おがわの音♪ 第825版の配信★


そろそろ祇園祭本番です♪

  今年の祇園祭は令和初、そして1150年目の節目を迎える記念すべき年。祇園祭は毎年7月に行われる八坂神社の祭礼です。歴史は古く平安時代前期869年にまで遡ります。

その昔、全国で疫病が蔓延していました。また、貞観地震富士山の噴火など全国的に天災が相次いだ時期でもありました。

人々はこれらを牛頭天王(ごずてんのう)の祟りとして恐れました。牛頭天王は釈迦が生まれたインドの祇園精舎の守護神とされています。また牛頭天王は日本神話に登場する素盞嗚尊(スサノオノミコト)の同一神とされていて、八坂神社に祀られている神様で神道と仏教が混じりあって生まれた習合神であるとされています。

当時の人々はこの天変地異や疫病を鎮めようと、神泉苑で当時の国の数と同じ66本の矛(ほこ)を立てて、祇園社の神輿を神泉苑に奉納し、疫病退散を祈る御霊会(ごりょうえ)を行いました。これが祇園祭の起源だといわれています。

 

矛を立てる(当時は矛には悪いものを吸収する力があると考えられていた)、神輿を奉納するという本来の形は現在前祭(さきまつり)23基、後祭(あとまつり)10基ある山や鉾(山車のようなもの)17日に行われる神幸祭、24日に行われる還幸祭の神輿神事に受け継がれています。

時代が進むにつれ、八坂神社の氏子達は街に漂う悪いものを引き寄せて綺麗にしようと、矛を持って街中を巡廻するようになります。これが現在の山鉾巡行の原型になったと伝えられています。

具体的には平安時代中頃から除々に規模が拡大していったようです。現在のようにより豪華に、より巨大になったのは室町時代からです。

室町時代は京都を中心に経済が発展した時代でした。山や鉾を出す町衆達が裕福になるにしたがって装飾も華やかになっていきました。

そして次第に各々が競い合いように山鉾を豪華にしていったのです。山鉾をより豪華に飾り、大きくすることで町衆たちは経済力をアピールするようになりました。

そのおかげで、現在は「動く美術館」といわれるほど美しい姿を見ることができるようになり、ナント2009年「京都祇園祭の山鉾行事」として世界遺産にも登録されました。

祇園祭一番の見どころである山鉾巡行はまさに豪華絢爛です。

特に曲がり角で山鉾が方向転換する「辻回し」の瞬間にはとても迫力があるため沿道から歓声が沸きあがります。

山鉾巡行前のお楽しみは宵山です。

宵山とは祇園祭のメインとなる山鉾巡行(717日・24日)の3日前・前々日・前日のことをいいます。(祇園祭の神事や行事の日程は毎年同じです。)

祇園祭には2つの顔があります。

毎年717日と24日に鉾町が中心となって行う山鉾巡行が祇園祭の一つの顔です。

もう一つの顔は八坂神社の例祭である神幸祭17日)と還幸祭24日)です。

本来はこれこそがメインの神事でありその露払い的なものが山鉾巡行なのです。

鉾町(主に四条烏丸交差点より少し西側のエリア油小路通り辺りまで)はその昔豪商が集まる一際裕福な街でした。

その町衆の心意気で始まったのが山鉾巡行なのです。

神幸祭は毎年717日、前祭の山鉾巡行が終わった後夕方6時から深夜にかけて行われます。

還幸祭は毎年724日、後祭の山鉾巡行が終わった後夕方6時から深夜に行われます。

神幸祭は八坂神社に祀られている神様の御霊(みたま)を神輿(みこし)に移して氏子地区を周り四条寺町にある御旅所まで運ぶ神事です。

八坂神社は3柱の神様が祀られています。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱御子神)です。

クシイナダヒメノミコトはスサノオノミコトの奥さんです。ヤハシラノミコガミは2人の間に生まれた五男三女の皇子(みこ)達です。

八坂神社にはスサノオノ家の一家10人の神様の家族が祀られているのです。

スサノオノミコトは、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊弉冉尊)の皇子でアマテラスオオミカミ(天照大神)の弟です。

アマテラスオオミカミはスサノオノミコトのお姉さんで伊勢神宮の祭神であり天皇家の祖先です。

日本書紀に登場する日本神話の神々ですね。

八坂神社には3柱の神様が祀られているので神輿は3基あります。(かわいい小さい子供神輿が出るので厳密には4基ですが。)

17日の神幸祭では3基の神輿が夕方八坂神社の石段下を出発して鴨川を渡り四条寺町の御旅所まで移動します。

3基の神輿がそれぞれの氏子達、総勢千人によって担がれる様は圧巻です。

神輿は17日から24日までの1週間御旅所に鎮座して24日の夕方に再び氏子達に担がれて八坂神社に戻ります。

これを還幸祭と呼びます。

スサノオノミコト一家は一年のうちこの1週間だけは家族一緒に水入らずの時間を御旅所で過ごすことが出来るのです。

京の都を1150年疫病から守ってきた守護神のつかの間の休息です。

御旅所に鎮座する3基の神輿前にはろうそくを献じる人達の姿が後を絶ちません。

 

花街の芸舞妓さんの間では「無言まいり」という習わしがあります。おまじないみたいなものかもしれません。

 自らが住む祇園町の置屋から御旅所まで行ってお参りして無言で帰って来るのです。無言のまま置屋まで帰るというのを17日から24日まで一週間続けます毎日無事無言でお参りできたら願いが叶うというものです。その間に顔見知りの人に会って話をしてしまうとアウトです。祇園から四条寺町までは鴨川を挟んで東と西、四条通を真っ直ぐ歩いて10分もかからない距離です。

しかし、この辺りは京都で一番人通りが多い場所で結構知り合いに遭遇してしまいます。 

 

まずは、此の辺りで

 


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