おがわの音♪ 第1041版の配信★


誤解されたスウェーデン「コロナ対策」の真実

 「集団免疫戦略」ではなく、「持続可能性」を重視

翁 百合 : 日本総合研究所理事長/ NIRA総合研究開発機構理事

2020年08月16日


ストックホルムのストランドヴァーゲンから群島巡りのフェリーに乗ろうと行列する人々。7月27日撮影だが、マスクをしている人がほとんどいないのはノルディック諸国に共通だ(写真: AFP=時事)

スウェーデンにおける独自の新型コロナウイルス政策は、世界から注目されている。

スウェーデンがロックダウン(封鎖)をしなかったことに対し、国外からは、国民の自主性を尊重するという倫理的な視点から評価する声があり、国民生活の面でも打撃は英国やユーロ圏よりも相対的に小さいのではないかとの見方もある。しかし、海外から発信されるコメントの多くは批判的なものである。

5月には米国のトランプ大統領が、スウェーデンの緩やかな対策は大きな代償を払うだろうと厳しく批判した。他にも「スウェーデンはいわゆる『集団免疫戦略』を採用している」とか、「経済を最優先した結果ロックダウンをせず死者が増えた」、といった報道が多い。

しかし、これらはスウェーデンのコロナ対策の実態や背景を理解しているものとは言い難い。


「ロックダウンなし」が死者が増えた原因ではない

確かに、スウェーデンの新型コロナによる死者数をみると8月11日時点で5766人であり、死亡率は100万人あたり570人を超える。この比率は日本の8.3人との比較はもちろん、他の北欧諸国と比較しても高い水準にあり、これが批判の対象となっている。欧州各国との比較ではベルギー、英国、スペイン、イタリアなどに次ぐレベルである。だが、死者が多かった背景としては、むしろ介護システムの問題が大きかったと考えられる。死者の9割は70歳以上であり、その5割が介護施設に居住していた。これら介護施設は市町村が管轄するもので、重度の要介護の高齢者が入っている。感染防止対策が不十分な環境下にあったパート勤務の介護者などが施設での介護を行っていたため、クラスターが発生したという構造的な問題があったのである。1992年に「エーデル改革」といわれる医療と介護の機能分担の連携体制について改革が行われた後、高齢者の在宅介護政策が進められ、介護施設の管轄は県から市町村に移った。この結果、介護施設における医療が手薄になったほか、民営化が進んだことからコスト削減が厳しく求められるようになった。また労働者を簡単に解雇できないこともあって、介護者の3割は安い時給で働くパートタイマーで、その多くが移民であり、感染しても収入を得たいために欠勤しなかったという(カロリンスカ大学病院医師・宮川絢子氏「現地在住医師の目からみたスウェーデンの新型コロナ対策」<NIRA総研>を参照いただきたい)。こうした現状を踏まえれば、ロックダウンしなかったことが死者の数に直結しているとは、必ずしも言えない。そこで、スウェーデンがロックダウンを採らず、緩やかな国民の自主性に任せる対応を決めた背景には何があるのか、なぜ他国と異なる独自の政策を継続しているのかについて、より深く説明したい。スウェーデンのコロナ対応は、強制的なロックダウンは行わない緩やかなものであるが、社会的距離(ソーシャルディスタンス)の確保、50人以上の規模の集会や高齢者施設への訪問の禁止など、いくつかの規制もしくは順守事項はある。日本と相違するところは多々あるが、日本で4月から5月にかけて緊急事態宣言が発せられた際にも、多くの欧米諸国が実施したロックダウンという強制的な対策をスウェーデンは採らなかった。国民の自主的な判断や行動に任せるという点では、日本と類似した手法が選択されているともいえる。ロックダウンを行わなかったのは「集団免疫戦略」を採用したからだとの海外からの見方を、スウェーデン政府は閣僚のインタビューなどで明確に否定している。そして、感染拡大防止、医療崩壊の回避を目的としている点では諸外国と同様の対策であることを、対外的に強調している。筆者がインタビューしたペールエリック・ヘーグベリ駐日大使も、ロックダウンをとらなかった理由は集団免疫戦略ではないと強調したうえで、今回の感染症には長期的な対応が必要になるとみて、国民・社会が長く耐えられる持続可能な対策を採ることにしたからだと説明している(ペールエリック・ヘーグべリ 駐日スウェーデン王国特命全権大使「国民の信頼に支えられるスウェーデンの感染症対策」<NIRA総研>)。

憲法の規定で国民の移動は禁止できない

さらに、政府がそもそも国民の移動を制限することは、憲法上できなかった点に注目する必要がある。個人の移動の自由に関しては、同国の憲法第2章「基本的自由及び権利」第8条 において、「すべての人は公的機関による自由の剥奪から保護される。その他、スウェーデン市民である者には国内を移動し出国する自由も保障される」と明記されている。すなわち、平時の条件下で、国内および国境を越えたスウェーデン国民の完全な移動の自由を保障している。非常時における国民の移動制限が憲法の条文に入っていないのは、スウェーデンが1814年以降戦争を行っておらず、長く非常事態がなかったためとの指摘もある。憲法が地方自治体に強い役割を与えており、分権化された社会となっていることも特徴である。

現在、スウェーデンの地方自治制度では、基礎自治体である「コミューン」が介護や保育などの福祉、学校教育を担い、都道府県にあたる「レジオン」が医療を担当している。中央政府の命令で地方自治体の自治が制限されることはない。加えて、スウェーデンの国民はほとんどが共稼ぎである。強制休校措置はただちに病院を含めさまざまな職場に影響し、社会的混乱を招く。そうしたことも、全国一斉休校措置がとられなかったことの判断の背景にある。ちなみに、この過程で感染拡大で休校せざるを得なくなった場合に学童保育に子どもを預けられる保護者の職業リストが、国から示されたそうである。なお、医療分野においては、スウェーデンの病院は私立が少なく公立が多い。であるからこそ、公立病院は採算をあまり気にせずにコロナ対応に集中できる側面もあり、地方自治体による自治が尊重されているものの、国全体では病院間の連携がとれているとのことである。スウェーデンの独自政策に対しては、スウェーデン国内でも批判はある。しかしながら、現時点でも比較的多くの国民の支持の下で、政策は継続できている。なぜなのだろうか。理由として、第1に、専門家の考えを尊重する憲法上の仕組みがあること、第2に、国民の政府に対する信頼があること、そして第3に、自主性を尊重する国民性が底流にあることが指摘できる。

専門家の意見を尊重する枠組み

第1の点についてだが、スウェーデンでは「公衆衛生庁」と呼ばれる公的機関が新型コロナ対応に当たっている。この組織は、独立性が保証されている専門家集団である。憲法ではこのような公的機関は「中央政府の外」に独立して設置されており、「政府や議会は公的機関の独立性を尊重し、介入してはならない」とされている。この規定を政府や政治家が忠実に守っている。したがって、公衆衛生庁に勤務する専門家が推薦する政策がスウェーデンではそのまま実現される。この政策を指揮した疫学者の1人であるテグネル氏は、新型コロナが長期間にわたるものであること、そして、収束するまでの期間、国民が耐えうる政策を取るべきだということを、繰り返し国民に説明してきたという。実際、6月のブルームバーグのインタビューでも、「感染症は長期的に続くものであり、一時的にロックダウンをしても感染再拡大は防げないし、副作用もある」と話している。こうした専門家の考え方が尊重される土壌がスウェーデンにはあることを指摘しておきたい。

第2の点であるが、スウェーデン政府は、従来、危機にあたって高い透明性を示してきた。データで丁寧に説明責任を果たすアプローチをとっていることがあって、国民の政府に対する信頼度が比較的高いのである。

強制措置ではなく国民への推奨によって行動変容を促す政策に、国民は理解を示し、自主的に従っている。スウェーデンは1990年代の金融危機でも、そうした透明性の高いアプローチによって得られた国民の理解を基に、公的資金を大手銀行に大胆に投入して危機を早期に収束させている。国民の政治家への信頼に関しては、政治家の多くが庶民出身で若い頃から政治のプロフェッショナルとして鍛えられていること、比例代表制の選挙制度を採用していることも、信頼の土壌になっているとされる。

国民の自主性の尊重、医療についての考え方の違い

また、第3の点としては、国民の自主性を尊重する社会であることも重要である。スウェーデンでは医療へのアクセスはあまり良くないが、体調の悪い人は仕事を休み、家で待機してよいという職場のコンセンサスがあるなど、国民の行動の自主性を尊重する社会となっている。自分の行動は自分で決めることを尊重する国民性は子どもの頃からの教育で養われている点も特筆すべきことである。なお、国民性という観点で言えば、高い死亡率であるにもかかわらず、それをスウェーデン国民が混乱なく受け止めている底流には、医療に対する考え方の違いもあるのかもしれない。平時においても患者の治療にあたる医師が「その患者の予後」を考えた上で、必要な治療を決めることに対する国民的コンセンサスの存在もある。今回の感染症でも同じ視点に立ち、70歳以上の高齢者が新型コロナに感染して重症化した場合には、予後はどれくらいありそうか、後のリハビリに耐えられるか、といった点を総合的に判断し、ICU(集中治療室)に入れるかどうかを判断する裁量が医師には与えられている。また、家族の意向も日本ほど強くは医師の判断に影響しないという。こうした国民性の違いも理解する必要がある。以上のように、スウェーデンの特徴あるコロナ対応は、当初から新型コロナの影響が長期にわたると考えて持続可能な政策をとるという方針に沿ったものといえるが、その背景には、さまざまな制度や国民性がある。国民の移動の自由、専門家の意見の尊重、地方分権といった法律上の規定、共稼ぎ社会といった社会構造、政府に対する国民の信頼度の高さ、自主性を尊重する国民性などである。

海外の政策を見る際は、その背景を知る必要がある

ちなみに、スウェーデンの感染のピークは4月であり、ICUに入室する重症者数も死亡者数も多かったが、5月以降月を追って減少、死亡者も減少してきている。6月になってPCR検査が容易に受けられるようになったことで新規感染者(検査陽性者)数は一時的に増加したが、多くが軽症者である。最近は新規感染者も減少、横ばいの状況であり、8月中旬の現時点では第1波は収束してきているとみることができる。

われわれは、今後も粘り強く新型コロナウイルスと共存する生活を送らねばならない。有効な手立てを講じて国民の健康を守るためには、各国で実施されている政策についての知見を増やし、必要に応じて参考にしていくことも有益と思われる。しかし、その際には、その国の文化、歴史的背景、社会的資本、法制度や医療制度などの違いを多面的に研究して、誤解や思い込みを避ける必要がある。そのうえで、日本にとっての最善の在り方を検討、模索する必要があろう。

Copyright©Toyo Keizai Inc.All Rights Reserved.


コロナ禍とダイバーシティ

 コロナ禍が、日本企業における取締役会の多様性に関する取り組みを促進している。

なぜ取締役会の多様性が重要なのか。人材の偏りは持続可能性を乏しくするからである。

 社会が大きく変化している状況において、多様な人材をそろえて多様な考え方をできるようにすることは、危機管理能力の向上ひいては長期的な成長のために必要である。

同じ発想を持つ者のみで変化に対応していては、企業の生存可能性を低下させることになる。

 重要なのが、女性役員の活躍である。

女性の視点を経営に取り込むことが企業の競争力や成長性につながる。

実際、3人以上の女性役員を有する企業は、リスク管理やステークホルダーへの対応にたけており、持続可能性が向上する傾向にあるとの分析もある。

 独立社外取締役の活躍も欠かせない。

外部者としての視点や株主からの視点が取締役会にもたらされることで、ESG*に関する取り組みの充実化などが期待できる。

国籍や世代を越えた人材を確保できれば、さらに多くの考え方や視点を取り込むことができ、持続可能性の向上につながる。もちろん、単に多様な人材をそろえればよいというものではない。

各取締役の得意分野や能力を踏まえた実質的な多様性の確保に努めることが必要である。

 

 かねて日本企業は取締役会における多様性の確保が遅れていると指摘されていた。

それでも変化が進まなかったのは、目に見える弊害が生じなかったからかもしれない。

しかし、弊害は失われた30年として明らかになっている。殊に今般のコロナ禍に対応できないだろう。今こそ多様な価値観によって危機を乗り越えるべき時である。(環珠)

@朝日新聞デジタル

 

* ESG : 企業が持続的に成長できるか否かを判断する指標として用いられる、Environment(環境) Social(社会)、Governance(ガバナンス)の3要素の総称。



メール・BLOG の転送厳禁です!!  よろしくお願いします。