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「アフター・コロナ」は意外に明るい時代になる

今から100年前のアメリカが教えてくれる未来

吉崎 達彦 : 双日総合研究所チーフエコノミスト

2021年01月09日

 

今年はどこへも行かない静かな正月を過ごした。『孤独のグルメ』の再放送を何度も見て、「箱根駅伝」はスタートからゴールまで見てしまった。年明けの「書き初め」には、少しばかり遠方をにらんだ「2020年代論」を語ってみたい。


 

*アフター・コロナ時代は100年前のアメリカが参考に

この年末年始は、「コロナさえ終わってくれれば……」という挨拶をよく聞いた。

正直、その通りである。そしてこれは信じていいと思うのだが、パンデミックはいつか必ず終わる。

とはいえ、アフター・コロナ時代がコロナ以前に戻るかというと、たぶんそうはいかないのであろう。

2020年を境に、世界はくっきりと変わってしまうことになるはずである。

今から100年前にあたる1920年代のアメリカの歴史が、2020年代を生きるわれわれにとってのひとつの参考になりそうだ。

1917年から1919年にかけてのアメリカでは、第1次世界大戦への参戦により11万6516人、スペイン風邪の流行により67万5000人が死亡した。当時のアメリカの人口は1億人程度なので、実に総人口の1%に迫る人命が失われたことになる。

Covid-19による全米の死者数は、本稿執筆時点で35万人といったところである。

これも歴史を変えるには十分な規模と言えようが、ともあれ100年前のアメリカの「喪失感」は深かった。

1920年の大統領選挙では、オハイオ州選出の共和党上院議員、ウォーレン・ハーディングが出馬した。

彼が掲げた選挙スローガンは「平常への回帰」(Return to Normalcy)であった。

「もう二度と欧州へ戦争に出かけたりはしない、古き良き時代のアメリカに戻るのだ」というメッセージは、世界大戦とパンデミックに疲れた多くの国民の心に響いた。

前職のウッドロー・ウィルソン大統領(民主党)は、アメリカを第1次世界大戦参戦に導き、戦勝後のパリ講和会議では国際連盟を創設するなど八面六臂の大活躍で、1919年のノーベル平和賞も受賞している。

ところがアメリカ議会は、国際連盟への加盟を拒否してしまう。

ウィルソンは任期の最後は脳梗塞に倒れ、まったく精彩を欠いていた。

国民の側でも、速やかに前の時代を忘れたかったのだろう。

民主党はウィルソンの後継者として、オハイオ州知事のジェームズ・コックスを擁立した。

同時代の作家、アービング・ストーンは1920年選挙を回顧して、「あらゆる面でハーディングよりもコックスのほうが優れていた」と断じたものだが、選挙結果は一般投票で60%対34%という圧倒的な大差で共和党のハーディングの勝利に終わった。

それではアメリカは「平常」(Normalcy)に回帰できたのか? いやいや、とんでもない。

1920年代は「狂乱の20年代」(Roaring Twenties)と呼びならわされている。

戦争とパンデミックで怖い思いをした人々は、その後の平和な時代に思い切りはじけてしまったのだ。

 

*アフター・コロナ時代は意外と高成長に?

1920年代のアメリカは孤立主義に回帰し、移民の受け入れを制限するなど「内向き」となった。

他方、経済政策では自由放任主義、富裕層減税によって未曽有の好景気を迎える。

ウォール街(株価)は高値を更新し続け、それは1929年10月24日の「魔の木曜日」まで続くことになる。

当時のアメリカでは冷蔵庫や洗濯機といった電気製品が普及し、ラジオやトーキー(音響付き映画)などの新技術が大衆文化を切り開いた。

大量生産方式で作られたT型フォードが爆発的に売れた。

自家用車の普及はガソリンスタンドやモーテルの整備をもたらし、インターステートと呼ばれる高速道路網の建設が始まった。

上下水道や発電所などの生活インフラの整備も進んだ。

ニューヨークやシカゴで、「摩天楼」と呼ばれる高層ビルディングの建設が競われ始めたのもこの頃からである。

それからすでに1世紀が経過したことを考えると、バイデン次期政権が「インフラ投資」を目指すのも、むべなるかなである。

「命からがら」を経験した人たちは、得てしてリスクに対して大胆になれるものだ。

日本における戦中派世代が、戦後は企業戦士となって高度成長時代を切り開いたことを想起すればいい。

アフター・コロナの世界経済は、意外と高成長時代となるのかもしれない。

1920年代の時代精神を代表する人物として、チャールズ・リンドバーグを挙げよう。

1927年に25歳の若さで、初の大西洋単独無着陸横断飛行を成し遂げた。

彼が操縦する「スピリッツ・オブ・セントルイス」号の翼は、33時間の孤独な旅の末に「パリの灯」を目撃することになる。

冒険の動機は高邁な理想などではなく、2万5000ドルの賞金(現在の価値に換算して2000万円前後とも)と功名心であった。

1920年代を描いた代表的な文学作品に、スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』(1925年)がある。

高級住宅街で、夜ごと豪華なパーティーを繰り広げる大富豪がいる。

そこには好況を謳歌する人たちが集まってくる。しかるに彼の正体は貧乏な元軍人であり、その思いは昔の恋人を取り戻したいという1点にある。

富裕な時代に真実の愛を求めるギャツビーの純粋さは時代を超える。

同作品はたびたび映画化され、ロバート・レッドフォード(1974年)やレオナルド・デカプリオ(2013年)の当たり役となっている。

ただし1920年代の政治家はまったくいただけない。

前述のハーディング大統領は、汚職まみれで任期中によくわからない死に方をしており、歴代のアメリカ大統領ランキングでは最下位を争う常連である。

後を継いだカルビン・クーリッジ大統領も、「無口なカル」と呼ばれる地味な存在であった。

もっともその政権下において、アメリカは減税と財政再建の両方に成功するのだが。

思うに1920年代とは、争いごとが多かった20世紀の世界におけるつかのまの晴れ間のような時期である。

日本は第一次世界大戦の戦勝国として、国際連盟では常任理事国となり、明治維新以来の緊張感が和らいでいる。

国内的には大正デモクラシーの時代にあり、中産階級が勃興している。

関東大震災や昭和金融恐慌に見舞われたりはするけれども、概して良い時代であったようだ。

 

*「犠牲を払った世代」は冒険や挑戦を恐れない

故・岡崎久彦氏(元駐タイ大使などを歴任した名外交官)は、『故郷』(兎追いし かの山=大正3年)や『赤とんぼ』(夕焼け小焼けの 赤とんぼ=大正10年)など、今も歌われる唱歌や童謡の多くが大正期に作られたことを指摘して「平和ないい時代だったんだよ」と語ったものである。

明治の武士の精神に対して「婦女子の心情を臆面もなく歌い上げたのが大正の精神なのだよ」とも。

ただし、その直前の日本にはやはりスペイン風邪の流行があり、当時の内地人口5600万人のうち実に45万人が亡くなっていた。

その辺のことはスカッと忘れてしまって、100年後に別のパンデミックに直面して慌てふためいているわれわれがいる。

2020年代のアフター・コロナの世界は、明るい時代となるのではないだろうか。

100年前と同じように、AI、ビッグデータ、フィンテックなど新しい技術のネタはたくさんある。

高速大容量通信網や再生可能エネルギーといったインフラ需要もある。そして多くの犠牲を払った世代は、冒険や挑戦を恐れなくなる。

つらい我慢の時代の後は、かならずしも「平常への回帰」になるとは限らないのだということをお忘れなく。

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