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コロナの次に来る「耐性菌パンデミック」の脅威


超細菌が毎年1000万人の命を奪う未来

 

3月と4月にデトロイト医療センターの救急室に殺到した重症患者たちは、高熱はもちろん、肺がウイルスに冒されて呼吸困難に陥るなど、新型コロナウイルス感染症に特徴的な症状を示していた。 治療の選択肢がほとんどない中で医師たちは、広域抗生物質というありふれた手段に救いを求めた。広域抗生物質は、すぐに特定できない細菌感染に対して根拠がないまま使用されることが多い。医師たちは抗生物質がウイルスには効かないことを知っていたが、とにかく必死だったのだ。細菌によって生命に関わる2次感染が起こる可能性も懸念されていた。 

「ピーク時には、抗生物質の使用量が激増していた」と、同医療センターの疫学・抗生物質管理責任者、ティーナ・チョプラ医師は話す。運び込まれた患者の推定80%以上に抗菌薬が投与されていたという。「(抗生物質を)使い果たしてしまうのではないかと心配になったこともある」。 

コロナより危険な「耐性菌パンデミック」

 チョプラ医師はじめ、パンデミックの初期数週間に抗生物質を大量に投与した医師たちは、すぐに自分たちの間違いに気づいたと述べている。「多くの医師が不適切に抗生物質を投与していたのは、正直いって選択肢がほとんどなかったからだ」とチョプラ医師は言う。 

感染第1波による患者の殺到が沈静化した今、全米の医師たちは抗生物質の過剰使用から教訓を引き出そうとしている。抗生物質を使いすぎれば、細菌が変異し、抗生物質すら効かない薬剤耐性菌の増殖に拍車をかけるおそれがある。 

人工呼吸器を使用する重症患者では、深刻な2次感染症を発症するケースが少なくない。コロナウイルス患者はとくに薬剤耐性感染症にかかりやすいとの懸念が広まっていた(この懸念はまず中国の研究で指摘された)。ただ、研究者や新型コロナ患者を治療してきた十数人の医師へのインタビューによると、これは見当違いだったようだ。 

「懸念は行きすぎだった」と、ニューヨーク州最大級の医療機関、ノースウェル・ヘルスで感染症の責任者を務めるブルース・ファーバー医師は言う。同医師はノースウェル・ヘルスの23の病院で何千人という新型コロナ患者の治療に当たってきた。 

多くの医師にとって、コロナ禍は抗生物質の適切な使用についての教訓となっただけでなく、ゆっくりと進む、もう1つの世界的な保健上の脅威を浮き彫りにした。薬剤耐性菌の脅威が高まっているという現実だ。危険な病原体に対抗できる抗生物質と抗真菌薬の数は減り続けており、世界では薬剤耐性菌が原因で毎年70万人が命を落としている。 

医師、研究者、公衆衛生の専門家らはここ何週間と、パンデミックを教育の機会に変えようとしてきた。政府の怠慢で新型コロナの感染が全世界に広まったように、真剣な対策が取られなければ、新型コロナ以上に致命的な薬剤耐性感染症の流行が加速する恐れがある、と警鐘を鳴らしているのだ。国連によると、薬剤耐性が原因で2050年までに毎年1000万人が死亡する事態となる危険性がある。 

新たな抗生物質が開発されなければ、人工膝関節置換手術や帝王切開といった一般的な外科処置ですら、容認できないほどリスキーなものとなりかねない。その結果引き起こされる医療危機は2008年の世界金融危機に匹敵する景気後退をもたらす可能性がある──。昨年発表された国連の報告書はそう指摘している。 

危険なまでに細った抗生物質開発

 「今回のパンデミックが世界に教えたことがあるとすれば、それは準備を整えておいたほうが長期的には費用対効果が高くなるということだ」と、アメリカ国立衛生研究所臨床センターの研究者、ジェフリー・ストリッチ医師は話す。同医師は新しい抗生物質の必要性の高まりを定量化する研究論文を6月4日、医学誌『Lancet Infectious Diseases』で発表した。 

「薬剤耐性問題を看過している余裕はわれわれにはない」(ストリッチ医師) 

新しい抗菌薬の開発パイプラインは危険なまでに干上がっている。過去1年間で、有望な薬を開発していたアメリカの抗生物質開発会社3社が倒産し、世界的な大手製薬企業の大半がこの分野から手を引いた。アメリカに残された新興の抗生物質開発会社も、多くは先行き不透明な状況にある。 

新しい抗菌薬の確保が急務となっている中で投資家離れが起こっているのは、ビジネスの現実が暗いためだ。 

「残りの小規模なバイオテクノロジー企業は来年の今頃までもたないのではないか」と語るのは、製薬業界から資金提供を受けている活動団体「ワーキング・トゥ・ファイトAMR」の幹部、グレッグ・フランク氏だ。「待てば待つほど(問題の)穴は深くなり、解決のための費用も高くなる」(フランク氏)。 

強力な政府介入を求める専門家は多い。3月に発表した報告書でアメリカ政府説明責任局(GAO)は、薬剤耐性問題に対する連邦政府の対応が場当たり的だと指摘、基本的なデータ不足からアメリカ疾病対策センター(CDC)も問題にまともに対処できていないと述べた。その一例として報告書は、アメリカで年間50万件が確認されている薬剤耐性淋病のうちCDCが追跡しているのは2%にも満たない点に触れている。このデータには、女性に影響を与える症例すら含まれていない。 

報告書は監視の強化に加えて、抗生物質メーカーに開発を促す金銭的インセンティブ、感染症を迅速に特定し医師が適切な薬剤を処方できるようにする診断テストの開発企業に対する支援を勧告した。 

もはや無為無策では許されない

 「肝心なのは、打つ手があるということだ。手をこまねいていれば、スーパーバグ(どんな抗生物質も効かない超細菌)が現れ、新型コロナに匹敵する危機に直面することになる」と、GAOの主任科学者で、報告書の筆頭執筆者を務めたティモシー・パーソンズ博士は指摘する。 

抗生物質開発では市場の失敗が見られるものの、議会の立法議論は盛り上がりに欠けている。公衆衛生の専門家は、新型コロナのパンデミックがきっかけで、政治に突破口が開くことを期待している。

「これは政治的な問題ではない。これは国家安全保障の問題であって、共和党や民主党(という党派)の問題ではない」と、タフツ医療センターの感染症専門医で、抗生物質耐性菌との闘いに関する大統領諮問委員会のメンバーを務めるヘレン・バウチャー医師は言う。

一方、ミシガン州アナーバーでは、新型コロナ患者に対する抗生物質の使用を研究しているミシガン大学医学部の病院総合医、ヴァレリー・ヴォーン医師が、ここ数カ月の知見を整理し、最良の治療ノウハウをオンライン講義で共有してきた。同医師が1000件を超える州内の新型コロナ症例を調査したところ、細菌による共感染を起こしているケースは4%にすぎなかった。にもかかわらず、大半の患者は病院到着後すぐに抗生物質が投与されていた。 

「今回のパンデミックが示しているのは、患者がウイルスに感染していることを知りながら医師が抗生物質を与えていたということだ」とヴォーン医師。「たとえそれが正しくないことであっても、医師は患者のために何かをしたいと望んでいるので厄介だ」。 

ヴォーン医師は処方習慣が変わることだけを望んでいるのではない。薬剤耐性問題では監視体制の改善に加え、新しい抗生物質が生まれないという市場の機能不全に対処する必要性が高まっている。同医師は今回のコロナ危機がきっかけで、政治家や政策立案者がこうした課題を無視するのが難しくなることを期待しているのだ。 

ヴォーン医師は言う。「(薬剤耐性問題の)対策は遅れている。今回のパンデミックが刺激剤となり、対応の速度が上がるよう願っている」。

(執筆:Andrew Jacobs記者)
(C)2020 The New York Times News Services


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