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大国化した中国に日本はどう向き合うべきか

香港・国家安全法への対処が外交の試金石に

 

薬師寺 克行 : 東洋大学教授

 

2020年06月20日

大国化した中国とどう付き合っていくのか。写真は2019年12月に北京で会談した安倍晋三首相(左)と中国の習近平国家主席(写真:Top Photo/アフロ)

日本の外交にとって、中国を相手にすることほど複雑でやっかいなものはないだろう。

アメリカとの間には日米安保条約という強固な基盤があり、時に「対米追随外交」と批判されながら、アメリカに歩調を合わせることで安定した関係を維持してきた。

イギリスやフランス、ドイツなどヨーロッパ主要国との間にはそもそも国家関係を揺るがすような深刻な問題がない。

一方で韓国や北朝鮮、ロシアのように、歴史問題や領土問題などをめぐって真正面から主張が対立している場合は、外交交渉そのものが成り立ちにくいため、自国の主張を繰り返していればいい。



 *新たな対中外交戦略の時代に

しかし、日中関係はそれほど単純ではない。

1972年の国交正常化以降、歴史問題をはじめ何らかの問題を抱えながらも、それなりに良好な関係を維持していかなければならない宿命にあった。

ところが今回、中国が打ち出した香港の国家安全法制定は、これまで両国が維持してきた日中関係を大きく変えてしまいそうな根本的な問題をはらんでいる。

中国が大国化したことで日本が個別に中国に向き合って問題を解決できる時代は終わった。

国際社会と連携した、新たな外交戦略が必要になったようだ。

国交正常化からの約半世紀を振り返ると、日中関係は劇的に変化してきた。

正常化後は日本国内に日中友好ムードが高まり、日中関係は一気に改善した。

1980年代には日本が歴史教科書問題や中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝などの問題を引き起こし、中国でも1989年に天安門事件が起きた。

このころの日本のGDPは中国の約5倍、国民1人当たりの所得は約30倍で、経済力では中国を圧倒していた。

安全保障の面でも自衛隊と在日米軍やアメリカ第7艦隊を合わせた軍事力は、中国の人民解放軍の力が及びもつかないものだった。こうした状況もあって、日中間の問題に対して日本政府は寛大さを見せる余裕を持っていた。

教科書問題では中国の要求を受け入れ、教科書の検定基準を見直した。

中曽根首相の靖国神社参拝は中国への配慮から1年で終わった。

天安門事件で中国が欧米諸国の批判を浴びて国際的に孤立すると、日本はいち早く円借款の凍結解除を打ち出すなど、関係改善に積極的に取り組んだ。

中国の姿勢も今とはまったく異なっていた。

当時の最高指導者である鄧小平が打ち出したのは改革開放路線であり、西側の市場経済システムを積極的に取り入れて中国の経済発展を推し進めた。それを象徴するのが「韜光養晦」という言葉だった。

「才能を隠して、内に力を蓄える」というような意味であり、イデオロギーなどにこだわらず低姿勢で西側諸国に接し、その技術などを導入するという徹底したプラグマティズムだった。

実際、1978年の訪日時、鄧小平は「これからは日本を見習わなくてはならない」という言葉を残している。

現在の習近平体制の振る舞いとは対極にあった。

 

*「寛容の外交」から「原則重視の外交」へ

1990年代後半以降になると、経済力を増してきた中国の振舞いは徐々に変化してきた。

日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国の調査船による違法な海洋調査が頻繁に行われるようになった。

海底資源探査や潜水艦の航路開拓などが目的とされており、日本政府はその都度、中国側に抗議を繰り返していた。

日本周辺での中国海軍の活動が活発化し始めたのも同じころだった。さらに、1995年と1996年には核実験を繰り返した。

日中関係は次第にぎくしゃくし始め、日本政府の対応は「余裕と寛容」から「原理原則の重視」に転換していった。

2001年春、台湾の総統を退任した李登輝氏が病気治療を理由に訪日ビザを申請してきた。

李登輝氏を台湾独立派とみなしていた中国政府は、李氏訪日を政治活動だとして日本政府にビザを発給しないよう強く求めてきた。

外務省は局長以上を集めた会議で対応を協議したが、驚くことに1人の局長を除き、すべての幹部がビザを発給すべきという意見だった。中国の主張には理がないというのである。

森喜朗首相の退陣直前というタイミングだったが、首相官邸は外務省の判断も踏まえて最終的にビザ発給にゴーサインを出した。

森政権ではこのほかに歴史教科書問題が再び起きたが、中国の修正要求を日本政府は「内政問題である」として突っぱねた。1980年代とは様変わりの対応だった。

2010年、日本のGDPはついに中国に追い抜かれ、2019年は3倍にまで差が開いた。

中国の軍事費も増え続け、今やアメリカに次いで世界第2位の軍事大国だ。その額は日本の5倍を超えている

習近平国家主席の登場で、鄧小平氏の「韜光養晦」は消え去り、代わりに打ち出されたのは「一帯一路」であり、「中華民族の偉大なる復興」である。

 

*多国間枠組みを生かした対中抑え込み

こうしたなか、日本では一時、対中強硬論がもてはやされたが、問題の解決に資することはなかった。

日本政府が打ち出したのは、さまざまな国際機関やASEANをはじめとした地域の多国間の枠組みなどを動かし、中国を抑え込むとともに問題を解決していく戦略だった。

日本が前面に出て中国と向き合ったところで交渉進展は期待できない。

そこで多くの国を関与させる手法にかじを切ったのだ。

中国が南シナ海の岩礁を埋め立てて領有権を主張するとともに軍事基地化していった問題では、中国に批判的な国に働きかけてこの問題をASEAN首脳会議などで取り上げさせた。

中国に批判的なフィリピンが常設仲裁裁判所に仲裁を要請し、2011年に「中国の主張は国際法に反する」という判断が出された。この動きに日本政府も深く関与した。

さらに日米、インド、オーストラリアの4カ国が連携して、他のアジア諸国を巻き込んで地域的な連携の枠組みを作る「インド太平洋戦略」構想も日本がアメリカに働きかけたものだった。

環太平洋パートナーシップ協定(TPP)締結で積極的役割を果たしたことも含め、いずれも中国を強く意識した戦略だった。

ぎらつかない手法での対中政策は、必ずしも十分な成果を上げたとは言い切れないが、中国問題はもはや日本一国で抱えきれる問題ではなくなった以上、やむをえない対応であろう。

そこで今回問題となるのは、香港の国家安全法だ。

中国にとって香港の民主化運動は香港独立を目指すテロ行為でしかなく、封じ込めなければ台湾やウイグルなどへ飛び火しかねない。しかし、日本を含む欧米諸国からすれば、自由と民主主義という大原則が崩れてしまう本質的な問題である。

ここで日本政府はどう立ち回ろうとしているのだろうか。

6月18日未明、「香港に関するG7外相声明」が公表されたが、その内容は中国に対してかなり厳しい表現となっている。

国家安全法について,「一国二制度の原則や香港の高度の自治を深刻に損なうおそれがある」と批判。

さらに、「開かれた討議、利害関係者との協議、そして香港において保護される権利や自由の尊重が不可欠である」と強調したうえで、「中国政府がこの決定を再考するよう強く求める」と要求している。

 

*香港・国家安全法が問う根本問題

外相レベルとはいえ、G7各国が歩調を合わせ、中国の対応を明確に批判した意味は大きい。

関係者によると、今回の声明の発表に関して日本政府は水面下でかなり積極的に動いたという。

香港問題は、単純化すれば「自由・民主主義体制」か「権威主義体制」かの選択の問題であり、国家の根本問題でもある。2020年秋に予定されている立法院選挙に向けて香港情勢は緊迫し、昨年同様の混乱は避けられないだろう。

また11月の大統領選を控え、トランプ大統領の中国批判がエスカレートし、米中関係も緊張を高めそうだ。

そこで日本がどういう対応をするかは、これまでの領有権問題などとは比較にならない重みを持っている。

そこであいまいな態度をとれば、国際社会での日本の存在感はなくなり、当の中国からも軽く見られるであろう。

かといって単独で突出した中国批判を展開しても、反発を買うだけで成果を得ることは難しい。

外交には原理原則とともに、いかに問題を解決し、国益を実現するかというプラグマティズムも不可欠であり、両者のバランスをうまくとっていくプロの技が重要だ。

日本に今できることは、TPP構想やインド太平洋戦略構想を提起した時と同様、多くの国を巻き込んだ戦略的取り組みを実現させることであろう。

例えば、外相レベルの共同声明に続き、次は香港問題にテーマを絞ったG7首脳によるテレビ会談を呼びかけ、中国にメッセージを発信するという手もある。

中国の姿勢はかたくなで、動きは早い。残された時間はあまりないようだ。

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