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想像を絶する「シロアリの女王」の虚しい最期


気持ち悪い、というイメージしかないシロアリかもしれませんが、動物は動物なりに目的を持って生きて、死んでいきます。シロアリの女王の悲しい最期とは(写真:Flatpit/PIXTA)

29の生き物たちに運命づけられた、それぞれの生と死。そのユニークな生態を紹介しつつ、余韻に満ちたエッセーに仕上げている。予想した以上の奥深さ。出合えたことを幸運に思える本だ。『生き物の死にざま』を書いた静岡大学大学院の稲垣栄洋教授に聞いた。


稲垣 栄洋(いながき ひでひろ)/1968年生まれ。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省。静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職。著書に『雑草はなぜそこに生えているのか』『たたかう植物』『身近な雑草の愉快な生きかた』ほか多数。(撮影:吉野純治)



人間の生死だけが特別なわけじゃない

中村 陽子 : 東洋経済 記者
2019年08月28日

 

知られざる蚊の「死にざま」

 ──蚊(アカイエカ)の物語、切なかったです

交尾を終えたメスが、幾重もの困難を突破して家に進入し、人間の肌に着地し血を吸い取ることに成功する。

後は屋外へ脱出し産卵という最後の最後、ピシャッとたたかれて死ぬ。1匹の蚊の命を懸けた大冒険は突如幕引き。でもそれは、「ただ、それだけの夕暮れ」。

──そのあっけなさと、生をつなぐための緻密な機能のコントラスト。無常感さえ漂うような。

蚊の口は1本の針のように思われてるけど、実際には6本の針が仕込まれていて、まずギザギザがついた2本の針で人間の肌を切り裂き、別の2本の針で開口部を固定する。さらに1本の針で麻酔成分と血液凝固を防止する唾液を流し込み、もう1本で目当ての血を吸う。いろんな道具を駆使する手術みたいなものです。

「蚊」は、血を吸うときに「6本の針」を使っています。

蚊が血を吸うメカニズムの解明

──それでも、死は容赦ない。

自然界の生き物は、ケガか病気か事故か、食われて死ぬ。その最期の瞬間まで精いっぱい生きていることで輝いている。

人間は「自分はどんな死に方をするのか」とか「死は怖い」とか考えるけど、今生きてることに関しては割とうつろじゃないですか。今を生きていないというか。ここで書いた蚊の死に方はあっけないし、残ったのはゴミ箱に放り込まれたティッシュの血痕とペシャンコに潰れた死骸。

でもそこにこそ生命の尊厳があるのかな、って思う。

 


──シロアリの女王アリを待つ残酷な運命も、結構シビアでした。

シロアリは家屋の基礎部分に巣を作り、腐った木材を食糧にします。

そこを食べ尽くしたら新たな巣へ移動するのですが、巨大な女王アリは自力では移動できず、働きアリに運んでもらわなければならない。
しかし働きアリにとって女王アリは単なる産卵マシン。女王アリを連れていくかどうかは働きアリが判断するので、卵を産む能力が衰えたと見なせば、運ばずに容赦なく捨てていく。もう誰も餌を運んでくれず、世話もしてもらえない。古い巣に置き去りにされて最期を迎えます。

──ゾウが死期を察すると、自ら群れを離れ“ゾウの墓場” へ向かうというのも、単なる伝説とか。

弱っていく間に飢えて死ぬか、食われて死ぬか。野生条件で天寿を全うする生き物はいません。シマウマはライオンに襲われ、生きたままハゲタカについばまれる。

彼らの世界に老衰という言葉はない。ライオンだって力を失って群れから追い出されると、狩りができず飢えて弱っていく。そばではハイエナやジャッカル、ハゲタカが力尽きるのを待っている。ライオンも食われて死んでいくんです。

人間が特別な存在ということはない

 ──これまでの著作では、植物や生き物の生存戦略、たくましさを書かれてきました。

       今回主題をあえて死に振ったのはなぜですか?

去年50歳になって自分の人生を振り返るようになりました。「何で生きてるんだろう」と考えるときがある。

死ぬことを考えることが生きることを考えることになるのかな、という感じですね。
本では最初にセミの話を書きました。繁殖行動を終えると、木につかまる力、飛ぶ力を失って地面に落ち、仰向けにひっくり返る。ジジジと鳴きながらただ死を待っている状態。昔はあの木にとまってたな、みたいなことを思ってんのかなと。もちろんそれはないでしょうけど、自分だったらその瞬間どんなことを考えて死を待つんだろう、と思ったのがきっかけです。

──セミの最期から人間の最期に思いが及んだ……。

そう、人間が特別な存在ってことはないんです。

生の仕組みやDNAなんかも同じような構造だし、人間が高等で昆虫が下等、とかではなくて同じ生き物。

セミの死と人間の死には直感的につながるものがあって。セミは脳が発達してるわけじゃないんで、仰向けになりながら死ぬの嫌だなとか、空が青いなとか考えてるはずはないんですけど。
人間は生きるとか死ぬとか大騒ぎするけど、自然界では死ぬことは何も特別じゃない。日々淡々と繰り返されていること。

──動物や魚や昆虫たちのほうが、生と死に真摯というか。

生物を研究してる人は絶対わかると思うんですけど、人間だけが特別ってことはなくて、例えば人間の夫婦愛といっても、オスとメスが引き合うのは魚も昆虫も同じ。

子どもがかわいいという感情だって、子孫を残すために人間の脳がそうプログラムされてるだけで、動物には理解できないってことはないですよね。

動物のほうがよほど子孫を残すことに必死。動物には少子化なんてないわけで。
生と死って、結局スクラップ・アンド・ビルドですよね。

単細胞生物のように自分の分身を増やしていくだけでは新しいものを作り出せない。

コピーミスによる劣化も起こる。

そこで古いものを一度壊して新しく作り直したほうが、環境の変化に対応していける。

進化の過程で生き物自身が作り出した偉大な発明なんです。
生きるとか死ぬとかは人間が思うほど大げさなことじゃなくて、生命の営みの中で単純に繰り返されているただの仕組みです。たったそれだけのことがすばらしいというか、尊厳があると思いたい。

死にざまとは生きざまでもある

 ──確かに、彼らの壮絶な死にざまから、生の尊さが伝わりました。

結局、死にざまっていうのは、生きざまでもあると思うんですね。

一生懸命って言い方は変かもしれないけど、それぞれの生き物がそれぞれに工夫しながら生きている。

ちっぽけなアリや蚊やカエルでさえ、生存戦略を発達させてきた。

この本で、命のすごみを感じてもらえるとうれしいです。
蚊1匹、アリ1匹が、次の瞬間たたき潰されるかもしれない、食べられるかもしれない、そんな中で、ちゃんと今を生きて輝いてるわけじゃないですか。

一方で、現代を生きる人間って命の輝きを放っているとは思えないんです。

アリとか蚊のほうが、よっぽど命の輝きを放っているように見える。

私たちが生きる力をもう一度見つめ直すきっかけになればいいな、と思います。


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