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中国が香港を併合したくてもできない決定的理由

中国共産党はこのまままっすぐに香港併合に突き進むのか?

弾圧を強化すれば経済面で大きな打撃を受ける

野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授

2021年08月22日

香港は、中国経済にとってきわめて重要な役割を果たしている。

香港経由の迂回輸出とすると、関税を回避できる場合がある。さらに重要なのは、金融面での役割だ。これまで、中国企業のIPO(新規株式公開)の大半は香港市場で行われた。

アメリカ市場でのIPOが規制されると、香港の役割はますます強まるだろう。

中国が「一国二制度」を踏みにじれば、こうしたメリットは失われる。

それは中国経済に深刻な打撃を与えるだろう。

昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。



中国は、香港の民主化運動の弾圧を強めている。

6月24日、香港最大の民主派新聞「蘋果日報(アップルデイリー)」が廃刊となった。

中国当局による香港民主化運動の弾圧がついにここまで来たかと、全世界に衝撃を与えた。

1年前の2020年6月、中国の全国人民代表大会常務委員会は、香港での反政府的な動きを取り締まるための「香港国家安全維持法案」を、全会一致で可決した。

これは、「一国二制度」を踏みにじるものであり、中国はいずれ香港を併合してしまうのではないかとの懸念が広がった。

その後の動きを見ると、警察は同法を使って、活動家や民主派の元立法会議員などを相次ぎ逮捕し、収監した。そして、アップルデイリー廃刊事件だ。1年前の懸念は的中しつつあるように思われる。

では、中国共産党は、このまま、まっしぐらに香港併合に向けて進むのだろうか?

経済活動の側面から見ると、それはきわめて難しいと考えられる。

なぜなら、香港は中国経済のために不可欠な役割を果たしており、併合してしまえば、その役割を果たせなくなるからだ。

では、香港は、中国にとってどのような役割を果たしているのか?

これには、貿易の側面と金融の側面がある。まず、貿易面を見よう。

2019年において、中国の輸出相手国の第1位はアメリカ(4186億ドル。中国輸出総額の17%)だが、第2位は香港だ(2797億ドル。同11%)。これは対日、対韓の合計(同10%)より多い。

通信設備、コンピューター設備、集積回路設備などが中国から香港に輸出されている。

もちろん、これらは香港で使われるわけではない。

中国の製品は、香港に持ち込まれたあと、世界各地に輸出される。つまり、香港は中国の対外貿易の中継点になっているのだ。

2019年において、香港の輸出総額は5357億ドル。うち対米が391億ドルだ。

なぜこうしたことをしているのか?

香港からの輸出とすれば、関税を軽減できる場合があるからだ。

とくに重要なのが、アメリカの「香港政策法」(1992年成立。1997年7月1日に、香港が中国に返還されると同時に効力が発生)だ。これは、中国製品に課している関税を、香港には適用しないという優遇措置だ。

米中貿易戦争によって中国の多くの対外貿易が阻害されたとしても、香港というパイプがあれば、中国は多くのことをすり抜けられる。

香港は中国にとっての合法的な「貿易障壁の抜け道」なのだ。

これを見直されると、中国経済には大きな打撃になる。そして、後述するように、アメリカでは見直すべきだという動きが実際に生じている。

 

香港が果たす金融面での役割

金融面において香港が果たす役割は、もっと本質的で、もっと重要だ。

中国では強い資本規制が実施されており、当局が金融市場や銀行システムに介入する。

しかし、香港には資本規制がない。香港市場は、世界有数の自由で開放的な市場だ。

このため、中国企業は、香港の株式や債券市場を利用して、外国資金を呼び込むことができる。

外国企業は、中国大陸に進出する際に、香港を足掛かりにする。

外国から中国への直接投資も、中国から外国への直接投資も、大半は香港経由で行われる。

1997年に中国が香港の管轄権を回復して以来、香港は何兆ドルもの資金調達を行い、中国と世界をつなぐパイプ役となってきた。

資金調達の第1の形態は、新規株式公開(IPO)だ。

工商銀行などの国有企業も、IT大手の騰訊控股(テンセント・ホールディングス)などの民間企業も、大手中国企業のほとんどは、香港に上場している。

最近では、すでにアメリカ市場で上場を果たした中国企業が香港で上場する動きもある。

阿里巴巴(アリババ)集団は、2014年にニューヨーク証券取引所でIPOを実施したが、2019年11月に香港への重複上場を果たした。

2020年6月には、インターネットサービス大手の網易(ネットイース)やネット通販大手の京東集団(JDドットコム)も相次いで香港に上場した。

そして、アメリカ・ナスダック市場に上場している中国IT大手の百度(バイドゥ)は、2021年3月、香港証券取引所にも上場した。重複上場はバイドゥで15社目になる。

 

中国当局は中国企業のNY上場を制限

最近起こった滴滴(ディディ)のIPO直後の当局による規制強化事案に見られるように、中国当局は、中国企業がニューヨーク市場で新規上場するのを制限する方針だ。そうなると、香港市場の役割はさらに増すだろう。

リフィニティブのデータによると、2018年の中国企業によるIPOを通じた資金調達額は642億ドルであり、世界全体のIPO総額のほぼ3分の1を占める。

そのうち、香港上場の上場での調達額は350億ドルだ。それに対して、上海と深圳は197億ドルにとどまる(Reuters, 2019.9.5)

また、香港ドルは米ドルに連動しているため、国際決済通貨で資金調達できることになる。

香港市場への上場は、外国企業の買収や国外投資に向けた国際決済通貨を入手できることを意味するのだ。

中国企業はまた、香港を通じ、銀行の融資および社債の発行という形で多額の資金を借り入れている。

中国企業が昨年海外市場で行ったドル建て起債1659億ドルのうち、33%を香港の債券市場が占めた(Reuters, 2019.9.5)。

香港の経済規模は、1997年には中国大陸の18.4%もあった。この比率は、2018年には、2.7%に低下している。

しかし、表現の自由や、独立した司法が保証する国際金融センターとしての地位は、中国の他の都市によって代替することはできない。

香港には、中国内外の金融・ビジネス関係者が公平で非政治的な取引を行うことのできる欧米型の法・規制制度がある。

法の支配、有能な規制当局、低い税率、自由な資本移動、英語の使用といった面で、香港は中国本土のライバル都市と比べて大きな違いがある。

上海市場と深圳市場は、以前に比べれば利用しやすい市場になったと言われる。

しかし、投資家は、香港における法的保護のほうが依然望ましいと考える。

このため、上海市場でさえ、近い将来に香港の役割を果たすことはできないだろうと言われる。

 

中国軍が乗り出せば香港の地位は傷つき、中国にも打撃

こうした仕組みを運営できるのは、「一国二制度」という独特の統治制度があるためだ。

この制度の下で、香港には中国本土にはない表現の自由や独立的な司法などの自由が保障されてきた。

これが保障されないことになれば、「安定した国際金融センター」「世界から中国本土への投資の玄関口」という香港の地位は、深刻なダメージを受ける。

貿易面でもそうだ。

アメリカが香港に対して「香港政策法」で特別扱いをしてきたのは、香港が中国政府から独立していると判断してきたためだ。

それが保障されなければ、アメリカが同法を修正することもありうる。

トランプ政権時代の2020年5月、ポンペオ国務長官(当時)は、香港がもはや中国本土からの自治を維持していないと判断していると議会に伝えた。そして、ドナルド・トランプ前アメリカ大統領は、2020年7月、香港への優遇措置を撤廃する大統領令に署名した。

一部のアメリカ上院議員は、「香港政策法」を修正し、香港を中国本土と別の関税エリアとする扱いを変更する意向を示唆している。

中国政府が今後も香港で強権的な弾圧を続けるなら、海外の投資家は、香港を捨て、シンガポールなどの信頼度が高い金融センターに取引を移す可能性がある。そうしたことが起きれば、中国経済に対して、きわめて大きな打撃となるだろう。

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