ドラッカーは未曾有の危機到来を予見していた?


 コロナ後の世界経済をどう読むか
俣野成敏
                  2020年5月13日
👉 ドラッカーは、未曾有の危機がくることを予知していた!?
 世間では、「マネジメントの父」とも呼ばれ、今なお、氏を師と仰ぐ経営者が世界中にいます。
 しかしその栄光は、氏の苦難に満ちた半生と無縁ではありませんでした。
 世界中がコロナ問題で揺れる今こそ、私たちは、ドラッカー氏の生き様から多くを学ぶべきではないでしょうか?

名言ピックアップ その1
 「ファシズム全体主義の脅威に対する闘いが実を結んでいない原因は、われわれが何と闘っているかを知らないからである。われわれはファシズム全体主義の症状は知っているが、その原因と意味を知らない。ファシズム全体主義と闘う反ファシズム陣営は、自らがつくり出した幻影と闘っているにすぎない。」
 出典:『「経済人」の終わり』(著:P・F・ドラッカー/刊:イヤモンド社)
【ポイント】
「自分は何と対峙しているのか?」を知らずして、有効な手段を講じることはできない。
この名言を読んで、「これがドラッカーの本からの引用?」と驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本書『「経済人」の終わり』は、ドラッカー氏が29歳の時に発表した処女作です。
👉 若くして才能を発揮したドラッカー
 P・F・ドラッカー(1909~2005年)氏は、第一次世界大戦が始まる5年前、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに生を受けました。
父は政府の高官で、裕福な子ども時代を過ごしています。4歳頃から本を読み始め、生涯を通じて読書家でした。
氏が5歳の時に始まった第一次世界大戦の終結とともに祖国は解体。人口5,000万人だった大国から、人口650万人の小国オーストリアへと姿を変えます。
ドラッカー氏は、欧州社会が不安と混乱が渦巻く中で成長します。小学校を1年飛び級し、ギムナジウム(中高一貫校)に入学。
しかし、学校の授業があまりに退屈だったため、大学へは行かずに、ドイツへ行って見習いの仕事に就くことを決意します。
反対する父を押し切り、17歳でハンブルクの貿易会社で見習いとして働き始め、見習い終了後は、フランクフルトで米系投資銀行の証券アナリストの職を得ました。
働きながら、2つの大学で修士と博士の学位を取得しています
👉 新聞記者として社会の「本当の声」を拾う
 転機となったのは1929年。世界恐慌が始まり、ドラッカー氏が働いていた投資銀行も倒産しますが、すぐにドイツ有力夕刊紙の新聞記者の職を得ます。
氏は、20歳にして自ら取材、執筆、編集をこなしました。
当時、働く場所がなかった時代に、ドラッカー氏がすぐに新聞社の職を得たのには理由がありました。
アナリスト時代に、顧客用に書いていたリポートを、手直しして新聞社にも売り込んでいたのです。
こうして、氏は新聞記者として街頭に出て、取材を行います。会社の外では、ナチスによるファシズムが台頭しつつあり、社会全体に閉塞感・絶望・困窮が渦巻いていました。
実は、ドラッカー氏は新聞記者時代に、しばしば街頭で行われていたナチスの演説を取材し、街行く人にもインタビューしていました。
そこでわかったのは、人々は皆、ナチスの主張を真剣には受け止めていないということでした。
ナチスの支持者でさえ、です。しかもそれは、ナチス党員も同じでした。党員のほとんどが「反ユダヤ主義は、選挙向けのスローガンにすぎない」と思っていたのです。
そればかりか、市民はナチスの公約が矛盾していることを知っていました。彼らは、ナチス党員の「農民は穀物の値上げ、労働者はパンの値下げ、パン屋と食料品店はより大きな利益を獲得する」という言葉に熱狂しました。
矛盾を知っていながら、どうして彼らはナチスを支持したのでしょうか。
欧州では、18世紀半ばから始まった産業革命によって、急速に経済成長が始まるとともに、大量の人口が、仕事を求めて都市へと移動を始めました。
続く19世紀は、次第に帝国主義が幅を効かせました。
20世紀に入り、第一次世界大戦や世界恐慌を経て、それまで欧州社会を支えていた秩序や信頼が失われる事態となりました。
それまで信じられていたブルジョア資本主義では、個人の自由と平等をもたらさないことが明らかとなり、「産業社会においては、不平等が現実であることが暴露されてしまったのです。
崩れた秩序に変わりうる新しい秩序が現れない時、人々が求めたのは“安全”でした。
多くの人が、ファシズム全体主義に引き寄せられました。
ドラッカー氏は、ナチスの危険性と戦争の可能性を訴えましたが、相手にされませんでした。
1933年、ナチスが権力を掌握すると、ドラッカー氏はフランクフルトを離れてロンドンへと向かい、後にアメリカに移住しました。
『「経済人」の終わり』は、ナチスの台頭、第二次世界大戦の勃発、ナチスとソビエトが手を組むことを予見していた書として、センセーションを巻き起こします。
英首相に就任する前の、ウィンストン・チャーチル氏が書評を書いたことも話題になって、ベストセラーなりました。
👉 社会の成り行きには必ず理由がある
 ドラッカー氏が、客観的にものごとを見る習慣を身につけたのは、やはり新聞記者時代の経験が大きかったのでしょう。
現場で、目の前にいる人の声に耳を傾けることの大切さや、社会の成り行きには必ず理由があることを、身をもって知ったに違いありません。
ドラッカー氏は、本書の最後で「社会政策というものは、経済的費用を伴わざるをえないとの認識を持つことによって、初めてその社会的な効果を経済的な犠牲との比較において評価することができる」と述べています。
今、世の中は新型コロナウイルス問題に揺れ、先進国を中心に、借金が雪だるま式に膨らんでいます。
ドラッカー氏の言葉が、まるで現代社会の行き詰まりを予想していたようにも聞こえるのは、私だけでしょうか。
氏は、いつか再び人間社会を激変させる新たな変革の波がくることを、知っていたのかもしれません。
【結 論】
「今、何が起きているのか?」ということに、冷静に向き合ってみよう。

 


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