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最低賃金アップで「生産性が向上する」仕組み

「正しい因果関係」をもとに建設的な議論を

デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長
2019年07月19日

今回は、「最低賃金を引き上げると生産性が向上する」因果関係を、改めて整理する。



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 生産性は最低賃金を引き上げれば向上するのか 

中原 圭介 : 経営コンサルタント、経済アナリスト 

20190605

   先日、テレビ朝日の情報番組の著名なコメンテーターの方から、「どうして国民に景気回復の実感がないのか」というご質問を受けました。

私は「実質賃金が下がり続けているからだ」と答えたうえで、その原因を詳しく説明したところ、大いに納得していただけました。 

ところが、続く「実質賃金を上げ続ける方法はないのか」というご質問に対する私の答えには、どうにも納得していただけなかったようです。私の答えはもう10年近く言い続けていることですが、「農業、観光、医療などを成長産業として地道に育成し、海外からの需要を底上げしていく」というものでした。即効性のある魔法の杖はないのです。

 

最低賃金引き上げ「5%×10年」は正しいのか?

 

それに対して、コメンテーターの方は「実質賃金を上げ続けるためには、最低賃金を5%ずつ10年連続で引き上げればできるはずだ」という意見をおっしゃっていましたが、それは日本の労働生産性が抱える問題点や地方の現状をあまりにわかっていないといわざるをえません。

あくまで理屈上では成り立つだけの話であって、経済学を真面目に学んできた人たちが陥りがちな発想だといえるかもしれません。

このように昨今では、最低賃金を大幅に引き上げるべきだと主張する人が増えてきています。最低賃金が低いから生産性の低い仕事の効率化が進まず、付加価値の高い仕事への転換もままならない。だから、生産性が上がらないし、賃金も上がらない。しかし、人件費が上がれば収益は悪化するので、経営者は生産性を高める必要性に迫られるはずだ。最低賃金が低いからこそ、経営が成り立っているような企業は淘汰されるべきだ、という論法なのです。先のコメンテーターが有力な識者の意見として挙げていた事例が、英国が1999年に最低賃金を復活させて2018年までに2倍を超える水準にまで引き上げたというものです。その結果として、低い失業率を維持したままで英国の生産性が大いに高まったというのです。しかし現実には、2017年の1時間当たりの労働生産性は53.5ドル、経済協力開発機構(OECD)加盟35カ国の中では19位と、日本(47.5ドル・20位)と大して変わらない状況にあります。おまけに、英国の物価は日本に比べてかなり高いので、国民の大半が生活水準の悪化に苦しんでいて、政治への不信からEU離脱派とEU残留派に分断し、民主主義の土台である社会の結束が破壊されてしまっています。 

「原因」と「結果」を取り違えている

 

この考え方の最大の問題というのは、アベノミクスの論法と同じく、「原因」と「結果」を取り違えてしまっているということです。

景気拡大が6年も続いているにもかかわらず、国民の8割がいまだにそれを実感できないのは、ポール・クルーグマンの「インフレ期待」なる理論が「原因」と「結果」を完全に取り違えているにもかかわらず、政府がその理論を信じて壮大な経済実験を実施してしまったからです。

「物価が上がることによって、景気がよくなったり、生活が豊かになったりする」のは経済の本質ではありません。

経済の本質からすれば、「景気がよくなったり、生活が豊かになったりする結果として、物価が上がる」というものでなければならないのです。
経済学の世界では、「鶏が先か、卵が先か」の議論が成り立ってしまうことがありますが、実際の経済は決してそのようには動いていかないものです。

経済にとって本当に重要なのは、「どちらが先になるのか」ということなのです(当然のことながら、「景気がよくなる」とは、大多数の国民がそう感じることが前提であります)。
例えば、国税庁の「民間給与実態統計調査」によれば、2017年の日本の給与所得者の平均年収は432万円です。1997年の467万円をピークに翌1998年から金融システム危機をきっかけに減少し始め、この20年余りで日本人の平均年収は実に7.5%も減ってしまっています。
給与所得者の平均年収が下落し始めたのは1998年、消費者物価指数が下落を始めたのが1999年ですから、この2つの統計の時系列は「原因」と「結果」の関係を見事に示していることがわかります。
サイエンス(科学)の世界では、決して「原因」と「結果」がひっくり返ることはありません。経済学の世界で「物価が上がれば、景気がよくなる」などと主張している学者たちは、冷静に見ていると、サイエンスの世界で「引力が働いているから、りんごが落下する」というべき現象を、「りんごが落下するから、引力が働いている」といっているのと同じようなものなのです。
キリスト教の権威が支配する中世時代の欧州では、神の権威によって科学の発展が著しく妨げられていましたが、「インフレになると人々が信じれば、実際にインフレになる」というインフレ期待は、まさしく宗教のようなものに思えてしまったわけです。
私はアベノミクスが始まって以来、その理論的支柱であるクルーグマンの取り違えを指摘し続けてきましたが、そのクルーグマンはすでに自説の誤りをあっさりと認めています。
2015年の秋頃には「日銀の金融政策は失敗するかもしれない」と発言を修正したのに加え、2016年に入ってからは「金融政策ではほとんど効果が認められない」と自説を否定するような発言にまで踏み込んでいます。詰まるところ、日本における経済実験は失敗していると判断していたのです。
アベノミクスが始まった2013年当時は、私がアベノミクスの「原因」と「結果」の取り違えについて申し上げると、経済学を専門にしている人たち(とくにリフレ派)からは大いに批判を浴びることになりました。世界の主要な中央銀行がインフレ目標を掲げるなかでは、そういった反応は至極当然のことだったといえるでしょう。
しかしながら、サイエンティストたちの前で同じような話をすると(私はたまに科学者の集まりで講義をさせていただくことがあります)、誰一人として異論が出ることなく「まったくそのとおりだ」という評価を受けたことは印象深い出来事でした。サイエンティストは「原因」と「結果」を取り違えることはないゆえに、インフレ目標の理論そのものの構築の仕方に疑問を感じる人たちがことのほか多かったのです。
 

 

最低賃金引き上げの目的化は、雇用情勢の悪化を招く

 最低賃金引き上げ論者の根本的な間違いは、やはり「原因」と「結果」を取り違えているということにあります。

「最低賃金が上がるから、生産性が上がる」のではなく、「生産性が上がるから、最低賃金が上がる」というのが、経済の正しい道筋であるからです。すなわち、実質賃金を引き上げるという結果をもたらすためには、まずは生産性を引き上げるという原因が必要だというわけです。
私が非常に危惧しているのは、経済の専門家たちが労働生産性の国際比較では日本の数字が低めに出るという要因をほとんど加味することなく、生産性の向上そのものが目的化して語られているところにあります。日本で大企業・中小企業にかかわらず、グローバルに活躍する企業が増えれば増えるほど、国内の労働生産性が低下していくのは避けられないことなのです。
仮に最低賃金を5%ずつ10年間にわたって引き上げようとすれば、5年もしないうちに地方でアルバイトやパートで成り立っている業態は大半が倒産か廃業に追い込まれるでしょう。確かに、最低賃金引き上げを実行すれば、AIの導入や自動化によって生産性を上げられる体力がある一部の企業は生き残ることができますが、その代わりに中小零細企業を今の半分に淘汰しなければならないという覚悟が必要になるのです。
最低賃金を継続的に引き上げることによって、従業員を解雇しなければならない、あるいは、廃業をしなければならない経営者が増えていくことになるでしょう。雇用の受け皿となる新しい産業が育っていない現状では、地方を中心に失業者が急増し、国民の所得が総じて減るのは不可避なことです。
中小零細企業の適者生存を促すためには、それによって失われる雇用が難なく他の企業に移動できる環境整備を行っておかなければなりません。言い換えれば、淘汰される企業や産業の代わりに、いくつもの成長産業を育成しておかなければならないというわけです。最低賃金の引き上げや生産性の向上が目的化してしまうと、日本はリーマン・ショック期のアメリカ並みに失業者であふれかえってしまうのではないでしょうか。
 

 

構造問題の解決なくして本当の景気回復は考えられない

国民はなぜ、過去の不況から脱却した状況下でも消費を抑え、貯蓄に励み続けてきたのでしょうか。大企業はなぜ、近年の業績の拡大に比例して、賃金の引き上げ(とくにベアの引き上げ)ができないのでしょうか。
これらの疑問に対する答えは、極めてシンプルなものです。国民が消費を抑え貯蓄に励むのは、かつてのように賃金が上がらない中で、少子高齢化による人口減少、財政不安、社会保障不安といった将来に対するリスクが強く意識されているからです。
国民が国をほとんど信用していないということがあり、将来のリスクに対して自衛しなければならないという行動パターンが当たり前となっているのです。国民の将来不安を和らげるためには、政府が少子化の大幅な緩和を実現しないかぎり不可能なことでしょう。
企業が好業績に見合った賃上げをできないのも、超長期的に日本の人口が減少していく中で、国内市場の需要が減少の一途をたどっていくのは避けられないという危機感を持っているからです。
そういった環境の下では、アベノミクスによって史上最高益を稼ぎ出した大企業であっても、ボーナスなどの一時的な賃上げは受け入れるものの、基本給の底上げとなるベアは簡単には受け入れられない状況にあるのです。いくら国内が人手不足とはいっても、企業の賃金に関する基本的な姿勢は今後もずっと変わらないでしょう。
要するに、実質にしても名目にしても賃金が思うように上がらないのは、日本が抱える構造的な問題が根元にあるといえます。賃金が上がらない原因が構造的な問題にある場合、無理やり賃金を引き上げても生産性が上がるわけではありません。
国民や企業が持っている将来への危機感を解消するという努力もせずに、中小零細企業に賃上げを強いたりするようなことがあれば、日本全体で抱える危機感がますます高まり、企業は攻めの経営よりも守りの経営に大きく傾いていくのではないでしょうかすなわち、かえって生産性を低下させかねない可能性のほうが大きいということなのです。
生産性の向上から実質賃金の上昇へ、実質賃金の上昇から消費の拡大へと好循環を実現するためには、国民や企業にある将来への不安・危機感を和らげることが何よりも先決であります。
今後も加速していく少子高齢化や膨らみ続ける財政赤字など、日本が抱える構造的な問題に対して有効性が認められる構造改革を実行すると同時に、日本の潜在力を生かした成長産業の育成を進めることこそが、生産性の向上や実質賃金の上昇にとってもっとも求められている政策であるというわけです。
私が少子化対策と成長戦略を強く訴え続けているのは、これらが日本にとって最大の景気対策になると確信しているからです。


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