことで、手足をもがれたような、強い危機感を覚えました。このことが後の政府との関係をどうすべきか考えるうえで、大きな転機になりました」

政治的な思惑や駆け引きによる感染症対策

政治的な思惑や駆け引きで、感染症対策が打ち出されていく。尾身氏が、Go To運用の見直しについて、「政府の英断を心からお願い申し上げる」など、強い調子で迫るようになったのは、それからだ。

政治と専門家との溝は、ますます深まっていった。

インタビューのなかで、尾身氏が唯一、自身の後悔に触れた出来事がある。

Go Toが開始された後、感染は全国に拡大していった。尾身氏らが最も警戒したのは医療の逼迫だ。8月に入ると分科会は医療の逼迫を回避するために、感染状況を数値化する指標作りを急いだ。病床の使用率やPCR陽性率などをステージ1~4に分類し、ステージごとに休業要請や、緊急事態宣言の発出などの対策を列挙した。

そこに、こういう一文を加えた。

「国や都道府県はこれらの指標を『総合的に判断』して、感染の状況に応じ積極的かつ機動的に対策を講じていただきたい」

専門家は、地域のステージの判断には介入しないということだ。審判とプレイヤーが同じなのは理屈に合わないというのも理由のひとつ。だが、もっと大きな狙いは、官邸や都道府県の首長のリーダーシップへの期待だった。だが、この一文が自らの手足を縛ってしまうことになる。

尾身氏の告白
「実際には最も感染が拡大しているステージ4であるのに、私たちは何も言えないわけです。記者会見で、どの地域がステージ4なのか、よく尋ねられました。分科会会長としては明言できない。でも、説明責任は果たしたいから、『個人的には』と断って言う。これが悩ましかった。東京は昨年末、明らかにステージ4でした。国と都のさや当てが始まっていたから、だれも判断しようとしない。結果的に、緊急事態宣言が遅れてしまった。国や自治体の長に『リーダーシップを』と繰り返しお願いしたのは、そのためです」

今年4月8日、分科会はそのステージ指標を改訂することにした。ここに新たな一文を盛り込んだ。

「分科会は、必要な場合には、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの評価を踏まえ、国や都道府県の迅速な判断に資するよう助言を行いたい」

政治的な思惑が絡んで、国や自治体の首長の判断が遅れるのであれば、専門家が関与せざるをえない。メディアはあまり注目しなかったが、専門家の助言に道を開いたのだ。

専門家の間にたまっていた不満

そして、3つ目の正念場は、今年5月14日の「基本的対処方針分科会」で起きた。

分科会といっても、従来の感染症対策分科会とは別のもの。緊急事態宣言など政府の方針を審議するために設置された、いわゆる諮問機関としての分科会だ。4月25日から東京、京都、大阪、兵庫に出された緊急事態宣言は延長され、この日の対処方針分科会では、新たな地域を追加する政府案が諮問されることになっている。

その前日のことだ。非公式に続けている専門家による「勉強会」で、尾身氏はメンバーにあえて問いかけた。それまでの対処方針分科会では、政府の諮問案を覆したことは一度もなかった。だが、専門家としてもっと言うべきことがあるのではないか。そんな思いからだ。

ちょうど議論が交わされているころ、政府の諮問案がネットで流れた。感染が拡大している北海道、広島、岡山に緊急事宣言ではなく、まん延防止等重点措置を適用するらしい。これを認めてしまっては、歴史の審判に堪えない。

あとはあうんの呼吸だった。

翌日の分科会で口火を切ったのは、日本医師会の釜萢敏常任理事だった。北海道、広島、岡山は緊急事態宣言の対象にすべきと主張した。そして、苦言を呈する。

「(これまでも意見を申し上げてきたが)国の方針に何らかの影響を与えるということは、これまでほとんどなかったと感じます」

ほとんどの委員が諮問案に反対するなか、尾身氏は、これだけ反対意見が大勢を占めれば、結論は1日繰り延べされるのではないか、と予想していた。だが、事態は急展開を見せる。閣議で菅義偉首相と相談した西村経済再生相が戻ってきて、マイクを握った。

専門家の皆さんがそういうご意見であるということを受けまして」と、3地域を緊急事態宣言の対象とする諮問案に変更したのだ。

尾身氏:
「基本的対処方針分科会は、諮問内容の是非を判断するだけなんです。自由な議論ができる分科会は、なかなか開かれない。開催を要望したが、政府は『意見があれば、基本的対処方針分科会で言えばいい』というスタンスでした。今回の諮問案は否決され、メディアには「専門家の反乱」と受け止められた。でも、いきなりの反乱というより、去年から専門家の間に不満が高まっていたんです」

「尾身さんを黙らせろ」

尾身氏は「菅総理の英断だった」と評価する。だが、このころからだ。尾身氏の言動に対する反感が官邸や自民党内から公然と聞こえてくるようになったのは。「尾身さんを黙らせろ」と。

そしてオリンピック・パラリンピックをめぐる攻防を迎えた。

すでに4月ごろから、メンバー内で議論を始めていた。五輪の開催は夏休みと重なる。お盆休みや連休もある。こんなときにこそ、自粛を促す強いメッセージが必要だと尾身氏は考えた。

尾身氏は、参考人として連日のように国会に呼ばれた。答弁の言葉が、メディアに大きく扱われる。

今の状況で(五輪を)やるというのは、普通はないわけですよね」(6月2日衆院厚生労働委員会)

尾身氏は同時に、五輪が開催された場合のリスク評価を盛り込んだ提言を検討していることも、国会で明かしている。

尾身氏:
「国会で『センシティブな問題だから、お答えできません』という回答は、私の辞書にはないんです。極めて普通のことを言った。後悔は、まったくないです。オリンピックは規模も注目度も、国内のサッカーや野球とは明らかに違う。市民への心理的インパクトは計り知れません。五輪会場で選手や関係者はバブルで守られる。でも、そこがポイントではない。矛盾したメッセージになるんです。それでもやる、と決めるのは政治です。なら、国も自治体も覚悟を持ってくださいということをお伝えしたかった

リスク評価を盛り込んだ専門家の提言は、専門家の有志として、6月18日に公表された。「感染拡大や医療逼迫のリスクがある」と指摘したうえで、感染拡大した場合は無観客にするなどを提案した。

だが、この提言はなぜ専門家の有志なのか。

かつて専門家会議のクレジットに強くこだわった尾身氏らしくないと思えた。

尾身氏:
「感染が下火であれば、経済との両立は選択肢のひとつ。でも、今回は感染拡大期で、そんな状況ではなかった。医療の専門家以外の委員から反対意見が出ないとも限らない。もし分科会が分裂したら、メディアの焦点はそちらに当てられ、メッセージ性が薄れてしまう。有志の会で出すことはかなり以前から決めていました」

バッハ会長の再来日、に苦言

そのオリンピックを終え、パラリンピックが始まった直後の8月25日だった。衆院厚労員会に参考人として出席した尾身氏が、国際オリンピック委員会のバッハ会長の再来日について問われた。

「オリンピックのリーダーはバッハ会長、何でわざわざ来るのかと。そういうことをなぜ、普通のコモンセンスなら(オンラインでのあいさつ)できるはずなんですね。(中略)これは私は、専門家の会議のというよりも、一般庶民としてそう思います」

質問した立憲民主党の尾辻かな子氏も、「非常に踏み込んで発言していただいた」と驚くほどの強い口調だった。国や政府を批判するにしても婉曲な言葉遣いを心掛ける尾身氏が、なぜ舌鋒鋭く切り込んだのか。

尾身氏:
「バッハ会長に関する質問の予定がなかったんですよ。準備もしていないのに、いきなり尋ねられたから、とっさに本音が出たんでしょう。ホスト国である日本では、自宅療養中の感染者が相次いで亡くなるような危機的状況。国民は自粛やテレワークなど精いっぱいの努力を続けているときです。そういった国民感情を組織のリーダーなら理解しているはずなんです。見識の問題だと思う。ただ、専門家会議としてではなく、あくまで一般庶民と断ったうえでの発言です」

パンデミック時の感染症対策に実効性を持たせるためには、政府と専門家との連携が欠かせない。官邸が政治的な思惑で動いたり、官僚が旧態依然とした規範やしきたりにこだわったりすれば、人智を超えるパンデミックには太刀打ちできない。そんなとき、国民が頼りにするのが、専門家のインテグリティだ。本来は高い倫理性を指す言葉だが、尾身氏ら専門家は、「客観性」「政治的中立性」「誠実さ」と説明する。

尾身氏の苦悩は、そのインテグリティと現実とのはざまにある。

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