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「2020年版ものづくり白書」は何を語っているのか?

 5分でわかるその要点

2020/07/02

経済産業省、厚生労働省、文部科学省は2020年5月、ものづくり企業や技術の動向について取りまとめた「2020年版 ものづくり白書」を公開しました。ものづくり白書とは、政府がものづくり基盤技術の振興に向けて講じた施策に関する報告書であり、2001年に発刊されてから今回で20回目となります。

本稿では300ページ超におよぶ「2020年版 ものづくり白書」の中から、注目すべきポイントを紹介します。


 *不確実性が高まる世界の到来

 本白書では、日本の製造業にとっての大きな課題として、世界の「不確実性の高まり」を取り上げています。

 近年、地政学的リスクの高まり、急激な気候変動や自然災害、非連続な技術革新、そして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大の影響によるサプライチェーンの寸断など、製造業を取り巻く環境は急速に変化しています。本白書では、このような各国の政策や国際情勢、事業環境の急激な変化といった予測しづらい事態を「不確実性」と称しています。

 この不確実性の時代における競争で企業が優位なポジションを得るには、単に新しいデジタル技術を導入するのではなく、   それを企業変革力に結びつけられることが求められます。

世界の政策不確実性指数(1997.1-2020.1)

(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図121-7)

営業利益の推移(製造業業種別)

(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図111-6)

しかし本白書では、日本の製造業の IT投資目的の消極性データの収集・活用停滞老朽化した基幹系システムの存在などが課題になると説いています。 

 各国の政府や国際機関の議論で引用される代表的な指数によると、2008年のリーマンショック以降、「政策不確実性指数」は年々上がっています。

政策不確実性指数とは、政策をめぐる不確実性や政策との関わりで高まる経済の先行き不透明性を定量的に表す指標です。

主要新聞への経済、政策、不確実性の各カテゴリーの用語を少なくとも1つ含む記事の掲載頻度を指数化しています。 

 特に2018年以降は、米中貿易摩擦などで不確実性が高まり、たとえば製造業の経営や企業行動への影響が拡大しています。

不確実性が高い社会とは、何が起こるか分からない、先の読めない世の中ということです。そして2020年現在、この不確実性が「新しい常態(ニュー・ノーマル)」となりつつあります。

 米中貿易摩擦や天候要因、その他の不安材料の影響を受けて、日本の製造業の業績は、売上高・営業利益ともに現在の水準、今後の見通しともに縮小傾向が見られます。

近年回復傾向にあった設備投資も横ばいとなり、生産設備の導入からの経過年数は長期化が進んでいます。 

今後3年間の見通し(国内)(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図111-13)


*不確実性に対応する「ダイナミック・ケイパビリティ」

 不確実な世界では、環境変化に対応するために、組織内外の経営資源を再結合再構成する経営者や組織の能力が競争力の源泉となります。これがデビッド・J・ティース(カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクール教授)によって提唱された「ダイナミック・ケイパビリティ(企業変革力)」です。

 

 この理論によると、ダイナミック・ケイパビリティに必要なのは、

(1)脅威や危機を感知する能力(センシング)

(2)機会を捉え、既存の資産・知識・技術を再構成して競争力を獲得する能力(シージング)

(3)競争力を持続的なものにするために、組織全体を刷新変容する能力(トランスフォーミング)

の3つの能力だとされています。これらを高めるためにはデジタル化 が 有効といいます。

 不確実性の高い時代の製造業の戦略においては、マスカスタマイゼーションなどにより、顧客の特殊かつ少量のニーズの機会を逃さず捕捉することが大事になります。

これには、高いダイナミック・ケイパビリティ、そしてデジタル化が不可欠です。

 このダイナミック・ケイパビリティに対して、安定した状態に対応する能力が「オーディナリー・ケイパビリティ(通常能力)」です。オーディナリー・ケイパビリティとは、与えられた経営資源をより効率的に利用して、利益を最大化しようとする能力のことです。

 

*日本の製造業のDXにおける課題

 日本の製造業は、オーディナリー・ケイパビリティは非常に高いと思われますが、ダイナミック・ケイパビリティを高めるデジタル化への取り組みが停滞しています。 本白書によれば、生産プロセスに関する設備の稼働状況などのデータ収集を行っている企業の割合は、2019年度は51.0%となっており、2018 年度調査時より7%減少しています。

生産プロセスに関する設備の稼働状況等のデータ収集を行っているか(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図131-2)

海外工場も生産プロセスにかかるデータ等の収集・活用といった取り組みを行っているか(「海外生産拠点あり」に限定)

(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図131-7)

 また、センサーやIT を活用して個別工程、製造工程全般、人員のそれぞれの稼働状況の「見える化」によるプロセス改善などに取り組んでいる企業や、海外工場において国内工場と同じかそれ以上の生産プロセスにかかるデータなどの収集・活用を実施している企業の割合には、大きな変化は見られません2019年版ものづくり白書では、顧客目線でのビジネス展開も課題として挙げられていましたが、今回の白書ではデータ連携が進んでいないことが明らかとなっています。  

複数部門間での情報・データ共有について、販売後の製品の動向や顧客の声を設計開発や生産改善への活用を「実施している」と回答した企業は、2017 年度の15.8%から2019年度は8.4%へと大きく減少しています。 

 さらに、企業のIT投資の目的を見てみると、平時の際の効率性や生産性を重視する企業は旧来の基幹システム更新や保守を目的としたIT投資を重視する傾向があり、不測の事態に対する柔軟性を重視する企業ビジネスモデル変革や人材育成を重視していることが分かります。*

 

 

* こうした調査結果を踏まえると、日本の大企業には平時の際の効率性や生産性を重視する企業が多く、新型コロナの感染拡大をはじめとする不確実性の高まりも相まって、今後の投資についても停滞することが懸念されています。

 2018年に経済産業省の『DXレポート ~ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開~』において、「レガシーシステム」が残存した場合、IT 人材の引退やサポート終了などのリスクの高まりに伴う経済損失は、年間で最大12 兆円に上る可能性があると指摘されました。

 このレガシーシステムは、製造業のダイナミック・ケイパビリティとも関係しています。

レガシーシステムは、大量のデータの活用を困難にしたり、ITシステムの維持・運営費が重くのしかかるといった理由により、ダイナミック・ケイパビリティを制約するからです。 

 IT投資の目的に関する調査結果を見ると、オーディナリー・ケイパビリティ重視の企業は「旧来型の基幹システムの更新や維持メンテナンス」が75.0%を占めており、ダイナミック・ケイパビリティ重視の企業の47.1%に比べて圧倒的に高いことが分かります。ダイナミック・ケイパビリティを重視する企業ほど、レガシーシステムの維持・運営費を圧縮し、新たな価値創造に向けた取り組みによって多くのIT 予算を振り向けているものと考えられます。

IT投資の目的(青:平時の際の効率性や生産性を重視する企業、ピンク:不測の事態に対する柔軟性や俊敏性を重視する企業)

(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図131-11)



*エンジニアリングチェーンは日本の製造業のアキレス腱

 本白書では、エンジニアリングチェーンの重要性が改めて強調されています。

 日本の製造業の強みは、製造現場の熟練技能(匠の技)にあるとされてきました。 

左)仕様変更の自由度と品質・コストの確定度

(右)フロントローディングによる作業負荷の軽減

(出典:経済産業省、厚生労働省、文部科学省 2020年5月発表「2020年版ものづくり白書」図132-1,2)

しかし、2019 年版ものづくり白書でも指摘されているように、匠の技を支えてきた人材の高齢化などにより、製造技能の継承が問題となるなど、現場の熟練技能に依存することの限界が見えつつあります。

 さらに、近年の不確実性の高まりや製品の複雑化により、設計部門への負荷が著しく増大しており、日本の製造業は、設計力を強化する必要に迫られていることが伺えます。

 一般に、製品の品質とコストの8割程度は設計段階で決まると言われており、開発の初期段階に資源をできるだけ集中的に投入し、問題点の早期発見、品質向上、後工程での手戻りによるムダを少なくすることが重要になります。 


  この設計力を高める上では、部門間や企業間を横断するエンジニアリングチェーンの連携や、設計・製造・解析の各データを同期させて一体的に検討する「バーチャル・エンジニアリング」などによるデジタル技術の活用が大きな力を発揮します。

 たとえば1990年代半ば以降、製造業の設計現場では3D-CADの導入が進められてきました。

 2000年代以降になると、CADで作成された形状データを用いてコンピューター上でNC工作機械の加工プログラムを作成するCAM(Computer Aided Manufacturing)に、コンピューター上の試作品を用いて製品の設計問題をシミュレーションするCAE(Computer Aided Engineering)が加わるようになります。

さらに製品の企画、設計、製造から販売までの設計図や技術情報などを管理するPDM(Product Data Management)によって、「バーチャル・エンジニアリング」の環境が整備されていきました。

 最近では、これにIoTやAI が加わり、バーチャル・エンジニアリングはさらなる進化を遂げつつあります。

 このバーチャル・エンジニアリングにより、企画、設計、製造、営業、品質、認証などの各分野の専門家、さらにはサプライヤーや顧客までも含めて、3D図面を用いて同期的・一体的に製品開発に参加することができる協業の場が実現します。

 また、バーチャル・エンジニアリングを用いることで、構想設計の段階で、検証も含めた詳細設計までが可能になり、リアルな試作の前に全ての仕様を決めることができるようになります。

その結果、製品開発のリードタイムは、大幅に短縮することとなります。

 バーチャル・エンジニアリングは、エンジニアリングチェーンにおけるビジネスチャンスを捉え、既存の組織内外の資産・知識・技術を再構成して競争力を獲得する「捕捉」の能力を著しく向上させ、開発リードタイムを極限まで短縮化することで、ダイナミック・ケイパビリティを高めることにもつながります。

 一方、日本の製造業の設計力は、あまり向上していません

3D-CAD による設計が十分に進んでおらず、協力企業への設計指示を図面で行っている企業が過半を占めている実態が、本白書の調査で明らかとなっています。

 この理由として、主な設計手法2Dであること、調達部門が見積もりのために図面を必要とすること、発注内容と現物を照合する現品表を兼ねていることなどが挙げられています。

本白書では、これらの環境を変えていく必要があると説いています。

 不確実性の時代において、設計のデジタル化が遅れていることは、日本の製造業のアキレス腱(けん)となりかねません。

デジタル化による設計力、エンジニアリングチェーンの重点強化は、2017年3月に経済産業省が提唱した、日本の産業が目指すべき姿、コンセプトである「Connected Industries政策」を今後推進する上での重要な課題です。 

 

*製造現場における5Gなどの無線技術の活用

 本白書では、工程設計の柔軟化を通じてダイナミック・ケイパビリティの強化に資する技術として、5Gなどの無線技術についても取り上げています。

 特に、ユーザーが電波免許を取得したエリアでの独自の運用が可能となる「ローカル5G」への期待が高く、ユースケースとして、医療機関や製造現場、スタジアムなど、多様な場面での活用が想定されています。

 製造現場における5G の活用については、エッジコンピューティングやクラウドコンピューティングの活用拡大による生産性向上といった通信システムの高度化の観点と、産業機械のリアルタイムでの遠隔操作や遠隔からの保守点検などローカル5G による無線技術の活用という2つの観点が挙げられています。

 本白書の調査結果によると、次世代通信技術について過半数の企業は関心があると回答する一方で、コストとともにセキュリティや通信の信頼性などの課題や不安を持っていることがうかがえます。

超低遅延、多数同時接続といった特徴を生かした製造現場での本格活用に向けた検討が必要です。

 

*デジタル化推進のボトルネックは「人材の質的不足」

 日本の製造業のデジタル化を進める場合にボトルネックとなるのは、「人材の質的不足」です。

本白書では、人材供給は、デジタル化によるエンジニアリングチェーンの強化に向けた課題の1つであるとしています。

特に製造業のデジタル化に必要な人材の能力として、システム思考数学の能力を取り上げています。

 また、デジタル化に必要な人材の確保と育成の方策について、労働政策の観点からは、デジタル技術革新に対応できる労働者の確保・育成を行い、個人の労働生産性を高めることが重要であると指摘しています。

 教育の観点からは、ものづくりの基盤となる実践的・体験的な教育・学習活動を一層充実させるとともに、数学、データサイエンス、AIなどのリテラシー教育を進めるなど今後のデジタル社会において必要な力を全ての国民に対して育んでいくことが重要であると述べられています。

 

*企業内の資源結合のメリットを生み出す「共特化の原理」

 ダイナミック・ケイパビリティの中で中核となるのは、資産を再構成(オーケストレーション)する企業家的な能力です。

このような能力は模倣することが難しいものであり、外から購入するよりは、企業内部で構築することが望ましく、長期にわたって維持されるべきものであるとしています。

 本白書では、ダイナミック・ケイパビリティによる既存の資源の再構成(オーケストレーション)の原理として、「共特化(co-specialisation)」を取り上げています。

共特化の原理とは2つ以上の相互補完的なものを組み合わせることによって、新たな価値を創造することです。

共特化の原理は、社会の至るところで観察することができます。

 たとえば、自動車とガソリンスタンドの関係、美術館と館内カフェの関係、コンピューターのオペレーティング・システムとアプリケーションの関係、クレジットカードとそれを利用できる店舗の関係には、共特化の原理が働いています。

 この他にも、近年、めざましい発達を遂げている「プラットフォームビジネス」が挙げられます。

プラットフォームビジネスは、他のプレーヤーの製品・サービス・情報と一緒になって初めて価値を持つ製品・サービスを提供できるビジネスであり、共特化の原理を活用したビジネスモデルであると言えます。

 また、イノベーションを起こす際には、共特化の原理を巧みに利用することで、差別化、模倣困難化、費用の節約が可能となります。

共特化のニーズや機会を感知・捕捉し、結合する設計・実行能力がダイナミック・ケイパビリティです。

Connected Industries政策の意義は、多様なつながりが生み出す共特化の関係から、新たな価値を創出するところにあると言うことができます。

 

*今後求められるのは、変化に対する俊敏・柔軟な対応力

 新型コロナの感染拡大の影響をはじめとする不確実性の高まりは、従来のグローバル・サプライチェーンの破壊・再編の引き金となっています。

 今後、企業は変化に対して俊敏・柔軟に対応するダイナミック・ケイパビリティを高める必要があり、ダイナミック・ケイパビリティを飛躍的に高めるカギはDXにあると本白書で述べられています。

 特にエンジニアリングチェーンが、ダイナミック・ケイパビリティの中核をなすものであり、不確実性の高い世界におけるモノづくりの競争優位は、エンジニアリングチェーンによって決まると言及されています。

 欧米と日本の企業のモノづくりを比べてみると、企画から製造まで、モノづくりの情報がデジタルで一気通貫につながっているかどうかというところに大きな違いがあります。

日本は製造現場が強く、設計で詳細に作り込まなくても、現場で品質や製品価値が高まるようにうまく作り込めてしまうのですが、その強みをこれまで支えていたのは、ヒトが持つノウハウや現場力(匠の技)でした。

 今後ヒトの確保が難しい状況になっていくと、この強みを維持するのは困難になります。

そういった面からも今後の日本の製造業には、モノづくり情報の一貫したデジタル基盤は重要になると感じています。

 今後の製造業のDXは、工場の中だけでの取り組みではなく、たとえばお客さまのモノ(製品)の使用状況フィードバックして活用したり、お客さまがさまざまなモノを組み合わせてサービスを提供したりする際の使われ方やニーズをフィードバックしていく取り組みも対象となっていくと考えます。

 そのフィードバック先はモノづくりや設計だけではなくて、もっと上流の研究開発や商品企画、マーケティングにも広げる必要があります。

顧客の利用シーンを製品企画、設計、ソフトウエア/UXに生かすには、エンジニアリングチェーンのデジタル化はとても重要な取り組みになるでしょう。

 本白書でも言及されているように、エンジニアリングチェーンは日本の製造業のアキレス腱であり、その強化は今後のConnected Industries政策における課題と言えます。

企業のダイナミック・ケイパビリティを高めるためには、サプライチェーンのみならず、エンジニアリングチェーンのデジタル化を徹底し、よりアジャイルな生産方式を確立する必要があるのではないでしょうか。 




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