· 

日本列島と自然災害


対策立てれば未来は変わる

 http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00190.html

大雨によって大量の水がいっきに川に流れこむと、川を流れる水が急に増えて堤防を壊したり、堤防からあふれる危険があります。昔から利根川はたびたび水害を起こしてきました。人々は水害を防ぐために、堤防などの施設をつくる努力をしてきました。また、大雨のときに水害を防ぐために活動したり、日常努力している人たちも大勢います。洪水の危険がいまもあることを知り、被害をなくすためにみんなで協力することが大切です。

 

 

 

 

☞ 以下の抜粋記事にもあるように、豊臣秀吉によって移封された家康の「江戸の町づくりへの意地とその偉業が脈々と受け継がれてきた歴史を再認識すると同時に、先人への感謝の気持ちこそが大切だと感じている。 ※) 家康は、伊奈一族に江戸の町に上水(井戸)を引くように命じたと記憶している。


暗渠(水道管の地下埋設)システム。松や檜など、硬くて腐りにくい木の板が選ばれている。



(耕論)水害大国に生きる 柳見沢宏さん、竹村公太郎さん、角幡唯介さん

2019年11月12日@朝日新聞デジタル

 今年の秋は台風が相次いで日本列島を襲い、各地に水害をもたらした。

氾濫しやすい日本の川は治水事業が重ねられ、気象庁も特別警報を繰り返したが犠牲者が出た。

どうすれば、被害を防げるのか。

 


やなみさわひろし 1951年生まれ。中学校教員、校長などを経て、今年から長沼地区内の赤沼区長を務めるとともに現職。

■共助の意識、地域で育てる 柳見沢宏さん(長野市長沼地区住民自治協議会会長)
 台風19号の影響で千曲川の堤防が決壊した長野市長沼地区は、これまでも水害に見舞われてきました。168人が亡くなった1742年の「戌(いぬ)の満水」など内水氾濫が起きることが多く、1983年には堤防が決壊寸前になりました。これをきっかけに防災訓練が行われるようになり、今年6月の訓練には、約900世帯2318人のうち、約200人が参加しました。
 今回の災害では市の避難勧告の1時間半前、午後4時半に自治協議会の対策本部を立ち上げました。訓練通りに、名簿に挙げていた高齢者ら支援が要る約60人に担当の住民が電話や訪問で避難を呼びかけ、避難の手助けもしました。
 できるだけのことをしたと思いますが、避難の確認の不十分さから2人の方が亡くなり、残念です。堤防への過信があったと思います。
 今回の教訓として、いつどんな警戒や対策を始めるかという「タイムライン防災行動計画」を、もっと綿密に作っておかなければと思いました。

またプライバシーを考え、名簿に固定電話番号しか載せていなかったのも反省点です。

情報伝達や安否確認に苦労し、全員と連絡がつくまでに6日かかりました。
 「災害時は互助・共助が大事」と言われます。

でも痛感したのは、実際に水害になり、水が出ている最中は手が出せないということです。
 発災直後は自分もパニックに陥り、何からどうしたらいいか考えられなくなりました。

避難所で2日間過ごしましたが、眠れず、休めず、親類宅へ移らせてもらいました。自分の安定がないと、共助までいきません。
 今回ほどの災害になると、市町村の手にも余ります。国には省庁の縦割りを乗り越えて、迅速に対応してほしい。行政より柔軟な民間の力も活用してほしいと思います。
 長沼地区は私の郷里です。中学校の体育教師として長野県内を転々とし、40歳のときに戻ってきました。新住民の流入が少ない地域で、地区対抗の運動会などではまとまりを感じました。

「これだけ地域のつながりが強いと、若者は煩わしく感じるだろうな」とも思いましたが、私も先輩に促され、小学生のミニバスケットボールの世話などを通じて関係を築いてきました。
 共助は、一時(いっとき)や個人の取り組みでできるものではなく、連綿と培っていくものです。

ふだん、地域のつながりが薄いところでは、子どもや学校を介して、共助の意識を育ててはどうでしょう。今年の防災訓練でも、小学生が防災マップを作りました。
 豊かな自然は災害リスクと表裏一体です。簡単ではありませんが、魅力を強調して新住民を受け入れつつ、共助を支えるコミュニティーを維持したいと考えています。(聞き手・大牟田透)



たけむらこうたろう 1945年生まれ。国土交通省河川局長などを経て現職。著書に「日本史の謎は『地形』で解ける」など。

■100年先を見据えた治水を 竹村公太郎さん(日本水フォーラム代表理事)
 古来、日本人は河川を「八岐大蛇(やまたのおろち)」と名付けて恐れてきました。

大蛇の首のように扇状地に広がる支流がときどき氾濫し、住民に水害をもたらしたからです。
 江戸時代に入り、人々は協力して堤防をつくり、「大蛇」を1本の川に封じ込めました。その結果、農作地が増えて、豊かな生活を手に入れることができたのです。
 堤防を維持する役割を担ったのは祭りです。

堤防の近くに神社が作られ、祭りの度に住民が集まり、堤防の上を歩いて踏み固めました

知らず知らずのうちに地域が一体となって堤防を守ることが文化や伝統になっていきました。
 堤防によって守られた低地は明治以降、急速な工業化の中心地となりました。

国土の約7割が山林や原野という事情を考えれば、他に方法はありませんでした。

しかし、堤防がなければ氾濫してしまうような低地に、全人口の50%、資産の75%が集中する、いびつな土地利用の国になってしまったのも事実です。
 今年、各地で相次いだ大水害は、河川の流域に潜んでいた「八岐大蛇」としての側面を改めて浮き彫りにしました。
 地方の被害が目立ったのは、治水工事が都市に比べ遅れていたのが一因です。でもそれ以上に気象の「凶暴化」の影響が大きいと思います。
 日本の過去100年間の降水量のデータをみると、年々振れ幅が大きくなっていることがわかります。大渇水があれば、大洪水もあり、予測がつきにくくなっている。今回も過去のデータから算出した予想を上回る量の雨が降り、被害が拡大したのです。
 東京は今回こそ大被害は免れましたが、さらなる人口集中が予想されるなか、未来永劫(えいごう)安心とは言い切れません。
 今後、必要となる治水は、短期的にはダムのかさ上げなどハード面の整備です。ただ税金には限りがあり、一番危険な場所や、重要な場所を優先して工事を進めていくしかないでしょう。
 長期的には土地利用の制限といった荒療治も必要です。

川沿いの野放図な土地開発が、最近の被害拡大につながっていると言えます。

浸水想定区域の利用制限などに手をつけない限り、根本的な解決にはつながりません。
 気候変動は、想定を上回るペースで進んでいます。

100年先はさらなる温暖化が見込まれ、海面も上昇することが予想されます。

治水計画を過去のデータに基づいて立てるのではなく将来予測を前提とするかどうかは、今後の大きな焦点になると思います。
 江戸時代の堤防がいまの日本の国土を守っているように、治水は100年先を見据えた大仕事になります。私たちの子孫が安全に生きていくために何をすべきか。

全国民がいま考えるべき問題です。(聞き手・日浦統)
 



かくはたゆうすけ 1976年生まれ。著書に「極夜行」(大佛次郎賞)、娘との日々を描く新刊「探検家とペネロペちゃん」など。

■命守る判断、委ねず自分で 角幡唯介さん(探検家・作家)
 台風19号が上陸したとき、自宅裏の崖の土砂崩れが心配だったこともあり、NHKで台風情報をずっとチェックしていました。そのときに煩わしくて嫌だったのが、アナウンサーが何度も繰り返す「命を守る行動を取ってください」という言葉でした。
 「命を守る」ことが全てに優先するのは当然だし、切迫した事態を住民に伝えようという意図はわかります。実際に、この連呼で救われたという人もいたでしょう。
 でも、どう命を守るか、その行動を判断するのは個人であるということも当たり前の事実です。

私たちは日々、さまざまなリスクと向き合い、判断し、行動し、結果を出します。

このサイクル自体が生(せい)であり、自由な判断が個人に属することは、人間の尊厳にもかかわる本質と言えます。
 その最も個人的な領域に踏み込み、「命を守る行動」の正しさが前面に出たらどうなるか。

死者を減らすには、台風の直撃を受けそうな地域に住むお年寄りは、個人が判断するより当局が全員避難所へ移すという判断を下した方がいい、となりかねません。
 今回のような表現に違和感を覚える人が少ないとしたら、個人で判断するという行為を、権威や機関、AIなど自分以外の「誰かに委ねる」という傾向が、どんどん進んでいるからでしょう。
 カーナビが良い例です。

人は従来、紙の地図と目に入る周囲の目印を照らし合わせ、外の世界を身体の中に取り込み「地図」を作るという作業を通じて道を覚えてきました。

自分の身体を外の世界に関与させることで、対象を知ることができたのです。この過程を一切カーナビに任せてしまえば楽で効率的な半面、個人の知覚は鈍くなり、道を覚えにくくなります
 関与することの面倒くささを回避しようとする傾向は、人と人とのコミュニケーションでさえネット上だけで済ませるなど、社会全体で進んでいます。意識的に「誰かに委ねる」ことに歯止めをかけないと、止まらないのです。
 私はスマホを短期間で、ガラケーに戻しました。

      ☞ 2022年3/末には、3Gケイタイがなく終了になります♪ (Ogawa加筆)

地図アプリも、乗り換え案内もないので、目的地に行くのに遅刻したり迷ったりしますが、自分で判断するからイライラしません。
 災害の際も、自分の命を守る判断を自分以外に指図されるべきではありませ

「命を守る行動を」という命令調の言葉ではなく、「川が氾濫する可能性があり、この地域は極めて危険です」という風に、細かい具体的な情報で切迫感を伝える言葉を工夫した方がいいと思います。
 細かい表現にこだわるのは、こうした言葉遣いへの慣れが、人間の意識や感覚を自分以外に委ねる流れを加速させかねないと思うからです。(聞き手・中島鉄郎)



メール・BLOG の転送厳禁です!!  よろしくお願いします。