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医者の数は「田舎に少なく」「都会に多い」のウソ

埼玉県の医師数は「鳥取の半分」程度しかない

谷本 哲也 : 内科医
2019年07月02日

江戸時代に漢方医学が主流だった医療界に、明治・大正期には西洋医学が一気に流入します。初期の頃の医師養成を担ったのは、旧帝国大学7校(北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州)です。さらに1919(大正8)年の大学令施行により、旧制医科大学7校(国立の千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本、および京都府立医科)が設立されます。
私立名門とされる慶応義塾、東京慈恵会医科、日本医科の3校も同じくらいの歴史があります。
1930年代は戦争の影響で軍医の需要も増加し、旧医専と呼ばれる29校が医学専門学校(国立12、公立7、私立10)として登場します。この頃の日本の人口は6000万~7000万人、平均寿命も50歳前後しかありませんでした。
現状のままでは、医師不足は「2035年まで解消されない」と予想されています。



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