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「100年前の日本」が今と驚くほど似ている事情

現代日本の問題を大正時代から考察してみた

週刊東洋経済編集部
2020年02月02日


 

メリハリのない仕事ぶり、教師や役人の長時間労働、政治家の質低下、教師の体罰、新聞への批判、なりすまし詐欺、若者の読書離れ──。

いずれもここ数年メディアで取り上げられている社会問題だが、大正期、すでに指摘され、朝野を挙げて議論されていたものもある。100年前の視座から何が見えてくるのか。


*大正と平成の「類似性」

──その類似性に驚きますが、どうやって気づいたのですか。

もともと昔の新聞なんかを読むのが好きで、よくいわれる「昔はよかった」と事実とのギャップを感じていました。戦前のマナー、モラルをテーマにした本を書く際、最初は分野を定めずに幅広く資料を集めたところ、現在と同じような議論があるとわかりました。
例えば、1915(大正4)年に東京の小学校で教員が3年生の児童に体罰を振るい負傷させました。

親が告訴し裁判で争われましたが、並行して、現場の教師、元文部官僚から歌人の与謝野晶子まで、さまざまな人が体罰肯定、否定の意見を述べるといった具合です。


──なぜ大正期なのでしょう。

大震災の発生やバブル景気後の長期不況など個々の事象が似ているというより、歴史の流れに類似性があると思います。幕末維新の「混乱期」、明治の「発展期」を過ごして大正は「安定期」

昭和以降は、太平洋戦争と戦後しばらくが混乱期、高度成長が発展期で、平成が安定期です。
混乱期、発展期は社会的な大目標があるので、ささいな事象は問題視されない。

が、安定期になるとそうした事象が気になってきて、改善への動きが起きる

同時に、混乱期、発展期を経験した世代は安定期を享受する世代にふがいなさなどを覚えます


──「今どきの若い者は」(笑)。いつの時代も同じですね。

世の中が安定すると、必ずといっていいほど、庶民の堕落、退廃を指摘する声が大きくなる。

元官僚の澤柳政太郎は、現代の青年には遠大なる志が乏しく、大なる野心がない、依頼心のみ強い、こんな意気地のないことでは国家の前途も心細いと『野心論』に書いています。
元外交官、日銀理事の河上謹一も、新卒者の一括採用に当たり、「今時代の学生」は「大会社とか大銀行とかを選ぶ傾向があって、いずれも大樹の下は安全だという思念に付纏(つけまと)わられている」と『実業之日本』で論じています。
逆に、その実業之日本社を創業した増田義一は、時代の変化を無視して過去の価値観を当てはめることは誤りだと言っています。時代の違いを考えないのは、指導者の質低下という問題でも同じです。

 

*「勤勉に見えるように」働いていた

──読書離れも起きています。

東京市長を務めた奥田義人は、業務の細分化で特別に読書をしなくても出世できるようになったが、そうした人はリーダーとして「甚だ物足らぬ感がする」とし、時間のある若いうちにこそ古典などを読み、教養を身に付けるよう勧めています。
ここからわかるように、読書離れは若者に限らない

内容の貧弱なものばかり売れる、と質を問う人もいて、本を作る側の問題でもあるようです。

また、明治末期から大正にかけては人格向上の必要性を説く修養書が多数出版され、昨今の自己啓発本ブームに通ずるものがあります。


──働き方に紙幅を割いています。

働き方に関する議論が多かったのです。

今の働き方改革でも問題になった、メリハリのない仕事ぶりも以前からです。

レジオン・ドヌール勲章を受章した仏文学者の飯田旗郎はそうした仕事ぶりを「虚飾虚礼」とし、「もっとも上役の人達も、追従虚飾の勉強を喜ぶものが無いでもない」と、それを助長する上司の意識にも言及している。
日本人は勤勉と自ら言いますが、上司から勤勉に見えるように働いていたというのが実際です。

勤勉に見えるには、長時間会社にいなくてはならない

ダラダラやっているのに人に会えば「どうも忙しくて困る」(笑)。

効率の悪い働き方をしているという自覚に乏しい。


──そして、100年前から学校はブラック職場だった。

多くの教育関係者が、小学校の教員は学校では休息の時間がなく、授業後も授業案、統計表などの作成で帰宅は夜になると訴えているのには驚きました。

こうした声を受け、政財界からも「これでは駄目だ」という意見があったのに変わらなかった。
工場と違って労働時間と成果の関係が見えにくいうえ、「聖職」の語に象徴されるように、先生自身も、そういう仕事だからしょうがないと思っていたようです。

ただ、教師の人事にも影響力を持つ、視学という行政官の目を気にして、日没前に帰宅できないという記述もありました。

 

*「オレオレ詐欺」の原形も

──犯罪者も進取の精神を持って、せっせと働いていたようですね。

新しい技術やツールを産業界が採用するように、犯罪を仕事にする人も取り入れています。

新聞広告に「無担保信用貸し」と出し、集まった人から身元調査費をせしめ、調査もせずに「調査の結果貸せない」とはがきを送り付ける。本人の友人を名乗り、「代わりに金を受け取りに来た」と、本人の家族からだまし取る「なりすまし詐欺」は現代のオレオレ詐欺の原型。

このやり方では本人になりすませないが、電報と電報為替の登場で可能になった。

電報為替で送金せよとの電報を田舎の家族に打つ。振り込め詐欺と同じです。


──ほかのテーマも含め、問題が解決できていない印象です。

改善されたのは、「物品を粗雑に扱う」くらいですね。
確かに制度面での改善はあるのですが、その新制度の下でも人々は前と同じように考え、行動したりする。

例えば、参政権など女性の権利は拡大しましたが、それでも医大の入試で女子受験生の一律減点が続いていた。
政治で制度を変えることはできても、人の意識までは変えられない

変えられるとすれば教育で、100年前も同じような議論がありました。

しかし、「道徳教育を強化してきたのにまだモラルの低い人間が多い」という指摘があります。
産業面でも、技術や機械の進歩に働く人間の意識が追いつかないことを嘆く声がありました。

じゃあどうするのかというと、教育しかないのかな。

今後も、時間はかかっても改善されていくと思いたいですね。




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