知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳


『知識創造理論』はビジネス最強の武器になる──その理由とは(写真:adam121/PIXTA)

四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か

野中 郁次郎 : 一橋大学名誉教授 / 遠藤 功 : シナ・コーポレーション代表取締役

2021年01月28日

 『現場力を鍛える』『見える化』など数多くの著作があり、経営コンサルタントとして100社を超える経営に関与してきた遠藤功氏。

遠藤氏が緊急出版した『コロナ後に生き残る会社 食える仕事 稼げる働き方』はいまも反響が大きい。

わずか半年ほどで世界を震撼させ、経済活動や社会活動をいっきに停滞させ、世界中の人々の生活をどん底に陥れた「コロナ・ショック」。

2020年は「コロナ・ショック」で経済的な側面だけでなく、日本人の価値観や働き方も大きく変わっていったが、2021年もその変化は続いている。

 このたび『ワイズカンパニー』『知識創造企業 新装版』を上梓した一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏と遠藤氏が対談を行った。

これからは「『知識創造理論』はビジネス最強の武器になる」という。その理由について両氏が語る。


野中郁次郎(のなか いくじろう)/一橋大学名誉教授。1935年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造勤務の後、カリフォルニア大学(バークレー校)経営大学院にてPh.D.取得。南山大学、防衛大学校、一橋大学、北陸先端科学技術大学院大学各教授を歴任。日本学士院会員。知識創造理論を世界に広めたナレッジマネジメントの権威。

主な著作に『知識創造企業』『失敗の本質』などがある

遠藤功(えんどう いさお)シナ・コーポレーション代表取締役。早稲田大学商学部卒業、アメリカ・ボストンカレッジ経営学修士(MBA)。三菱電機、複数の外資系戦略コンサルティング会社を経て現職。2005~2016年早稲田大学ビジネススクール教授。2020年6月末にローランド・ベルガー日本法人会長を退任。7月より「無所属」の独立コンサルタントとして活動。良品計画やSOMPOホールディングスの社外取締役を務める。主な著作に『現場力を鍛える』『見える化』などがある



 *SECIモデルの起点は「共同化プロセス」にある

遠藤:1995年に英語版の『知識創造企業』が世に出て、翌年出版された日本語版を当時の私もむさぼり読みました。

野中:ありがとうございます。『知識創造企業』と『ワイズカンパニー』を一緒に読むと、前著で取り上げられた日本企業と後著のそれの顔ぶれががらりと変わっています。

前著では知識創造のメカニズム、つまり「SECI(セキ)モデル」がうまく合致する新製品開発プロセスにフォーカスしているのに対し、後著は経営全般に光を当てています。

そのため、顔ぶれが違って当然といえば当然なのですが、例えば、前著で取り上げたシャープは、後著では候補にもなりませんでした。

「イノベーションを生む経営の持続力」という面で、この四半世紀、「日本企業が失ったもの」は何なのか、一度考えてみたいと思っています。

 

 

出所:野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業(新装版)』

遠藤:それはとても興味深いテーマですね。ぜひ考察をお願いします。

「SECIモデル」の大前提は、最初の「Sの共同化(Socialization)」、つまりは「暗黙知」を互いに共有するプロセスにあると考えてよいのでしょうか?

野中:そのとおりです。もっと簡単に言うと、「お互いが裃を脱ぎ、向き合って共感すること」です。


*「共感」は相手の行動を目にした途端「無意識に起こる」

野中:そうすると「相手の視点」に無意識に達することができ、「唯一無二のペア」になる。

その結果、「相手が何か困っているなら、何とかしてやりたい」と悩むことになります。

ひとしきり悩んだ後、「では一緒に解決しよう」となると、そこに「対話」が生まれます。 

「思い」が「言葉」に、「暗黙知」が「形式知」に変わる。それが「Eの表出化(Externalization)」です。

 次の段階として、「暗黙知」が「形式知」となり、その「形式知」と「新たな形式知」が組み合わさって、「コンセプト」や「モデル」となります。

それが「Cの連結化(Combination)」で、それらを実践することで、各自が「新たな暗黙知」を獲得し身体化するのが「Iの内面化(Internalization)」です。

こうやって組織内を「SECIモデル」がぐるぐると廻っていくわけです。

遠藤:改めてそう聞くと「SECIモデル」はとても手間のかかるプロセスですね(笑)。

だからこそ最初に、お互いがペアになるための「共感」が必要になるのでしょうか。

野中:それはそうかもしれません(笑)。

興味深いのは、「共感」というのは、「相手の行動を目にした途端、無意識に起こる」ということです。

人間の脳には、他者の行動を外から眺めているだけで、あたかも鏡のように、その行動を自分が行っているような働きをする細胞があります。

これを脳科学では「ミラーニューロン」と呼んでいます

遠藤。それがあるから、2人の人間が出会ったら、すぐにシンクロナイズできるのです。

遠藤:「SECIモデル」は哲学だけではなく、脳科学も取り込んでいるということですね。

野中:そうです。その共感関係の原型は「親子関係」なのです。

赤ん坊にとっては、いま触れている肌が自分のものか母親のものか、いま聞こえた声が、自分が発したのか母親なのかが、よくわからない主客未分関係にある。

そこには母親との一心同体の共感しかありません。

その状態を現象学では相互主観性(が成立した状態)と呼んでいます。

遠藤:現象学まで取り込んでしまうとは、つくづく奥が深い。

私が「知識創造理論」をすごいと思うのは、世界で唯一といっていい、「組織において新しい知がつくり出される

プロセスをしっかり説明した理論」だからです。「知識社会」という言葉を発明したピーター・ドラッカーも、『知識創造理論』を「現代の名著」と絶賛していたくらいですから。

遠藤:さらに言うと、2つの意味ですごいと思っています。

ひとつは、「経営における『情報』と『知識』の違いを明らかにした」こと。

すごくはしょっていうと、「情報」というのは、「人間の目的や信念とは関係なく外からもたらされるもの」であるのに対し、「知識」は「目的や信念に深く関わり、人間自身が作り上げるものである」ということです。

現代の企業を制するのは「情報」よりも「知識」なんですよ。

そういう意味では、「知識創造理論」は競争力の源泉となる革新、つまり、イノベーションが起こるメカニズムを説明する際にも活用できる。 

野中:そのとおりですね。

遠藤:もうひとつは、その「知識」にも2種類があることを明らかにしたことです。

ひとつは言語化あるいは記号化された「形式知」であり、もうひとつが言語化や記号化が困難な、その人の身体に深く根差した「暗黙知」です。

その2つをもった個人が全人格的に交流しながら新たな知を紡いでいく。

それが知識創造のプロセス、すなわち「SECIモデル」ということですよね。

野中:おっしゃるとおりです。

「形式知」と「暗黙知」の区別は氷山で考えるとわかりやすいんです。

海の上に出ていて、その正体がよく見えるのが「形式知」であり、逆に海の底に潜って見えないのが「暗黙知」なんです。

暗黙知と形式知はグラデーションでつながっていますが、「暗黙知」こそが人間の創造力の源泉なのです。

 

*知識創造が「神棚に供えられて」しまっている

遠藤:なるほど。私が最近思っているのは、この「SECIモデル」にしても、知識創造にしても、多くの日本人が日本企業の現場で日々取り組んでいることにほかならないということです。ほかの国ではなかなかそうはいかないでしょう。

知識創造が「大衆化」「民主化」されているところに日本の強みがあったはずなのに、それがどんどん薄れてきた。

知識創造が神棚に供えられ、「特殊な人しか実行できない特別なもの」のように思われている。私はそこを大変残念に思っています。

野中:最初に「思いや共感ありき」ではなく「理論や分析ありき」になっているからではないでしょうか。

野中:同志社大学教授の佐藤郁哉さんが、いみじくもこう言っています。

「ビジネスの現場に相当、浸透しているPDCAサイクルは、得てして『PdCaサイクル』になりがちで、『P』と『C』は大きいが、『d』と『a』は尻すぼみだ」と。

何を言いたいかというと、肝心の「実行(Do)」と「行動(Action)」がほとんど行われず、「計画(Plan)」と「検証(Check)」ばかりになってしまうというわけです。

その結果、「オーバープランニング(過剰計画)」「オーバーアナリシス(過剰分析)」「オーバーコンプライアンス(過剰規則)」という3つの過剰病にかかって、実行力が衰え、組織が弱体化しているのです。

理屈をこいている暇があったら、まずやってみる。うまくいったら儲けもの、うまくいかなかったら反省して「別の方法」を試す。

何が真理かといったら、うまくいったものが真理になるのです。

遠藤:私が思うに、いい経営をしている企業は結局、「SECIモデル」を廻しているのです。

しかも、それは世界中の企業に当てはまるはずです。

 

*数値至上経営の「虚妄」

野中:「われ思うゆえにわれあり」と説いたデカルト以来、サイエンスは分析至上主義できました。

サイエンスは分析と不即不離の関係にあるので、仕方がありません。

でも、そのサイエンスだって、最初に「分析ありき」ではないはずです。

人間には身体がありますから、物事を認識する最初のプロセスにはその身体を通した主観的な経験がくる。

その主観的な経験の本質を極めていくと客観的な数値やモデルになり、それがサイエンスになる。

最初に「経験ありき」で、その後に分析がくる。その順番は揺らがない。

遠藤:それが逆転しているのが、一部コンサルタントや経営学者が、アメリカの受け売りで一時盛んに唱えていた「ROE(株主資本利益率)経営」ですね。

野中:そのとおりです。ROEの値は、何の価値も生まない自社株買いや社員の解雇による経費削減でも高まります。

「ROEの値ありき」で走ると、株主しかハッピーになりませんから、「経営の持続性」が損なわれ、結局、「何のためのROEなのか」わからない。

最近はさすがに流行らなくなってきたので、「ESG(環境・社会・ガバナンス重視)経営」に乗り換える輩もいる。

SDGsへの熱狂などを見ると、「バッジを付け替えればいいのか、もうやめてよ」と言いたくなります(笑)。

遠藤:情けない話ですね。

野中:最近、伊藤忠商事が企業理念を「三方よし」に変えました。

清水建設は「論語と算盤」を社是にしました。

日本企業は古くからSDGsに取り組んできたわけです。

それには頬かむりして、バッジ付け替え組は、さも新しい経営手法のように唱道してしまう。

実に嘆かわしいことです。

(構成:荻野進介) 

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