知ってるだけの知識を「使える知識」や「知恵」に


本を読んだり、講演会やセミナーなどに参加したり、色々な体験したり、その中で様々な「知識」を得る機会があったはず。

知識を得るということは、自分を成長させたり、何らかの価値を生み出したり、周りに対して貢献したり、様々な場面において必要なことです。
知識は、大きく分けると2つに分けられます。

まず1つ目は、本を読んだり、講演会やセミナーなどで人の話を聴いたりするなどして得ることになる「客観的・理性的知識」「読み聞き知識」。

もう1つは、実際に体験、経験、実践したことによって習得することになる「主観的・身体的知識」「体験知識」。


一般的に、知識を得るといったら、「客観的・理性的知識」のことを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

例えば、子どもたちにとっては、学校や学習塾などにおいて、授業を受けることで習得することになる知識が、客観的・理性的知識。

また、職業体験、実験など実際に体験、実践することで得た知識が、主観的・身体的知識に当たります。

客観的・理性的知識は、言葉や文章、数式、図表などによって表すことができる知識です。

一方で、主観的・身体的知識は、言葉や図表などで表現することが難しい知識です。

例えば、自転車の乗り方の本を読んだり、映像を見たりして知識を得たとしても、その知識を活かして、実際に自転車に乗ってみないと、乗ることができません。また、自転車に乗れたという体験から得た知識を、自転車に乗ったことがない人に教えようとした時に、その知識を言葉で説明することはなかなか難しい。

これまでに、自分が体験、実践したことを、他者に伝えるために表現しようとしても、なかなか的確に表現することが難しかったという経験はありませんか。
文章などによって表現される客観的・理性的知識は、知識の中での氷山の一角。

多くの知識が、主観的・身体的知識として、表現されることなく、残されています。
客観的・理性的知識を、実際に活用して実験したり、それを踏まえて実践したりすることによって、主観的・身体的知識へとつなげることができます。

また、主観的・身体的知識理論化するなどして、文章にしたり、数式にしたり、図表にしたりすることによって、客観的・理性的知識へと統合することができます。

両知識を統合することによって、より付加価値となる知識となり、ひいては知恵となって発展していくのではないか。

例えば、おばあちゃんの知恵袋と言われる生活の知恵も、そのひとつ。
客観的・理性的知識だけを習得していても、実際に実践、体験などしていないので、知恵に発展することにはならず、使える知識にもなりません。

同様に、主観的・身体的知識だけでも、その時々の体験から得た知識なので、環境変化などがあると、その知識を応用して使うことができない側面があります。

また、文章化、理論化することが難しいことから、自分はできるけれども、他者に簡単に教えることができず、周りの多くの人たちに伝えることもできません。
このように考えると、お互いの知識を統合することによって、知識を知恵に発展させるとともに、多くの人たちに伝達できるようにすることが重要になってくるのではないか・・・。
自立・自律型人財にとっては、客観的・理性的知識を習得するとともに、その知識を実際に活用することが重要です。

同じく、自らが体験、実践することによって得た主観的・身体的知識を、理論化、文章化するなどして、環境変化にも柔軟に対応できるようにして、他者にもやさしく伝えることが大切になってきます。 


有名大学の学位保有という名誉、就職後の固定化された地位……。

以前、グーグルで人材開発のリーダーを務めていた、『ニューエリート』(大和書房)の著者でもあるピョートル・フェリクス・グジバチ氏は、こうした「旧エリート」の特性は、今急速に価値を失いつつあると指摘します。

モノを収穫していた生産経済の時代は肉体労働が主で、働く人には服従と勤勉が必要とされました。

次のナレッジ・エコノミー(知識を基盤とした経済)の時代になると、専門性知恵が求められるようになりました。

ところが今やその専門性や知恵も、AIによる代替が議論されています。
このような動きにより、人間のこれからの働き方のステージは、より創造性を問われる「クリエイティブ・エコノミー」の時代に入るといわれています。
だからこそ、グジバチ氏は「この時代に生きる人材は、ゼロから新しい価値を生み出す情熱、創造性、率先が必要になる」といい、そのことを踏まえて、今後のキャリアについて相談に来る相手にはいつも、こう問いかけるそうです。

Are you ready to get fired? ──クビになる準備はできていますか? 

つまり、たとえ今の職を失うといったショッキングなことが起きても変化を受け入れ、変わり続けることができる。

常に次の可能性に備えることができる人材こそが、これからの時代の「ニューエリート」の条件だというのです。
重要なのは「今どこにいるか」という地位よりも、元いた場所と今いる場所に差があること。

生まれながらのエリートがいつまでもエリートで居続けられる時代ではなく、「持続的に成長できる人」こそがニューエリート!!

「人がずっと同じような生活をしたり、生涯を通じて仕事をしたりすることが安定的でなくなった今、たとえ大人になったとしても学び続けない限り、『次世代の子ども』にも劣る存在に落ちてしまいます。つまり、学ぶことを放棄した大人は、次世代の子ども以下に『劣化』する。私たちは、そういう変化の激しい時代を生き抜かなくてはなりません」(立教大学 中原淳教授) 

現在は「右肩上がりに技術や知識が進歩する」社会です。
このような世界においては、たとえば「A」という世界で独り立ちできる知識や経験を積み、「大人」になれたとしても、安泰ではありません。変化の早い社会ではいったん大人になっても、大人で居続けられるわけではないのです。

時代は常に斜め上方向に流れ、「B」という世界に移行してしまいます。

時代が「A」から「B」に移れば、前時代の「大人A」は、もはや「大人」のままではいられません。

前時代の「大人A」は次世代の「子どもB」と同じ立ち位置になってしまうのです。つまり、現在の大人は、何もしなければ「次世代の子ども」にも劣る存在に落ちてしまうのです。
実際、前時代の大人が次世代の子どもに逆転されている現象は、変化の激しい分野ではもはや常識になっています。

元オラクル幹部で、テスラなどでリーダー育成を手がけ、『ルーキー・スマート』(海と月社)などの著書があるリズ・ワイズマン氏も、NewsPicksの取材でこう語りました。

「科学的な情報の量は9カ月で2倍のペースで増え、1年間に30%のペースで時代遅れとなる。常に知識を更新し続けない限り、5年先に使える知識は15%しか残っていない恐れがあります」

そして知識の“短命化”が進み、新しい発見のペースが速まる一方の時代においては、「経験を積んだベテランこそが危険」と警告します。


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