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ハサミムシの母の最期はあまりにも壮絶で尊い


生まれてきたわが子にすべてを捧げて逝く

稲垣 栄洋 : 静岡大学農学部教授

2019年11月24日

昆虫の中では珍しい「子育て」の特権を持っている生き物なのです(写真:ZU_09/iStock)

生きものたちは、晩年をどう生き、どのようにこの世を去るのだろう──。

老体に鞭打って花の蜜を集めるミツバチ、成虫としては1時間しか生きられないカゲロウなど生きものたちの奮闘と哀切を描いた『生き物の死にざま』から、ハサミムシの章を抜粋する。

 


石をひっくり返してみると、ハサミムシがハサミを振り上げて威嚇(いかく)してくることがある。

ハサミムシはその名のとおり、尾の先についた大きなハサミが特徴的である。
昆虫の歴史をたどると、ハサミムシはかなり早い段階に出現した原始的な種類である。
ゴキブリも「生きた化石」と呼ばれるほど原始的な昆虫の代表である。ゴキブリには、長く伸びた2本の尾毛が見られる。この尾毛は原始的な昆虫によく見られる特徴である。
ハサミムシのハサミは、この2本の尾毛が発達したものと考えられている。

ハサミムシは、サソリが毒針を振り上げるように、尾の先についたハサミを振りかざして、敵から身を守る。また、ダンゴムシや芋虫などの獲物を見つけるとハサミで獲物の動きをとめてゆっくりと食らいつく。
石をひっくり返すと、石の下に身を潜めていたハサミムシが、いきなり明るくなったことに驚いて、あわてふためいて逃げ惑う。
ところが、である。なかには逃げずに動かないハサミムシもいる。


ハサミを振り上げ必死にわが子を守るハサミムシ

どうやら、ただじっとして隠れているわけではなさそうだ。その証拠に、このハサミムシは、勇敢にハサミを振り上げて、人間をも威嚇してくるのである。
石をひっくり返したときにハサミで威嚇してくるハサミムシとは、どのような素性を持つのだろう。
見れば、そんなハサミムシのかたわらには、産みつけられた卵がある。
実は逃げずに動かないこのハサミムシは卵の母親である。母であるメスのハサミムシは、大切な卵を守るために、逃げることなくその場でハサミを振り上げるのである。
昆虫の仲間で子育てをする種類は極めて珍しい。
昆虫は自然界では弱い存在である。カエルやトカゲの仲間、鳥や哺乳(ほにゅう)類など、さまざまな生き物が昆虫を餌にする。

そんな昆虫の親が子どもを守ろうとしても、親ごと食べられてしまうことだろう。これでは元も子もない。そのため多くの昆虫は、子どもを保護するのをあきらめて、卵を産みっぱなしにせざるをえないのである。
そのような中でも子育てをする昆虫はいる。

たとえば、小魚やカエルさえ餌にする肉食の水棲(すいせい)昆虫のタガメも子育てをする。

あるいは、昆虫ではないが、毒針という強力な武器を持つサソリは子育てをする動物である。また、他の昆虫を餌にするクモの仲間にも子育てをするものがいる。
厳しい自然界で、子どもを守り育てる「子育て」という行為は、子どもを守る強さを持つ生き物だけに許された、特権なのである。
サソリの毒針ほど強力ではないが、ハサミムシは「ハサミ」という武器を持っている。そのため、ハサミムシは親が卵を守る生き方を選択した。
虫の子育ては、母親が卵を守るものと父親が卵を守るものとがいる。サソリやクモは母親が卵を守る。一方、タガメは父親が卵を守る
ハサミムシの卵を守るのは母親だ。

ハサミムシの母親が卵を産むとき、父親はすでに行方がわからなくなっている。子どもが父親の顔を知らないのは自然界ではごく当たり前のことである。


卵がかえるまで丹念に世話をする

ハサミムシは成虫で冬を越し、冬の終わりから春の初めに卵を産む。
石の下のハサミムシの母親は、産んだ卵に体を覆いかぶせるようにして、卵を守っている。

そして、卵にカビが生えないように一つひとつ順番にていねいになめたり、空気に当てるために卵の位置を動かしたりと、丹念に世話をしていく。
卵がかえるまでの間、母親は卵のそばを離れることはない。

もちろん、母親は餌を口にする時間もない。餌を獲ることもなく飲まず食わずで、ずっと卵の世話をし続けるのである。
ハサミムシの卵の期間は、昆虫の中でも特に長く40日以上もあるとされている。長い場合は、卵がかえるまでに80日かかった観察もある。その間、片時も卵のそばを離れることなく、卵を守り続けるのである。
そして、ついに卵がかえる日がやってくる。待ちわびた愛する子どもたちの誕生である。
しかし、母親の仕事はこれで終わりではない。ハサミムシの母親には、大切な儀式が残されている。
ハサミムシは肉食で、小さな昆虫などを餌にしている。しかし、孵化(ふか)したばかりの小さな幼虫は獲物を獲ることができない。

幼虫たちは、空腹に耐えながら、甘えてすがりつくかのように母親の体に集まっていく。
これが儀式の最初である。
いったい、何が始まろうとしているのだろうか。


最期は自分の命と引き換えに…

あろうことか、子どもたちは自分の母親の体を食べ始める
そして、子どもたちに襲われた母親は逃げるそぶりも見せない。むしろ子どもたちを慈(いつく)しむかのように、腹のやわらかい部分を差し出すのだ。

母親が意図して腹を差し出すのかどうかはわからない。しかし、ハサミムシにはよく観察される行動である。
何ということだろう。ハサミムシの母親は、卵からかえったわが子のために、自らの体を差し出すのである。
そんな親の思いを知っているのだろうか。ハサミムシの子どもたちは先を争うように、母親の体を貪(むさぼ)り食う。
残酷だと言えば、そのとおりかもしれない。しかし、幼い子どもたちは、何かを食べなければ飢えて死んでしまう。

母親にしてみれば、それでは、何のために苦労をして卵を守ってきたのかわからない。
母親は動くことなく、じっと子どもたちが自分を食べるのを見守っている。

それでも、石をどければ疲れ切った体に残る力を振り絞って、ハサミを振り上げる。それが、ハサミムシの母親というものだ。
母親は少しずつ少しずつ、体を失っていく。しかし、失われた体は、子どもたちの血となり肉となっていくのだ。
遠ざかる意識の中で、彼女は何を思うのだろう。どんな思いで命を終えようとしているのだろうか。
子育てをすることは、子どもを守ることのできる強い生き物だけに与えられた特権である。

そして数ある昆虫の中でもハサミムシは、その特権を持っている幸せな生き物なのである。
そんな幸せに包まれながらハサミムシは、果てていくのだろうか。
子どもたちが母親を食べ尽くした頃、季節は春を迎える。そして、立派に成長した子どもたちは石の下から這(は)い出て、それぞれの道へと進んでいくのである。
石の下には母親の亡骸(なきがら)を残して。



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