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セミの最期は澄んだ空を見ることさえできない


土の中に何年も潜り、一夏で子孫を残す

稲垣 栄洋 : 静岡大学農学部教授
2019年08月25日

そろそろセミの大合唱も静かになるタイミングです(写真:gyro/iStock)

生きものたちは、晩年をどう生き、どのようにこの世を去るのだろう──。
老体に鞭打って花の蜜を集めるミツバチ、成虫としては1時間しか生きられないカゲロウなど生きものたちの奮闘と哀切を描いた『生き物の死にざま』から、セミの章を抜粋して掲載する。


すべては「命のバトン」をつなぐために―ゾウ、サケ、セミ、ミツバチ…生命の“最後の輝き”を描く哀切と感動の物語。

  1.  空が見えない最期──セミ    関連リンク
  2.  子に身を捧ぐ生涯──ハサミムシ
  3.  母なる川で循環していく命──サケ
  4.  子を想い命がけの侵入と脱出──アカイエカ
  5.  三億年命をつないできたつわもの──カゲロウ
  6.  メスに食われながらも交尾をやめないオス──カマキリ
  7.  交尾に明け暮れ、死す──アンテキヌス
  8.  メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス──チョウチンアンコウ
  9.  生涯一度きりの交接と子への愛 タコ
  10.  無数の卵の死の上に在る生魚──マンボウ
  11.  生きていることが生きがい──クラゲ
  12.  海と陸の危険に満ちた一生──ウミガメ
  13.  深海のメスのカニはなぜ冷たい海に向かったか──イエティクラブ
  14.  太古より海底に降り注ぐプランクトンの遺骸──マリンスノー
  15.  餌にたどりつくまでの長く危険な道のり アリ
  16.  卵を産めなくなった女王アリの最期──シロアリ
  17.  戦うために生まれてきた永遠の幼虫──兵隊アブラムシ
  18.  冬を前に現れ、冬とともに死す“雪虫”──ワタアブラムシ
  19.  老化しない奇妙な生き物──ハダカデバネズミ
  20.  花の蜜集めは晩年に課された危険な任務──ミツバチ
  21.  なぜ危険を顧みず道路を横切るのか──ヒキガエル
  22.  巣を出ることなく生涯を閉じるメス──ミノムシ(オオミノガ)
  23.  クモの巣に餌がかかるのをただただ待つ──ジョロウグモ
  24.  草食動物も肉食動物も最後は肉に──シマウマとライオン
  25.  出荷までの四、五〇日間──ニワトリ
  26.  実験室で閉じる生涯──ネズミ
  27.  ヒトを必要としたオオカミの子孫の今──イヌ
  28.  かつては神とされた獣たちの終焉──ニホンオオカミ
  29.  死を悼む動物なのか──ゾウ

死を待つセミは何を見る

セミの死体が、道路に落ちている。セミは必ず上を向いて死ぬ。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がる。

そのため、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうのだ。
死んだかと思ってつついてみると、いきなり翅(はね)をばたつかせてみたりする。最後の力を振り絞ってか「ジジジ……」と体を震わせて短く鳴くものもいる。
別に死んだふりをしているわけではない。彼らは、もはや起き上がる力さえ残っていない。
死期が近いのである。
仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うのだろうか。
彼らの目に映るものは何だろう。
澄み切った空だろうか。夏の終わりの入道雲だろうか。それとも、木々から漏れる太陽の光だろうか。
ただ、仰向けとは言っても、セミの目は体の背中側についているから、空を見ているわけではない。

昆虫の目は小さな目が集まってできた複眼で広い範囲を見渡すことができるが、仰向けになれば彼らの視野の多くは地面のほうを向くことになる。
もっとも、彼らにとっては、その地面こそが幼少期を過ごした懐かしい場所でもある。
「セミの命は短い」とよくいわれる。
セミは身近な昆虫であるが、その生態は明らかにされていない。

セミは、成虫になってからは1週間程度の命といわれているが、最近の研究では数週間から1カ月程度生きるのではないかともいう。
とはいえ、ひと夏だけの短い命である。
しかし、短い命といわれるのは成虫になった後の話である。セミは成虫になるまでの期間は土の中で何年も過ごす。
昆虫は一般的に短命である。昆虫の仲間の多くは寿命が短く、1年間に何度も発生して短い世代を繰り返す。

寿命が長いものでも、卵から孵化(ふか)して幼虫になってから、成虫となり寿命を終えるまで1年に満たないものが、ほとんどである。
その昆虫の中では、セミは何年も生きる。実に長生きな生き物なのである。

幼虫の期間が長い理由

一般に、セミの幼虫は土の中で7年過ごすといわれている。そうだとすれば、幼稚園児がセミを捕まえたとしたら、セミのほうが子どもよりも年上ということになる。
ただし、セミが何年間土の中で過ごすのかは、実際のところはよくわかっていない。

何しろ土の中の実際の様子を観察することは容易ではないし、仮に7年間を過ごすとすれば、生まれた子どもが小学生になるくらいの年数観察し続けなければならない。

そのため、簡単に研究はできないのだ。土の中での生態については、いまだ謎が多いのである。
それにしても、多くの昆虫が短命であるのに、どうしてセミは何年間も成虫になることなく、土の中で過ごすのだろう。
セミの幼虫の期間が長いのには、理由がある。
植物の中には、根で吸い上げた水を植物体全体に運ぶ導管(どうかん)と、葉で作られた栄養分を植物体全体に運ぶ篩管(しかん)とがある。
セミの幼虫は、このうちの導管から汁を吸っている。導管の中は根で吸った水に含まれるわずかな栄養分しかないので、成長するのに時間がかかるのである。
一方、活動量が大きく、子孫を残さなければならない成虫は、効率よく栄養を補給するために篩管液を吸っている

ただ、篩管液も多くは水分なので、栄養分を十分に摂取するには大量に吸わなければならない。そして、余分な水分をおしっことして体外に排出するのである。
セミ捕り網を近づけると、セミは慌てて飛び立とうと翅の筋肉を動かし、体内のおしっこが押し出される

これが、セミ捕りのときによく顔にかけられたセミのおしっこの正体である。
夏を謳歌するかのように見えるセミだが、地上で見られる成虫の姿は、長い幼虫期を過ごすセミにとっては、次の世代を残すためだけの存在でもある。

繁殖行動を終えた成虫に待つのは…

オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。そして、オスとメスとはパートナーとなり、交尾を終えたメスは産卵するのである。

これが、セミの成虫に与えられた役目のすべてである。
繁殖行動を終えたセミに、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである。
木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。

わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。
そして、その生命は静かに終わりを告げる。死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。
あれほどうるさかったセミの大合唱も次第に小さくなり、いつしかセミの声もほとんど聞こえなくなってしまった。
気がつけば、周りにはセミたちのむくろが仰向けになっている。夏ももう終わりだ。
季節は秋に向かおうとしている。


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コメント: 1
  • #1

    おはぎ (火曜日, 18 8月 2020 11:20)

    初めまして、
    蝉が何故上を向いて亡くなるのか調べてみるのもよいのでは?
    との言葉を頂き、調べていると こちらにご縁を頂きました。

    お陰様で、蝉について色々と知ることが出来ました。
    育った故郷、土を見て最期を…
    そうだったんだぁ~深いですね~
    蝉の大合唱に泣けてきます!
    ありがとうございました。
    それぞれに生き抜く姿、大変だけど素晴らしいですね。