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デジタル時代の新指標「GDP+i」が示す豊かさ

デジタル化の進展で拡大した消費者余剰

森 健 : 野村総合研究所 上級研究員
2019年10月15日

野村総合研究所(NRI)のデジタルエコノミー研究チームは、GDP(国内総生産)などの従来の枠組みではとらえきれない「デジタルが生み出す経済効果」を「消費者余剰」の観点から計測した。

今般、さらに調査研究を進め、デジタル資本主義の時代の経済活動を示す指標として「GDP+i」を、社会のデジタル化の進展度合いを示す指標として「DCI」を提案したい。

☜ スマートフォンによるインターネット利用の普及で消費者余剰が拡大している

GDPに含まれない「消費者余剰」が拡大

野村総合研究所(以下NRI)は、日本で3年に1度、「生活者1万人アンケート」を実施している。

これによれば、2018年に自分自身の生活レベルを「上/中の上」あるいは「中の中」とみなす日本人の比率は75%であり、2006年にはその合計が58%だったのに比べると大きく上昇している。
一方、同時期の日本のGDP(国内総生産)や平均賃金などの経済指標はほぼ横ばいなので、経済指標では説明できない生活水準の改善が起こっていることになる。NRIのデジタルエコノミー研究チームはその大きな要因として、デジタル技術による生活の利便性向上、経済学の用語を使えば「消費者余剰」が増大したためだと考えている。

https://otmlabo-blog.jimdofree.com/2019/10/18/%E3%81%8A%E3%81%8C%E3%82%8F%E3%81%AE%E9%9F%B3-%E7%AC%AC868%E7%89%88%E3%81%AE%E9%85%8D%E4%BF%A1/

消費者余剰とは消費者がある商品・サービスに対して最大限支払ってもよいと考える金額と、実際に支払った価格の差分であり、わかりやすく言えば消費者の感じる「お得感」である。「お得感」は個々人の頭の中に存在していて、実際に貨幣のやり取りが発生するわけではなく、GDP(国内総生産)には捕捉されていない。このように概念的な存在ではあるが、私たちの日常生活に目を向けると、ここ数年で、インターネットの価格比較サイトを通じて最安値のお店を簡単に探せるようになり、スマホで無料の地図サービスや検索サービスを常時利用でき、SNSを通じて友人・知人とつながることができるようになっている。こうしたデジタル化の進展によって、莫大な消費者余剰が発生していることは想像に難くない。裏返せば、無料や低価格のサービスが増えたことがGDPの伸びを抑制しているともいえる。

 

研究チームは神戸国際大学の辻正次教授、大阪大学の柿澤寿信講師の協力を得て、2019年7月にLINE、フェイスブックなどの主要SNSに対するユーザー(日本)の支払意思額の研究を行い、そこから各プラットフォームが生み出す消費者余剰を推計したところ、LINEは約7兆円、フェイスブックは約5兆円の消費者余剰を生み出しているという結果が出た。ツイッターやインスタグラムを含めた4つで20兆円にものぼる。

デジタルが生み出す消費者余剰は100兆円以上

さらに研究チームは、ロッテルダム・スクール・オブ・マネジメント(RSM)との共同研究を通じて、有料・無料のデジタルサービスが日本で生み出している消費者余剰の推計を行った。

それによれば、日本では2013年には101兆円、2016年には161兆円の消費者余剰がデジタルサービスから生み出されていて、国民1人・1月あたりに換算すると、2016年時点で約10万円となる。

同期間の実質GDP成長率は年0.7%であるが、仮にGDPに消費者余剰を上乗せすると、その合計値は同期間に年率3.8%で増えていることになる。これは冒頭に紹介した「生活者1万人アンケート」が示す結果に、感覚的により近いと言えるだろう。
なお留意すべきは、お店で購入する商品や対面サービスなどの「アナログ」領域からも消費者余剰は発生していて、その数値はここには含まれていないことである。つまり消費者余剰の全体像はこれよりもさらに大きいはずなのだが、消費者余剰の拡大分の大半は、デジタルサービスの普及によるものだとわれわれは考えている。
しかし観念的な存在である消費者余剰を、単純にGDPにアドオンするのは乱暴な議論であろう。そこでGDPを数学でいうところの実数、消費者余剰を虚数的(観念的)な存在として捉えてみたい。

デジタル時代の新指標1:「GDP+i」(GDPプラスアイ)
数学では実数+虚数を複素数と呼び、横軸に実数、縦軸に虚数をとった複素数平面(ガウス平面)でそれを図示する。NRIはGDPを横軸、消費者余剰を縦軸にとった指標を「GDP+i」(GDPプラスアイ)と名付けた。

横軸が物質的充足度を、縦軸が精神的充足度を表しているという見方もできるだろう。現在は消費者余剰を縦軸(i)としているが、金銭換算できない豊かさの要因もあることから、縦軸にとる指標については今後さらに進化させていきたいと考えている。
日本経済をGDPではなく「GDP+i」で捉えると、違った姿が見えてくる。

例えば2013年から14年にかけて日本のGDPはほとんど増えなかったが(横軸)、消費者余剰の増加は大きく(縦軸)、GDPには現れない生活満足度の上昇があったことが想像できる。

反対に2015年から16年にかけては、消費者余剰がほとんど増加しておらず、デジタル化が生活満足度に及ぼす影響が鈍化した可能性がある。データトラフィックは右肩上がりで増えているのに、消費者余剰が増えていないとしたら、それはデータが有効に活用されておらず、価値創造ができていないことを意味している。

社会のデジタル化で生活満足度は向上する

欧州委員会(以下EU)は、加盟国のデジタル化の度合いをDESI(The Digital Economy and Society Index、デジタル経済社会指標)という指標で毎年報告している。

DESIは、各国のネット利用やデジタル公共サービス、コネクティビティなどを指数化したものだが、EU各国のDESIと市民の生活満足度の関係を調べたところ、両者の相関係数が非常に高く、DESIが高い国ほど生活満足度が高い傾向にあることがわかった。

相関が高いとは言っても、両者の関係は因果関係を意味していないこと、また所得などの第3の指標が背後で影響を及ぼしている可能性があること(つまり見せかけの相関の可能性)、さらにデジタル化はプライバシー問題やSNS疲れ、オンライン中毒など負の側面も生み出していることから、この相関関係についてはさらなる研究が必要ではある。
だが、総合的にみれば、デジタル化は人々の生活満足度を高める重要な役割を果たしていて、言い換えるなら「GDP+i」のiを生み出す潜在能力(ケイパビリティ)を表していると考えている。

デジタル時代の新指標2:デジタル・ケイパビリティ・インデックス(DCI)

われわれは欧州のDESIを参考に、日本のデジタル度合いを示す指標としてデジタル・ケイパビリティ・インデックス(DCI)を考案し、そのトライアルとして日本の都道府県に適用してみた。

DCIは、市民がデジタル技術を活用して生活満足度を高める潜在能力(ケイパビリティ)の大きさを表す。

4つの大項目、「ネット利用」「デジタル公共サービス」「コネクティビティ」「人的資本」からなり、その内容は図のとおり。

4項目を1つの指数に合成するにあたって、都道府県別の生活満足度(NRIの生活者1万人アンケートより)との相関関係を見たところ、ネット利用とデジタル公共サービスとの相関が比較的高いことがわかった。つまり日本では、市民のネット利用度が高いほど、また住んでいる町の公共サービスのデジタル化が進んでいるほど、生活満足度が高い傾向にある。DCIは所得を補完する指標でもある。所得が上がれば生活満足度は高まる可能性が高いが、さまざまな研究によって、所得の影響度合いは徐々に減少すると言われている。つまり、平均所得が高い自治体で市民の生活満足度を高めるためには、DCIを高めることが有効であろう。反対に、平均所得の低い自治体であっても、DCIが高まれば生活満足度も高まることが期待できる。

公共サービスのデジタル化が有効だ

われわれはDCIの4項目のうち、特に「デジタル公共サービス」に着目した。日本人の生活満足度との相関が比較的高いことと、「ネット利用」と比べてもまだまだ日本では向上の余地が大きいためである。
前出のように、北欧諸国は生活満足度とDESIの両方が高いが、これらの国々では公共サービスのデジタル化が非常に進んでいることにも注目すべきである。

北欧はもともと高福祉国家であり、国民と国家の間の信頼感があるため個人データ授受の抵抗感が小さいこと、少子高齢化が進み、人口密度も低く、効率的な行政にはデジタル化が不可欠だったことなどの背景がある。
例えばデンマークでは、2001年時点ですでに国民共通番号とデジタルIDによる電子署名がはじまり、2011年には「デジタルポスト」と呼ばれるポータルを通じての行政サービス利用が義務化され、現在は96%の国民がデジタルポストを利用しているという。
バルト3国の1つエストニアでは、2001年に「X-Road」と呼ばれるデータベース連携プラットフォームが導入され、デジタルIDを用いた電子行政手続きが可能となった。現在は行政サービスの99%がオンラインで利用可能となっていて、会社設立の98%、税務申告の97%がオンラインで行われている。

さらに国民はポータルを通じて、誰が自分のデータにアクセスしているかを確認でき、必要があればブロックすることもできるなど、データの市民主権が確立されている。
デジタル公共サービスは生活者の利便性向上だけでなく、企業の生産性向上にも十分資する可能性がある。

経済協力開発機構(OECD)は世界主要国について、電子政府の発展度と労働生産性の関係を図示しているが、デンマークをはじめとした北欧諸国は両方の数値が平均よりもかなり高い。
対する日本は電子政府の発展度は平均以上だが、労働生産性は平均以下である。

日本でも今後マイナポータルを活用したスマート公共サービスによって、従業員の社会保険・税手続き等が自動化されるようになれば、その分の人員資源を有効に活用することができるなど、企業の生産性向上にも貢献することが期待できる。


デジタル資本主義では「顧客起点経営」に

最後に視点を企業に移し、急速に進むデジタル化のなかで企業がとるべき道筋について考えてみよう。

18世紀の産業革命以降に起こった産業資本主義に対して、21世紀から本格化しつつあるデジタル革命は、「デジタル資本主義」とでも呼べる新たな資本主義体制を生み出していると、われわれ研究チームは考えている。
デジタル資本主義では日々産み出される膨大なデジタルデータが利潤の源泉になる。顧客の嗜好や特性に関する情報を明示的・暗示的に入手し、それぞれの顧客にあった最適なサービスが提供される。
サブスクリプション型のビジネスを支援するソフトを提供しているズオラ社のCEOであるティエン・ツォは、「アマゾンとウォルマートの違いは、ネットかリアルかの違いではなく、顧客から発想するビジネスか、商品から発想するビジネスかの違いである」と述べている。この違いはデジタル資本主義と産業資本主義の違いといってもよい。
商品から発想する産業資本主義では、顧客を「マス」、つまり同質的な塊とみなして同じ商品を販売する。

顧客をいくつかのセグメントに分類して、それぞれに異なる商品をアピールするのも、同一セグメントに入る人々を同質だとみている点で、基本的には商品起点の発想である。
他方、デジタル資本主義では、顧客ごとの嗜好や特性に関するデータが豊富に入手できることから、顧客がひとりひとり異なる存在であることを前提にビジネスがはじまり、そこから徐々に共通点が見えてくる。

言い換えると、各顧客を「エリート」として特別扱いするかのようなサービス提供を行う。

これこそが真の意味での「顧客起点」の経であり、日本企業のなかにもそのような事業転換の事例が出始めている。
顧客起点経営のもとでは、国全体の新指標として紹介した「GDP+i」のように「利益+i」、つまり横軸の利益だけでなく、顧客の精神的充足度をいかに高めるか(満たすか)という縦軸の意識がこれまで以上に重要になる。

さらにいえば、DCIが示すように、自社の製品・サービスを通じて顧客の「潜在能力(ケイパビリティ)」をどう高めるのか、という視点もこれまで以上に重要となるだろう。



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