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「駄目なマニュアル」が組織にのさばる深刻度

世の中、役に立たないマニュアルが多い

中田 亨 : 産業技術総合研究所 人工知能研究センター NEC-産総研人工知能連携研究室 副連携室長
2019年10月15日

ミスに悩む企業の多くで、マニュアルに深刻な欠陥を抱えているが、気づかれずに放置されている例が多い。わかりやすいマニュアルを生み出すには、作文だけでなく、作業の全体的かつ総合的な改善が必要だ。長年、人間のミスの研究を続けている中田亨氏の著書『「マニュアル」をナメるな! 職場のミスの本当の原因』から一部抜粋のうえ、紹介。
ミスが多発する現場には、「駄目なマニュアル」がある!

            「書き方がダメ」
               「作業手順がダメ」
                                                      「人間の心理を分かっていない! 」


歪められるマニュアル

マニュアルの本来の目的は、「作業に携わる読み手が、自分の要望に応じて、正しく状況を判断し、間違えずに操作ができるようにするため、情報を与えること」と言える。だが実際には、理想とは異なる、時には「邪悪」ですらある目的で、マニュアルが作られることがたびたびある。

 

仕方なく作ったマニュアル

「マニュアルを添付すること」と、法律や規則が要求していたり、発注者から求められているので、やっつけ仕事で作った文書をマニュアルと称して付けることがある。ソフトウェア制作会社が手を抜く場合、ソフトウェアの取扱説明書と称して、画面のキャプチャ画像を何の工夫もなくべたべた貼りつけただけの、紙芝居スタイルの説明書を作ることが多い。「あるボタンを押すと、別の画面が現れる」という情報の単なる羅列である。
紙芝居型のマニュアルは非常に使いづらい。そもそも内容がかったるい。各画面でどのボタンを押せばよいかは、見ればわかるものだ。

「送信画面が現れたら、送信ボタンを押します。これで送信できます」という言わずもがなの情報だけで、マニュアルのページを埋めている。
また、そもそも紙芝居は、読者を正し手順に誘導することに不向きである。

例えば、店への行き方を写真の紙芝居風に羅列して説明しているウェブサイトをよく見かける。正しいルート上で出くわす分岐点だけを写真に撮って、紙芝居に仕立て、どの分岐に進むべきかだけを指示するという方式だ。だが、これでは正規ルートにいるときにしか使えない情報ばかりになってしまう。何かのはずみで一度でも正規ルートを外れて脇道に入ると、その後は何の誘導もなくなってしまう。

本来なら、ユーザーが安心して楽に操作できるようにするため、必要な説明を丁寧にするべきだ。

例えば、修正の仕方や、途中結果の確認方法などの手順である。そこまでは手が回らないと見えて省略してしまう制作会社が多い。

ソフトウェア制作会社には大小さまざまあるが、大手でも、このスタイルのマニュアルを作って平然としているところがある。

 

責任回避手段としてのマニュアル

事故が起きても「マニュアルに指示されている手順とは異なる作業をした人が悪い」という言い訳や、「マニュアルには警告が書いてあった」という法的な逃げ道を作るために、マニュアルが作られることがある。
警告は製品の危険性を指摘するものであり、読者には見せたくないためか、やたらと小さい活字で、しかも薄い灰色で印刷している企業もある。
最近は、世界的な消費者保護の運動を受けて、これらの言い訳は法的には認められにくくなった。

製品事故の裁判で言い訳を無理に押し通そうとしたため、巨額の制裁的賠償金を課されて破綻した企業もある。ひとたび不祥事が1つ起こると、「再発防止策を講じろ」と上層部や監督官庁や外部有識者委員会などから命じられるものだ。この命令に対して、安直に「再発防止マニュアルを作りました」と答える場合が多い。そのマニュアルを実行して本当によいのかは二の次で、取り繕いのためだけの「逃げ」のマニュアルが増えていく。

 

手間を増やしてはならない

これは大学に関わる人なら誰でも知っている話だが、ある大学では、教職員がカラ出張をすることを阻止するために、厳しい対策を打ち出した。

学会参加などで出張に行った場合は、「確かにこの人は何時から何時まで学会に出席していました」という証明書を第三者に書いてもらい、サインしてもらうべしというお触れを出したのである。その結果、いろいろな学会会場で、見知らぬ人から「この書類にサインしてくれ」と頼まれるという珍風景が繰り広げられた。カラ出張は防げても、みっともなくて大学の評判に傷が付いてしまう。
泥棒が出るたびに、刑法条文を増やすような風潮が社会にはある。
「再発防止策を講じろ」と命じる立場の方々には、ぜひ「しかし手間を増やしてはならない」という一言を添えるようにしていただきたい。

私はある自治体から、事務ミス対策委員会の委員長を頼まれたことがある。そこでは事務ミスが起こるたびに、その大小を問わず、ミスの概要報告と対策案とを書類にして提出するルールがあった。これはあまりに煩瑣であるし、効果もない。職員にアンケートで尋ねてみても、「あれはやめてほしい」という意見が多数を占めた。委員長の立場から強く意見して、早々に廃止させた。廃止したところでミスは増えず、職員からは「時間の余裕が増えた」と感謝された。


判断を奪うためのマニュアル 

判断する動機を作業者から奪うために、行動をがんじがらめにするマニュアルが作られることもある。

情に流されてはいけない公平性が必要な職務や、良心の呵責を感じさせがちな作業に多く使われる。

箸の上げ下ろしまで事細かく指示があり、作業者はそれに従ううちに、操り人形になってしまう。
ひいき目で見れば、これは作業者を統制して、作業の品質を安定させるから、よいことなのではないかと期待したくなる。
しかし実際には、うまくいかない。

操り人形と化した作業者は、総合的な判断を放棄してしまい、事故が起きても、何ら危機を感じない。

「ゴミが混じっているのは見ましたが、マニュアルにはゴミを取り除けと書いてなかったので、何もしませんでした」といった、事なかれ主義がはびこる。マニュアルが読者に与えるべきは、「被統制」とは全く逆の「自主的な統制」への助けである。

「センス・オブ・コントロール」、つまり、状況全体を把握し、自主的に制御できているという自信がなければ、人間は責任を感じない。

それでは、安全も品質も保てない。
アメリカでは、就職する際には、仕事の内容をがっちり規定した「ジョブ・ディスクリプション」という書類を雇用契約の中で交わすことが一般的だ。ジョブ・ディスクリプションに書かれていない行動は、会社から求められていないし、してはならないものと言える。
これを額面どおりに受け取って、自分の仕事以外はゴミも拾わないような、事なかれ主義で働く人も存在する。
余計なお節介は、他人の仕事を奪うことになる、と考えているようである。


事なかれ主義がもたらす害

1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故では、この弊害がもろに出た。ロケットの部品が何度も使い回されて形が歪んでしまったことを整備部署は知っていながら、マニュアルに規定された検査手順では「合格」となるので、そのまま放置し、爆発するまで使い続けた。

一方で、事なかれ主義の害を知っているアメリカ企業は、職員の自主性を重んじる企業文化を作ろうと努力している。 

門前払いのためのマニュアル

事なかれ主義、縦割り主義のために、マニュアルが増殖し精緻化するという、病的な現象が会社組織に見受けられる。
創業したばかりの組織は、不定形な仕事を、少ない人員で臨機応変に分担して、こなすしかない。
業務の正式な手順はしっかり決まっておらず、明文化された規則なしに、当たって砕けろで仕事に取りかかる。やがて組織が成長すると、人員は増え、仕事のパターンも安定してくる。

各部署の所掌範囲は定まり、「ゴールデン・バッチ」、すなわち、最もうまくいくやり方を繰り返すだけとなる。マニュアルはゴールデン・バッチを詳細に規定し、それから逸脱することを禁ずるようになる。

一方で、まったく新種の仕事や、分担の隙間にあるような仕事は、相手にされなくなり、マニュアルに書かれなくなる。

各部署にとって、ゴールデン・バッチ以外の仕事は、効率の悪い厄介ごとであり、門前払いして、他部署に押し付けたいものなのである。
仕事=マニュアルに書かれていること」という認識が職場に染み込む。

こうしてマニュアルの整った大企業ほど、前例のないプロジェクトには及び腰になる。それを横目に、ぽっと出の零細ベンチャーが、新奇な仕事に手を染める。これがビッグビジネスに大化けすることがある。実際のところ、今をときめくインターネットの巨大企業は、歴史の浅い企業ばかりであり、昔からある大企業をまんまと出し抜いてきた。ネットビジネスに限らず、企業の興亡はこのパターンの繰り返しである。 

すでに存在しているという理由だけで使われ続けるマニュアル 

すでに何らかのマニュアルが職場に存在しているなら、それをそのまま使うということになるのが自然である。活字には一種の魔力があって、活字になっていることで、書類がさも正当であるように見せてしまう。今まで従ってきた文書に疑いを差しはさむ気が起こらない。

しかし、「長年使われ続けているから優秀」という保証はない。古いマニュアルは、時代に合わなくなっている恐れもある。
また、初版発行から時間が経つと、職場での人脈が途絶え、原作者が誰であったのかがわからなくなる。

詠み人知らずの古いマニュアルでは、読者がその内容に疑問を持っても、原作者に真意を問い合わせることはできない
この問題が特に顕著なのが、交通や金融などの社会インフラを支える大規模なコンピューターシステムの業界である。

システムがダウンして膨大な業務が麻痺する事故が時折起こる。その原因はそれぞれ異なるであろうが、遠因はこの業界独特の、ダメな書き方で作られたマニュアルにあると私は思う。

いろいろなコンピューターシステム運営会社から、マニュアルの相談を受けることがあったが、だいたいどの社もマニュアルの作りが同じであり、抱える欠陥も共通しているのである。

 

欠陥だらけのマニュアルを使い続ける現状

社会インフラ向けのコンピューターが日本に導入されはじめたのは、高度経済成長期である。

その頃にアメリカから伝来したマニュアルのスタイルが、そのまま日本の標準として現在まで生き残ってしまった。

当時の業界は、ごくわずかの大手会社による寡占状態であったから、その大手の多様性に欠ける流儀を金科玉条として日本のどの会社も真似したと思われる。
欠陥だらけのマニュアルであっても、読者は改訂する権限を与えられていないので、嫌々ながらもそれを使い続けるしかないのである。
会社組織というものは、機材や人員、売り上げといった、利潤に直接的に関わる要素には敏感であるが、「マニュアルの質」という間接的要素には鈍感な傾向にある。管理者が、「このマニュアルで、ちゃんと仕事はできているか?」と問うても、現場の人員は「できています」と答えるのが常である。

できていなければ責任問題になるからだ。
この返事を真に受けて、管理サイドは何もせず、ダメなマニュアルがのさばっていても、見過ごされる。



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