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魚が獲れなくなっている理由が「海がきれいになり過ぎた」の皮肉

2019.07.21

近年、さまざまな水産物の漁獲量が減っているというニュースを耳にします。 ☞ 「海の魚は5年で枯渇」養殖あるのみ

理由 (例えば、世界的な魚の需要拡大・乱獲) はさまざまある中でも、驚きというか皮肉というか「海がきれいになり過ぎた」というものがあるようです。

下水処理の事情の変化がきれいな海を実現し、そのことが水産物に与える影響について、これからは「上手に適度に汚す」ことが「豊かな海」を維持するためには必要なようです。

 

きれい過ぎる海のこと
日本の海はきれいになった。言うまでもなく、これにはまず様々な環境規制があって、そしてそれを守らんとする関係各位の努力があった。また、下水道など都市インフラの拡充も大きく貢献するところであったろう。

今や、汚れた海は過去のものである。 そのきれいになった海からどうして魚が獲れなくなったのか。

ここ数年来、沿岸漁業に従事する漁師の口から景気のいい話を聞くことはほとんどなくなってしまった。

実に皮肉なことだが、どうやら日本の海はきれいになり過ぎたようなのである。
勿論、重化学工場から垂れ流される有毒な廃水でぶくぶく泡立つような海は誰だって御免である。だから、これに関しては正しい環境規制が行われたと言っていい。

とすれば、結果として(飽くまで結果としてだが)やり過ぎてしまったのは下水管理の方ということになる。
近現代の都市計画において公衆衛生は防災と並ぶ優先事項であるため当然下水道の整備は必須である。こういった事情から日本でも大都市にはいち早く下水道が整備された。

そしてここ数十年来はそれを地方都市へ拡充してということが施政としては是とされた。そのため地方都市でも市街地においては下水道が大いに普及した。

ここである種のパラダイムシフトが起こった。

それまでは下水道の有る無しがそのまま水洗トイレになるか汲み取り式トイレ(所謂、ぼっとん便所)になるかを単純に分けていた。ところが、水洗トイレの性能(例えば、ウォシュレット、便座ヒーター、洗浄力、便器そのもののデザイン等)が一気に向上したために、水洗トイレを使いたいという要請が急激に増えた。そこで家一軒ごとに浄化槽(=合併処理浄化槽)を埋けるという第三の選択肢が下水道未整備地区では事実上の第一選択肢となった。

浄化槽とはバクテリアの力で屎尿を分解し、生活排水と同様にして、下水道ではない通常の排水経路で流すというものである。

埋設コストや維持管理コストはかかるものの、どんな田舎でも最新式の水洗トイレを使えるというメリットがある。

そのため新築、増築、改築のたびに汲み取り式トイレの数は全国的に減っていった。

全くの私見ではあるが、田舎における人口減少のグラフと汲み取り式トイレの減少のグラフは似たような曲線になるのではないだろうか。
因みに、汲み取り式トイレの屎尿の最終処理は現在では前記浄化槽と同様の処理が施設で集約的になされているが、2007年の国際条約締結以前は普通に海洋投棄されていた。

海に屎尿を捨てるなどぞっとするような話だが、これが海の植物にとっては貴重な栄養塩(窒素やリン)となっていたようなのである。この栄養塩が不足すると、例えば海苔は窒素同化ができなくなるために色素合成が進まず薄い黄色のようなすすけた色になってしまう

ここのところ全国的に海苔は不作続きである。また、食物連鎖のピラミッドをその最底辺において圧倒的な数で支えている植物プランクトン(所謂、珪藻類)も栄養塩類なくしては生きてはいけない。瀬戸内海のある調査対象海域では採取した海水サンプルからこの数十年で植物プランクトンが激減していることが分かった。

底辺なくしてピラミッドが成り立つ筈もない。
そこで近年、海を汚す試みが日本各地で行われている。

例えば、海苔の産地淡路島では10年ほど前から農業用の溜め池に堆積したヘドロを採っては海に流している。

また他のある自治体では処理場において下水浄化の性能を敢えて抑え、多少の栄養塩類を含んだ状態で海に流したりしている。

きれいになった日本の海は、いよいよ栄養管理の時代に入ったのである。
つまり、きれいな海から、きれいで豊かな海へ、と変えていかなければならないということである。

そのためには環境面、観光面、産業面といった多角的な視点から科学的なデータに基づいた議論が寛容の精神の下なされなければならない。「水清ければ魚棲まず」。昔の人は能く言ったものである。 


私たちの食卓に欠かせない魚。

2048年には海から食用魚がいなくなる」というショッキングな説が、2006年に発表されたアメリカの科学雑誌「Science」に掲載された論文により発表されました。

世界の海には、合計で1億5,000万トンも存在しているといわれるプラスチックごみ。

年間800万トンと、なんと重さにしてジャンボジェット機5万機分が、毎年新たに流入しているとも言われています。

多くのプラスチック製品を生産、消費している日本も、決して無関係ではない問題です。



昨年12月、70年ぶりに漁業法が改正された。四方を海に囲まれた日本は、瀬戸内海などの内湾も含め、魚が豊富に獲れていた。魚は日本の食文化を支え、日本人にとって大切なカルシウムやタンパク源。ところが長年の乱獲により、日本近海で魚が獲れなくなってしまった。昨年開設した豊洲新市場も、最新設備の整った広大な市場にもかかわらず、取扱量は、築地市場と変わらない。漁獲量の減少は、深刻な問題になっている。

たとえば居酒屋の定番メニューのホッケは、この20年で激減。紋別で、かつては1kg約70円で取引されていたものが、いまでは2500円にまで跳ね上がっている。そのためホッケの代わりに、ロシアやアラスカ産のマホッケが使われるようになった。このように、日本で獲れなくなった魚の代わりに、似たような魚を他の海から獲ってきて「代用魚」にするということは実は数多くなされている。

寿司ネタのエンガワは、ヒラメやカレイの代わりにオヒョウという1mを超える巨大な魚。マグロやカツオのたたきにはアロツナス(細ガツオ)、アナゴの代わりにクロアナゴ、アワビの代用はチリ産アワビモドキロコ貝)が食されている。

日本近海で魚が獲れなくなった理由の一つに、成長前の小魚まで獲っていたことが挙げられる。そのくらいこれまでは漁業に関して規制が緩かった。日本国内で取引される魚は約500種類ほどあるが、獲りすぎていないか、魚の生態を観測しているのは84魚種魚の乱獲を制御し、持続可能な漁場を作るために、今回の漁業法改正に至った。資源としての魚をどれだけ守るかについて、世界的に注目が集まっており、養殖業の技術も向上している。オーストラリアなどでは天然マグロよりも養殖マグロのほうが、脂ののったトロがとれるようになった。日本は、魚の価格高騰とともに、消費量も落ち込み、平成18年ごろからは肉が魚を上回っている。漁業従事者の人数も減る一方。彼らの生活を守りつつ、食卓から魚が消えないよう、長期的な対策を練る必要があるのでは・・・。


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