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「ほっともっと」がコメの自社生産に乗り出す訳

国内店舗で自社生産米を使用する計画は現時点でないが、担当者は「生産コストを引き下げるノウハウが確立できれば、国内で検討することもありうる」と話す(記者撮影)

業界では異例!食材流通の「最上流」への進出

岸本 桂司 : 東洋経済 記者

2021年03月30日 

 持ち帰り弁当チェーン「ほっともっと」などを展開するプレナスが、コメの自社生産に乗り出した。

食材流通の「最上流」と言えるコメ作りにまで外食・中食業界の企業が進出するのは異例だ。農業経営のノウハウを一切持たないところからのスタートで、一見非効率のような取り組みをなぜ進めるのか。



 * 海外店舗に供給、現地米の代替狙う

「ほっともっと」や和食レストラン「やよい軒」を展開するプレナスにとって、コメは最重要の食材だ。 

台湾で展開する和食レストラン「やよい軒」(写真:プレナス)

フランチャイズや直営で約2890店を擁する国内では年間約4万トンを使用する。

卸業者や生産者団体などを通して国内の米どころから仕入れた玄米を、自社工場で精米したうえで店舗に供給している。

一方、タイや台湾、韓国などで約260店を展開する海外(年間使用量約1000トン)では現在、現地米や日本からの輸入米で全量を賄っている。 

海外店舗数の7割超を占めるタイでは現地で生産されるジャポニカ米を調達するものの、日本のコメに比べて味や品質の安定性などの面で大きく劣る。

その解決策として浮上したのが、海外店で使用するコメを自前で生産する案だ。 国産米であれば品質の問題はクリアでき、卸業者などを通した場合に発生する中間マージンを可能な限り省くことでコスト削減につなげられる。


 「日本の食ブランド」として海外展開するうえでは、国産米を使うことでのブランディング効果も期待できる。

2020年2月にプロジェクトチームを立ち上げ、検討を進めてきた米づくり事業推進室の佐々木哲也室長は「コメ流通の川上から川下まで一貫して関与することで業界のコスト構造が把握でき、生産者との交渉などにも効果が期待できる」と話す。

自社生産の場所に選んだのは、埼玉県加須市にある約2.2ヘクタールの農地。

現行法では企業による農地の購入には国家戦略特区など一部を除いて厳しい制約があるため、農地中間管理機構(農地バンク)を通して借り受けた。作付けするコメの銘柄は検討中だが、5月ごろに田植えをし、10月ごろには約10トンを初収穫する予定という。

コスト削減への具体策としてカギを握るのが、ICT(情報通信技術)など最先端技術を活用して省力化や生産性向上を図る「スマート農業」の導入だ。水田に種を直接まく「直播」や農薬散布などには従来であれば人出がかかるが、ドローン(小型無人機)を使えば作業を大幅に効率化できる。田に入れる水量の管理にはセンサーを使い、荒天時にわざわざ目視で確認しに行く必要もなくなる。 

収穫量が多く業務用に向いた品種である「多収米」と合わせた生産法を検討していくという。

* コスト削減の実現には長期戦

当面の課題はいかに早期に従来型の調達方法を下回るコストを実現するかだ。

コメ作りに従事する同社の社員3人には農業経験がほとんどない。

現地の大規模農家からの技術指導を受けられるとはいえ、素人の段階からノウハウを積み上げていくのは容易ではなく、長期戦の覚悟が必要になる。

佐々木室長も「1年目のコストが従来の仕入れ方法によるコストに勝てるとは思っていない。

時間がかかるかもしれないが、中長期的にコストをどこまで下げられるかのチャレンジになる」と言う。 

自社の精米工場がある埼玉県でコメの生産に乗り出した(写真:プレナス)

 まずは5年程度で作付面積を30~50ヘクタールまで拡大することが当面の目標になる。これで海外使用分の4分の1を賄える計算になるが、長期的には海外9つの国・地域の「ほっともっと」や「やよい軒」で消費される1000トンの大半を自社生産米に置き換える計画だ。

 そして、ゆくゆくは海外にある自社チェーン以外の日本食レストランや現地の一般消費者らへの外販を見据える。

自前のコメを海外店舗で使い、その味が評判を呼べば、現地での一般販売の拡大につながるというサイクルを確立させる。

そこで「ブランド米」としての評価を築くことができれば、新たな収益源としても期待できる。 


 国内では農業従事者数の減少や高齢化が進行し、それに伴う耕作放棄地の増加が深刻になっている。国内店はコメの使用量が海外とは桁違いに多いため、自社生産に置き換える計画は現時点でないが、そもそも国内農業が衰退すれば現状の調達方法にも支障が出てくる可能性さえある。 

将来的に海外での販路拡大が軌道に乗っていけば、凋落の一途である国内農業を守る一助にもなりえるうえ、企業による農業参入の活性化にもつながりそうだ。  

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『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』

2021.03.11

誰もが幼い頃から慣れ親しんできた「日本の昔話」ですが、その主役はなぜ圧倒的にお年寄りが多いのでしょうか。 

昔話の主人公に「老人」が選ばれるのは、二つの理由があると著者はいう。 

一つ目は、老人の「社会的地位の低さ」にある。

有力な働き手と成り得ない非力な老人は、貧しく不安定な社会では、基本的に「社会のお荷物」である。 

 でも、神仏の助け、動物の助けで豊かになったり、あるいは知恵と知識の力で危機を逃れるという昔話の展開には、「逆転劇」のような面白さがある。 

「徒然草」では「老いて『智』が若いときよりまさっているのは、若い時の容姿が老いたときよりまさっているのと同様である」と、老人の特徴として「智」をあげている。

このことは、昔話の多くの語り手が老人であることと関係する。

そして、老人は故事や過去の歌などを問い合わせるのにはうってつけの存在だ。 

認知能力が衰えているという老人の特徴も、閉塞状況を打開し、「逆転劇」をもたらす要素になっている。昔話や古典文学は、マイナス要素であるはずの老醜さえ、時には武器になると教えてくれる。

さらに体力のなさも、物語を突き動かし、主役の運命を不幸から幸へ、貧から福へ逆転させる原動力ともなる。

 老人は共同体での地位の低さであったり、心身の衰えといった弱点ゆえに、思わぬダークホースとなって物語を動かす。そもそも弱者が強者を倒したり、主役を助けたりといった「意外な力」を発揮して、その存在感を示すというのは、古今東西の物語のパターンである。

 そして老人が主役である二つ目にして最大の理由が、「老人そのものがもつ物語性」にあると著者はいう。

 昔話には「隣の爺」と呼ばれる型がある。

「良いお爺さん」の「隣」に「悪いお爺さん」が住んでいて、良いお爺さんが知恵や親切で、神様や動物の恵みを受け金持ちになったのを羨んで、中途半端にその真似をし、ひどい目にあうというパターンで妙に現実味がある。

老人がこのように、はっきりとした善悪の対象として描かれるのは、老人そのものがもつ極端さ、年とともに「極端化するキャラクター」に起因するらしい。極端化……わたしもそうかも~。

  年を重ね経験を積むにつれて、怒りっぽい人はより怒りっぽく、優しい人はより優しく、個性が特化して、所得格差も開き、境遇もバラエティに富んでいきます。

1990年代の大半を〈変人を探しもとめる〉旅に費やしたという都築響一は、日本中で出会った変人のうち、もっともクリエイティブというか、多産にしてオレサマ人生を疾走していたのは、なぜか圧倒的にじいさんなのだったといいます。

 老人ほど容姿、言動、性格において、変化に富んだ存在はありません。

これが同じ人間か、と驚くほどです。老人は「キャラクターが立っている」のです。

そういう極端さが、神にも鬼にもなり、「いいお爺さんと悪いお爺さん」という書き分けにつながっている。

 昔話が語り口の面白さにあるとしたら、こうした老人ほどふさわしい存在はないでしょう。

 わたしは編集者時代に、女性スタッフがわたしに向けた「鬼……」というツブヤキを聞き逃してはいない。当時は中年後期だったか。



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