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中国36歳コロナ患者が「退院後に死亡」の顛末


武漢のコンテナ病院は退院を一時ストップ

財新編集部
2020年03月09日

病院側は”治癒”したと判断したが… ※写真はイメージ (写真:財新記者 丁剛)

武漢で36歳の新型コロナウイルス患者が退院後に死亡。

臨時のコンテナ病院は退院を一時ストップし、政府も説明に追われるなど動揺が広がっている。

政府が定めた退院基準の甘さを指摘する声もある。中国の独立系メディア「財新」取材班が真相を追った。

 

 

王梅(仮名)家のカレンダーは、3月10日がペンで丸く囲まれ、そばに“happy”と書かれている。

夫の李亮は、すでに”治癒”したと病院側に判断され、隔離施設に入って経過観察期間を過ごしていた。

3月10日は、彼が隔離を解除され自由を取り戻すはずの日だった。

しかし李亮は、その日を迎えることができなかった。死亡医学証明書には、彼が3月2日午後5時8分に亡くなったと記されている。死因は新型コロナウイルス肺炎、呼吸器閉塞、呼吸不全の3つだ。



*当局の指示で患者の退院を一時ストップ

李亮の治療を行った武漢市漢陽国博コンテナ病院(訳注:新型肺炎患者を収容するため、既存施設を改装してできた臨時病院)の院長・楊星海は財新記者に対し、今は暫定的に患者の退院をストップしていると話す。「これはわれわれが自ら止めているのではなく、指揮部の要求によるものだ。当院だけの措置ではない」。
3月2日午後3時30分、王梅は、李亮が隔離されている武漢礄口区漢西三路のウィーンホテルから電話を受けた。電話の相手は彼女に、「ご主人は強いストレスを感じており精神状態がよくないです。すぐホテルに来てください」と伝えた。
王梅が自転車でホテルに向かうと、夫がいる509号室の扉は開け放たれていた。夫はベッドに横たわっていたが、布団がはねのけられており、靴下は履いていなかった。

同じ日の午前10時に夫婦がビデオ通話をした際、李亮は「体温が35.3度しかない」と妻に伝えたが、妻は気温が低いからだろうと考え、靴下を履くようにと言っていた。
だが、午後になって妻がホテルに到着したとき、李亮は体に力が入らず、妻の声を聞いても起き上がることができなかった。妻が彼の体を起こすと「喉が渇いた」と言ったため、水を飲ませようとしたが口からこぼれ落ちた。李亮は「家に帰りたい」とつぶやいた。
李亮は2月3日に発熱の症状が出始め、8日に社区(訳注:団地のようなコミュニティ)の隔離施設に移されたが、それ以降、自宅に帰ることはできなかった。

9日夜、彼は検査で新型コロナウイルスの陽性だとわかり、12日にコンテナ病院へ移った。14日間の治療を経て、専門家チームの判断によって退院が許可された。その後、退院患者の”再発”を防ぐ新規則に基づき、彼は隔離施設で14日間隔離されていた。

 

*「病魔との戦いに勝利した」はずだった

退院基準によると、李亮はすでに”治癒”したことになっていた。彼は2月26日にコンテナ病院を離れた後、親戚や友人たちに、「病魔との戦いに勝利した」という吉報を伝えた。

隔離施設にいる間も妻に、「自分は抗体を手に入れた。献血して人を救える。隔離施設に戻ってボランティア活動もできる」と語っていた。
彼は医師免許こそ持っていないが、社会的な身分は医師同然だ。整形外科のリハビリクリニックに勤め、中医学の専門家である張学煉の教えを受けたこともある。

クリニックは武漢市中心病院のすぐそばにあり、眼科医の李文亮(訳注:新型肺炎の感染拡大を早くから警告していたが、自らも新型肺炎で亡くなった)も、彼の治療を受けたことがあった――。
李亮は一度妻の名を叫んだが、意識は朦朧としていた。看護師が駆け付け、彼のまぶたを開いて確認すると、急いで部屋を出た。妻の王梅のもとにホテルのフロントから電話があり、120番(訳注:日本の119番に相当)に電話するよう指示した。
3月2日午後4時40分ごろ、120番から王梅に折り返しの電話があった。李亮は救急車で近くの普愛病院に移送され、その後、訃報が知らされた。彼の遺体はすぐに火葬されたという。
李亮は36歳。体は健康かつ丈夫で、クリニックでは整骨を担当していた。2月3日に若干発熱し、翌日の午前中に自宅近くの普愛病院へ行き、肺のCT検査を受けた。

その結果、「右肺中葉、右肺下葉および左肺にすりガラス状の、にじんだ、細長くねじれた影が多くある」ことがわかった。医師は報告書の総括部分に、「両方の肺が感染しており、ウイルス性肺炎の可能性がある」と記している。
2月8日、李亮はホテルの隔離施設に移送された。2日後、施設で核酸検査を受けると、当日夜に陽性と判明。医師は消炎剤などを処方した。
2月12日、李亮は軽症患者として隔離施設からコンテナ病院に移った。妻の王梅は、「夫の症状はわずかな発熱とせきくらいで、コンテナ病院に移った後はそれまでの病院で処方されていた薬は服用せず、漢方薬だけで治療を行った。当初は朝晩に肺炎3号(訳注:新型肺炎の治療用に開発された漢方薬の1つ)を服用し、その後2号に切り替えた」と振り返る。
王梅は、夫の熱はすぐに下がり、せきも減ったため、コンテナ病院で行われた漢方治療は効果的だったと考えていた。

 

*CT検査で肺に「密度の高まった影」

李亮は2月20日と23日にコンテナ病院で核酸検査を受け、いずれも陰性だった。23日に再びCT検査を受けた。

報告書には、「両方の肺に密度の高まった影が多く見られる。大部分はすりガラス状の密度だが、一部は網状に変わった。大部分が胸膜の下にあり、両方の肺の下葉に小結節の病巣が見られる。最大0.4cmで、再検査を勧める」と記載されていた。
その後、病院は李亮が2月26日に退院できると決定した。退院に関する25日付けの中間総括には、「李亮氏は13日間入院し、症状に合った治療を経て、3日以上体温が正常に戻り、呼吸器の症状も顕著に改善した。核酸検査の結果は2回続けて陰性で、酸素吸入なしでの指尖酸素飽和度が95%を超えたため、専門家チームの評価に基づき、退院を許可した」と書かれている。
国家衛生健康委員会は2月28日、『新型コロナウイルス肺炎の診療方案(試行第6版)』を発表した。

退院の基準は、「体温が正常に回復して3日以上、呼吸器症状が顕著に改善、肺部レントゲンの急性滲出性病変が顕著に改善、呼吸器病原体の核酸検査で2回連続の陰性(検体採取の間隔は最短24時間)」の4カ条だ。3月3日に更新された第7版の診療基準でも、4カ条は変更されていない。
ある匿名希望の中国疾病予防管理センター(CDCの専門家は、李亮の退院は早すぎたと考えている。

「2月23日のCT検査では、典型的な新型肺炎の影が見られた。どうして2日後の25日に退院できたのか」と話す。
武漢市のある医師もCT検査の問題を指摘する。一部の病院では、患者が退院の4条件を満たしているかを判断する際に、「CTの結果を考慮する比重が最も小さい」という。
だが、漢陽コンテナ病院の院長・楊星海は財新記者に対し、「患者の退院基準は国家の『指南』より厳しく、血中酸素飽和度も95%以上でなければならない」と語る。
「患者が退院できるかどうかは、通常は多くの審査を経る必要がある。まずは医療チームのトップらによる審査を経てから、われわれが専門家チームの判断を仰ぎ、彼らが問題なしと判断して初めて退院できる」(楊星海)。

 

*「退院後の状況は把握していない」

2月26日午後4時37分、李亮は退院し(臨時の)隔離施設であるウィーンホテルに移送された。楊星海は、李亮の移送時の症状は軽かったとし、「退院後の状況は、われわれは把握していない」と話す。
李亮の妻である王梅は、夫がホテルに移された後、漢方薬の肺炎1号を毎日服用するよう医師からアドバイスされたと記憶している。しかし、彼はコンテナ病院から自ら肺炎2号を持ってきており、続けて数日間服用した。
2月28日、李亮は「口が乾く」と妻に告げはじめた。妻は「医師は夫に、口が乾くのは漢方薬を飲んでいるからであり、水をたくさん飲みなさいと言った。そのため夫は水をたくさん買い、果物も買って部屋で食べていた」という。
しかし3月1日になると、李亮は「食事をしたくなくなった。水を飲む量も少ない。ベッドの上にいると動きたくなくなって、ずっと眠い」と妻に言い始めた。
3月2日午前8時、妻は李亮にビデオ通話をかけたが、なかなかつながらない。検索サイトの百度(バイドゥ)でウィーンホテルの電話番号を探し出してフロントに電話し、医師に様子を見にいくよう依頼した。午前10時過ぎ、李亮はようやく妻のビデオ通話に応じる。画面には医師が現れ、「ご主人は精神的なプレッシャーがやや大きいかもしれない」と妻に伝えた。 
李亮は「食欲がない。体温はわずか35度3分で、脈拍が弱くてだるい」と妻に話したが、その後、先に通話を切った。「舌が口にくっついたようなしゃべり方だった」 と妻は振り返る。最後の通話を終えた妻は同日午後にホテルまで呼び出され、「夫が死にゆくのをただただ見ていた」。 
財新記者は、ウィーンホテルが公表している番号に電話した。警備員を名乗る者によると、李亮の死については、衛生健康委員会など当局に連絡しなければならないという。李亮とともに漢陽国博コンテナ病院を退院した人は多く、彼と同じウィーンホテルで隔離されている人も少なくない。
李亮の病状が再発に該当するかどうかはまだわからない。
あるベテランの重症医学専門家は、今も武漢では多くの患者が病院で治療を受けており、重症患者が多く、病状は非常に複雑で深刻だと分析していた。

財新記者に対し、「一部の患者はすでに核酸が何度も陰性化している。退院患者の管理を適切に行うべきだ」と語る。
2月27日、山西省の80歳の姚は血漿治療を受け、治癒を宣言された後に死亡した。高齢の姚は、1月20日に家族で武漢から山西までドライブし、2月7日に新型肺炎と診断された。9日に他の患者の回復期血漿を輸血した後、胸部レントゲン検査で肺部の炎症が顕著に改善するなどしたが、その18日後に亡くなった。
姚の死亡当日、山西省は6日連続で新たな確定患者がおらず、死者もゼロだったと発表。同省の衛生健康委員会は、「姚氏の新型肺炎は一度治癒し、退院手続きも済んでいた。しかし高齢で、ほかの基礎疾患もあり、その後また入院して治療を受けたが、命を救うことはできなかった」と述べた。

 

*黄金律とされる核酸検査の限界

退院患者の管理に関心が集まっている。
武漢市江岸コンテナ病院は3月3日、患者らに対し、「市の防疫指揮部による最新の通告によると、最近退院した患者の中に再発者が比較的多く、再入院のケースが生じている」との緊急通知を出した。同病院は再発を減らし、”ゼロ・リターン”の目標を達成するため、退院予定の全患者の血液をその日のうちに採取し、ウイルス抗体Ig−MおよびIg−Gの検査を行い、完治での退院を保証することを決めた。
一部の専門家は、抗体検査を退院時に行うことで核酸検査と補い合い、正確性を高められると考えている。

一方、核酸検査は今でも新型肺炎確定診断の黄金律となっているが、取り扱いのハードルは高い。
危重症医学専門家であり中国医学科学院院長の王辰は2月5日、新型コロナウイルス感染の核酸検査は「陽性率が30~50%しかない」と公言。この発言が議論を呼んでいた。

現在の核酸検査は、通常は連続して何度も実施して初めて、真実に近い結果が得られるが、それでも偽陽性は避けられない。
2月28日午後、国務院(訳注:日本の内閣に相当)の新型肺炎に関する記者会見で、国家衛生健康委員会医政医管局監察官の郭燕紅は、「退院患者が核酸の再検査で陽性となるケースが、一部の省で報告された」と説明。さらに、「新型コロナウイルスは新しいウイルスであり、その発症メカニズムや疾病の全貌、発症後の特徴はさらに深く研究する必要がある」と述べた。
「われわれは退院患者の管理を一層強化し、14日間の医学的観察を要求すると同時に、専門家チームを組織してさらなる研究を行い、疾病の発生・発展・転帰(訳注:病気が進行して行きついた結果)の全プロセスに対する認識を一段と深めなければならない」(郭燕紅)
武漢のある病院の放射線科医は、李亮が退院後に亡くなったのは「(退院の)基準が甘かったからではないか」と分析。彼の病院でも、再入院後に死亡した人もいるという。

「個別事例であり、新型肺炎が直接の原因かどうか定かではないが、医学的見地からすると、このような患者を研究する価値は非常に大きい」。

(財新記者:苑蘇文、包志明、黄雨馨)
※敬称略。原文は3月5日の現地時間14:58配信
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