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日本を最弱国にした歴代自民「丸く収めよう」外交の罪。


対立を恐れる国は隣国に喰われるだけと気づけ

鈴木傾城

2021年9月2日

 

日本の尊厳や国益は「丸く収めよう」とする外交的態度によって大きな損害を受けている。もう、終わりにしなければならない。日本の国益を強大に主張し、それをいちいち中国・韓国・北朝鮮に理解を求める姿勢を改めなければならない。相手がどうだろうと、絶対に折れない精神力が今の日本の政治や外交に求められている。


 

* 相互理解より相互対立の方が拡大しているではないか

日本の政治家は他国と問題が発生した時、「外交ルートを通じて、日本の考え方を説明し、理解してもらえるよう努める」とか言う。そして相手に突っぱねられたら「遺憾だ」と言って後は何もしないでうやむやに過ごす。

中国・韓国・北朝鮮にはいつもそうやって問題を先延ばししている。そして何も解決しない。

この「理解してもらえるよう努める」というのは無駄な努力だ。むしろ大きな批判を浴びることになる。

なぜなら、価値観や文化や歴史というのは、相手にとっては「絶対不変なもの」であり、まさに「自分の価値観こそが正しい」という思い込みの世界であるからだ。

たとえば日本人は世界中の誰もが「平和や平等を望んでいる」と思い込んでいるのだが、実際にはそうではない。

たとえば、中国共産党はそんなものを望んでいるとは思えない。

文化や社会や言語や国が違うと、価値感が違っているので、相互理解が不可能なことがある。

話せば話すほど乖離が広がって、理解どころか衝突になる事柄もある。

それが世界の現状なのだ。だから世界は対立し、グローバル化が進めば進むほど、その対立は先鋭化していく。

相互理解よりも、むしろ相互の対立と衝突が目立つようになっているのが現代社会である。

世界情勢を見てみればいい。相互理解より相互対立の方が拡大しているではないか。

国家と国家の間だけでの現象ではない。個人と個人の間でも、価値感が違って相手を理解ができず、対立が先鋭化しつつある。

人種間で、民族間で、世代間で、性別間で、経済格差間で、それぞれ対立がどんどん広がっている。

 

* 日本の存在も、日本人の生き方も、日本の歴史も否定される

立場が違って感受性が違えば、言葉ひとつにしても相手の言っていることが理解できない。

同じ単語、同じ言葉を聞いても、受けるインパクトや印象は人によってそれぞれ違うので、場合によっては理解ができなくなる。

性別が違えば、それで相手が理解できないことがある。年代が違えば、同じ日本人でも外国人並みに相手が理解できない。

長年連れ添った夫婦でさえ、相手が理解できないことも出てくる。

いくら何十年一緒にいても「違う人間」である以上、相手が理解できないことが生まれて当然だ。

どんな立場のどんな人間でも、自分の主張を全員に理解してもらうというのは不可能である。

価値感を共有していなければ、いくら話しても永遠にすれ違う。

「理解してもらう」という努力をすることは必要だが、自分の主張、自分の存在、自分の意見を、きちんと説明すれば分かってもらえると思うのは大間違いだ。説明しても分かってもらえないのが現実なのだ。

個人間でさえそうなのだから、組織や国をまたいだ相互理解というのは、いかに難しいか分かるはずだ。

日本という国がいくら「日本の考え方を説明し、理解してもらえるよう努める」を徹底しても理解されない可能性は高い。

つまり、日本が今後何をしても、どのように気くばりしても、どう言葉を尽くしても、それは実を結ばない可能性があると思わなければならない。

日本の意見は必ず否定される。

日本の存在も、日本人の生き方も、日本の歴史も、やっていることも、言っていることも、何もかもが必ず批判され否定される。日本の立場を説明しても、絶対に納得しない国も出てくる。

それは、中国・韓国・北朝鮮と言った周辺国の言動を見れば誰でも気付く。

 

*「日本の立場を押し付けるな」とバッシングすら起きる

中国・韓国・北朝鮮は自国の政治的失策の責任をすべて日本のせいにするために、歴史を自国の都合の良いように捏造し、反日教育を行い、日本の沈没を願っている。

こうした国々と価値感が共有され、相互理解ができると思う方がどうかしている。

日本は主張することはできる。しかし、それを理解してもらえると考えるのは甘い。

理解どころか、「日本の立場を押し付けるな」とバッシングすら起きる。

問題は、対立や衝突を極度に恐れ、表面的でもいいから丸く収めようと日本の政治家が考え、日本の国益も無視して妥協してしまうことだ。

相手国から猛烈な批判とバッシングを受けるのが嫌で、政治家は今まで対立を避けて逃げ回った。

捏造の歴史に対して謝罪し、より日本の立場を悪くしてきた。

村上談話や河野談話は、まさにそうした「丸く収めようとする外交的態度」から生まれてきたものだ。

 

*「丸く収めよう」とする外交的態度によって国益を損なってきた

韓国は「第二次世界大戦時、日本軍は韓国人女性を性奴隷にした」と歴史を捏造し、その捏造で日本に謝罪と賠償を要求してきた。本来であれば、日本は「それは捏造だ」と激しく糾弾し、国交断絶して対処すべきだった。

しかし、実際には対立を恐れた政治家や官僚が「丸く収めよう」としてその場その場で行き当たりばったりの謝罪と賠償をしたので、その捏造が今や歴史的事実のようにされてしまった。

すでに日本の尊厳や国益は「丸く収めよう」とする外交的態度によって大きな損害を受けている。

もう、終わりにしなければならない。

日本の国益を強大に主張し、それをいちいち中国・韓国・北朝鮮に理解を求める姿勢を改めなければならない。

相手がどうだろうと、絶対に折れない精神力が今の日本の政治や外交に求められている。

「丸く収めよう」とする外交的態度は、もう通用しないのである。

 

* 日本は今まで自分の意見を殺してまで他国を優先してきた

中国・韓国・北朝鮮が何を言ってきても、日本の立場を貫くというのが、本当の意味の国益である。

これらの国の批判にビクビクして「丸く収めよう」としているのであれば、それは外交ではない。

特定アジア諸国と衝突しても国益を貫けるというのが、私たち日本人にとって重要なことだ。

それが今の日本に欠けている重大な要素でもある。

日本は今まで自分の意見を殺してまで他国を優先してきた。日本の国益を見殺しにしても、協調を求めた。

日本の国民感情を無視してでも、「丸く収めよう」として他国の意見に従ってきた。

今の日本に「理解してもらえるよう努める」のではなく、相手が理解しようがしまいが、「これが日本の主張だ」と国益に邁進する人間はいるのだろうか。

日本は、他国の目を意識し、他国の評価にビクビクして、褒めてもらうことばかりを考えてきたのではなかったのか。

その結果、日本には無理難題を押しつけても、無視しても、バッシングしても、国民感情を踏みにじっても、とにかく何をしても大丈夫だと「なめられて」いたのではないか。

「何をしても日本人はいじめに耐える」と思われているのではないだろうか。

日本が今、中国・韓国・北朝鮮から理不尽な目に遭っているというのは、相手に原因があるというよりも、相手の理不尽に何もできない日本の方に問題があったのではないのか。

日本人は、あまりにも自分の意見を殺して、相手に従順になりすぎてしまったのだ。

その結果、日本人の信頼・信用・誇り・気概のすべてを貶められてしまっている。

日本人が、「丸く収めよう」と相手に折れていたから、こんなことになってしまっている。

日本人は嫌われるのを恐れて何も言わないから、日本人には何をしてもいいとばかりに叩きのめされているのだ。

だとすれば、これから必要なのは何か言うまでもない。

「理解してもらえるよう努める」ことではなく、「対立しようが衝突しようが日本の国益を主張する」ことなのだ。

もっと分かりやすく言おう。

今の日本は「相手と対立する」ことが求められているのだ。


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