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「入場料を取る書店」がまさかの大流行した理由

お客はいったい何にお金を払うのか?

永井 孝尚 : マーケティング戦略コンサルタント
2019年10月28日

書店が次々と閉店していく中、新たな試みで売り上げをあげている店舗がある。(写真:VTT Studio/iStock)

ドラッカーは「マーケティングの究極目的は販売を不要にすることだ」と言った。

◆「売らない」戦略でV字回復を遂げたネスレ

◆「多くの商品は、売らない」と決めてバカ売れするようになったジャパネットたかた

◆「多数客には、売らない」ことで業績回復したマクドナルド

◆超「上から目線」で売る気がなさそうなのに行列のカレー店の秘密

マルイではすでに商品を売っていない

販売至上主義で売れた時代は、とうに終わった。

にもかかわらず、いまだに昭和型の「大量生産、安価で大量販売」モデルから脱け出せていない企業のなんと多いことか。

活気があった多くの業界が低迷に苦しんでいる。書店業界はその筆頭だろう。
かつての名店が次々と閉店している。そんな中で、入場料を取る書店が賑わっているのをご存じだろうか?
マーケティング戦略コンサルタントであり、『売ってはいけない』の著者でもある永井孝尚氏によると、「市場縮小のような大きな変化が業界で起こった時こそ、『販売活動からはお金が取れない』という常識を見直すチャンスだ」という。そこで、業界の激動期における販売活動のあるべき姿を語ってもらった(本記事は、同書の一部を再編集したものです)。

入場料を取る書店が大はやり

出版業界の低迷が続いている。紙の出版販売額は20年で半分に縮小しているという。ビジネス書の著者である私にとっても、ひとごとではない。なじみの書店も次々と閉店している。2018年6月には、六本木の名店「青山ブックセンター」も閉店してしまった。
今や本以外にも情報を得る手段はたくさんある。そしてネット書店のほうが、リアル書店よりも利便性は高いし、品ぞろえも圧倒的だ。
リアル書店にとっては、厳しい戦いである。
そんな中で2018年の年末、閉店した青山ブックセンターの跡地に「文喫(ぶんきつ)」という新しい書店がオープンした。
なんと入店する際にお金を取るという。早速、行ってみた。
店の入口で1500円+消費税を払うと、バッジが渡され、入店できる。店の構造自体は、かつての青山ブックセンターと大きく変わらない。
しかし、空気感がまったく違う。いい感じになっていた。おしゃれで、空間的にゆったりとした余裕があるカフェ、といった感じだ。
ソファー、テーブル、さらに床の間なども用意され、お客は思い思いの姿勢でくつろいで本を読んでいる。Wi-Fiも使えるので、パソコン作業もできる。
営業時間は朝9時から夜11時まで。本は読み放題。コーヒーは無料で何杯もおかわりし放題。食事もできる。
大きなビーフの塊がゴロッと入っているハヤシライスもおいしい。制限時間はなく、本を読みながら飲食ができるので、何時間でも滞在できる。
店内には3万冊の蔵書がある。新刊だけではない。書店員が目利きした本ばかりだ。1冊本を取ると、その下には関連した別の本が出てくる。
こうして新たな本との運命の出合いを提供してくれる。気に入った本は買うこともできる。
読んだ本は戻す必要がない。店内に何カ所かある返本台に置いておけばいい。今や、休日には10人以上が入店待ちという人気店である。
街中のカフェで本を読んだり仕事をしたりする人は多いが、長居をすると時間も気になる。文喫なら、時間を気にすることなくゆったりと本を読み、食事をし、仕事もできる。もし六本木で時間に余裕があれば、ぜひ立ち寄ることをお勧めしたい店だ。

お客が何にお金を払っているのかを見極めよ
とはいえ、収益が気になるところだ。文喫は多い日には200名ほどが来店。滞在時間は平均3~4時間。来店客の4割が書籍を購入するという。
これは通常店舗の4倍だ。さらに客単価は通常店舗の3倍である。入場料、飲食料、本の売り上げを全部合わせると、収支が取れているという。
文喫は出版取次で最大手の日本出版販売(日販)のグループ会社が運営している。出版社と書店の間を取り次いで本をスムーズに流通させるのが主な業務だ。
日販は書店の価値を高める挑戦を行っている。文喫は、そんな挑戦の1つなのだ。
青山ブックセンター跡地の活用を任された日販の社員は、悩んでいたという。
あの名店・青山ブックセンターも赤字だった場所だ。普通の書店にしても、まず収益化は期待できない。
一方で、この記事を読んでいるあなたは、書店に行くと「今まで知らなかった、何か新しい本と出合えるのではないか?」と無意識にワクワクすることはないだろうか?「知らなかった知識と、偶然に出合う」というリアル書店ならではの体験を提供するためには、ゆったりと余裕を持ってくつろぎ、本を読みながら時間を過ごす必要がある。
そこで、担当者は考えた末、「リアル店舗ならではの体験」を提供する対価として有料化のアイデアを思いつき、数カ月間の準備で文喫が生まれたという。
これまでの書店は、書店ならではの「新しい知識との偶然の出合い」という価値を無料で提供していた。その価値に価格を付けるという挑戦をしているのが、文喫なのだ。

ジュンク堂新宿店が教えてくれた書店の価値
書店本来の価値を教えてくれるある出来事が、7年前にあった。2012年3月、ジュンク堂書店・新宿店の閉店である。
書店員は自発的に本を持ち寄り、「本音を言えばこの本を売りたかった!! フェア」と名付けた最後のブックフェアを実施した。
本1冊1冊に、書店員の熱い手書きメッセージ付きポップが丁寧に添えられた。
店内の至る所には、特大メッセージが掲げられた。
「書店はメディアだ」
「ホント本屋が好き!」
「わたしたち、本にはいつも片想い?─書物に対する欲望と快楽、その現代的考察」
書店員の情熱は客にも伝わり、SNSの口コミで話題は急拡大。
ソーシャルメディアでは、こんな声が寄せられた。
「素晴らしすぎて、なんか久々に書店で胸がじんとなった」
「やばい行きたい、ジュンク堂新宿店行きたい」
「ジュンク堂新宿店が、店員さんたちの愛と狂気で満ちているらしい」
「ジュンク堂新宿店の店内がすごいとはよく聞くが、それが本来の小売業なのよね」
最後のブックフェアの売り上げは、通常の2~3割増。3月31日の閉店日には多くの客が詰めかけ、閉店間際にはレジに大行列。
書籍の棚はガラガラになった。退店する大勢の客を、ジュンク堂新宿店の店員は総出で見送ったという。
新宿店の店長は、このように語っている。
「リアル書店が果たさなければならない役割がある。
『こんな本があります』という提案型の売り場作りや、実際に本を見て選んでもらえるのは、リアル書店だからこそです」
ジュンク堂新宿店の最後のブックフェアが私たちに問いかけたことは、「書店の価値とは、本当に本をそろえて、売ることだけなのか?」ということだ。
書店の価値の本質は、「それまで知らなかった知識との偶然の出合い」である。
知らなかった知識との偶然の出合いは、過去の購買履歴を基にしたネット販売のリコメンド機能では決して得られない。だから、私たちは書店に行くと知的好奇心がくすぐられ、どこかワクワクする。そして、本に囲まれた環境に居心地のよさを感じ、長居したくなる。
入場料を取る書店・文喫が目指したことは、まさにリアル書店への原点回帰なのだ。

これまで無料で提供していたことに価格を付ける
まったく別の業界でも、同じような事例はある。
私は、1980年代中頃に日本IBMに新卒で入社した。当時IBMの主力製品は、大企業向けの大型コンピューター。
IBMのセールスはコンピューターを活用した経営変革を大企業に提案し、大型コンピューターを売っていた。この経営変革の提案は無料。
IBMの対価は、1台十数億円の大型コンピューターの売り上げだった。その後、コンピューターの価格性能比は年々向上し、価格も大幅に下がっていった。
こうなると、コンピューター本体の売り上げだけでは、提案の対価を回収できない。
一方で、ITがさまざまな業務で広く活用されるようになっていくと、企業にとってITを活用した経営変革の提案の価値は大きく上がっていった。
そこで、IT活用による経営変革の提案に高い価格を付けて売るようにしたのが、経営コンサルティングである。
今や東大生の人気就職先ランキングには、野村総研、ボストンコンサルティンググループ、マッキンゼー、アクセンチュアなどのコンサルティング会社がズラリと並ぶほどの人気業界になっている。私たちは、販売活動そのものからは「お金を取れない」と頭から信じ込んでいる。
しかし、この常識は疑うべきである。本来高い価値があるのに、売れる商品があるがゆえに、その価値をタダで提供している業界は少なくない。
例えば、出版業界の市場規模が大きく縮小したり、コンピューターの価格が大幅に下がったりというように、業界に大きな変化が起こった時は、価値を見直す大きなチャンスだ。
今まで販売活動のためにタダで提供していたものの価値を高めたうえで、価格を付けることで、本当にその価値を必要とする顧客が集まってくるのだ。

 



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