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グーグル社員が自分のスマホからGmailを削除のワケ


2019年6月20日 ジェイク・ナップ

 

時間を最大限に有効に使うメソッド= 『時間術大全――人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』(ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)、著者のジェイク・ナップはグーグルで、ジョン・ゼラツキーはユーチューブで、人の目を「1分、1秒」でも多く引きつける仕組みを研究し続けてきた「依存のプロ」。

「人間の『意志力』などほとんど役に立たない」という、徹底して冷めた現実的な視点からすべてが組み立てられている。さらに、「いくら生産性を上げても、ひたすら他人の期待に応えているだけ」で、自分のためになっているわけではないという。では、このテクノロジー全盛のスピードの速すぎる世界で、人生を本当に豊かにするには、いったい時間をどう扱うべきか? 

 

気がつくとスマホを見ている 

 あれは2012年のことだ。リビングルームで息子が木製の電車セットで遊んでいた。ルーク(当時8歳)はせっせと線路をつなげ、フリン(赤ん坊)は機関車によだれを垂らしていた。そのときルークがふと顔を上げて、言ったのだ。「パパ、どうしてスマホを見てるの?」ルークは僕をとがめるつもりはなく、ただ不思議に思ったのだろう。

でも僕はうまく答えられなかった。もちろん、その瞬間にメールをチェックする理由が何かあったはずだが、大した理由じゃない。その日は子どもたちとすごす時間を朝から楽しみにしていて、やっとその時間が来たというのに、僕はうわのそらだった。そのとき、頭のなかで何かがカチリとはまった。僕はこの一瞬だけ気が散っていたんじゃない。問題はそれよりずっと根深いのだ来る日も来る日も、僕はただ目の前のものに反応していた。予定表に、受信したメールに、際限なく更新されるネット上のコンテンツに。家族との時間がどんどんこぼれ落ちていったが、何のために? あともう1つメッセージに返信し、あともう1つやることリストから項目を消すために? これに気づいた僕は、心底がっかりした。なぜって、僕はそれまでバランスのとれた生活をめざして努力してきたつもりだったからだ。 

iPhoneから「気を散らすもの」を削除する

  このころ、僕は生産性と効率性の達人を自負していた。勤務時間をそこそこに抑え、毎晩夕食に間に合う時間に帰宅した。理想的なワークライフバランスだと思っていた。 でももしそうなら、なぜ8歳の息子にうわのそらだと見抜かれたんだろう? 仕事をコントロールできていたはずなのに、なぜいつも気ぜわしく、気が散っていたのか? 朝200通あった未処理メールを深夜までにゼロにしたからといって、充実した1日だったと本当にいえるのか? 

 そして僕は、はたと気づいた。生産性を高めたからといって、いちばん大事な仕事をしていることにはならない。たんに他人の優先事項にすばやく対応しているだけなのだと。 僕はネットをいつも気にしていたせいで、子どもに正面から向き合っていなかった。本を書くという「いつかやりたい」大きな目標も、ずっとあとまわしにしていた。実際、1ページもタイプしないまま数年がすぎていた。誰かのメールや誰かの更新情報、誰かのランチ画像の海で立ち泳ぎするので精一杯だった。 僕は自分にがっかりしただけでなく、猛烈に腹が立った。怒りにまかせてスマホからツイッター、フェイスブック、インスタグラムのアプリを削除した。ホーム画面から1つアイコンが消えるたび、心の重しが取り除かれるような気がした。 

 それからGmailのアプリを見て歯ぎしりした。当時僕はグーグルにいて、Gmailのチームで何年も開発に取り組んでいたのだ。僕はGmailを愛していた。それでも心を鬼にした。そのとき画面に表示されたメッセージを、いまも覚えている。信じられないとでもいうかのように、本気でアプリを削除するつもりなのかと聞いてきたのだ。僕はゴクリと唾を飲み込み、「削除」をタップした。   アプリがなくなったら不安や孤独を感じるのではないかと思っていた。その後の何日かで、たしかに心に変化があった。といっても、ストレスを感じたんじゃない。むしろホッとして、解放感を覚えていた ほんの少しでも退屈するとiPhoneに反射的に手を伸ばすクセがなくなった。子どもたちとの時間は、いい意味でゆっくりすぎていった。

「なんてこったい」と僕は思った。「iPhoneですら毎日を豊かにする役に立っていなかったのなら、ほかはどうなんだ?」 

 僕はiPhoneと、iPhoneがくれる未来的な能力を愛していた。でもその能力とセットでやってきたデフォルトをそっくりそのまま受け入れたせいで、僕はポケットのなかのピカピカのデバイスにいつも縛られていたのだ。 

「リセット」できるものを洗い出す 

 自分の生活にはほかに考え直し、リセットし、デザインし直さなくてはならない部分がどれだけあるだろうと考えた。 何も考えずに受け入れてしまっているデフォルトはどこにある? そして主導権を取り戻すにはどうしたらいいのか? iPhoneの実験のすぐあとに、僕は新しい仕事に移った。まだグーグルにいたが、社外のスタートアップに投資を行うベンチャーキャピタル、グーグル・ベンチャーズ(現GV)の所属になったのだ。そこで初日に出会ったのが、ジョン・ゼラツキーという男だ。  最初、ジョンのことを嫌いになろうとした。ジョンは僕より若いうえに、正直ルックスも僕よりいい。そのうえいけ好かないのは、いつも穏やかなところだ。ジョンがストレスに苦しむ姿なんて見たことがない。重要な仕事を予定より早く終わらせ、サイドプロジェクトの時間まで見つけている。早く起き、早く仕事をすませ、早く帰宅する。いつもにこやかにほほえんでいる。なんでそんなことができるのか? 

 とはいえ、僕は結局ジョン、通称JZと仲よくなった。JZとはとてもウマが合うことがすぐわかった――いまでは兄弟同然だ。 JZ も僕と同じで、多忙をよしとする風潮にうんざりしていた。僕らは2人ともテック好きで、技術系サービスのデザインに長年関わっていた(僕がGmailのチームにいたとき、JZはYouTubeにいた)。だが僕らはそうしたサービスに膨大な注意と時間が浪費されていることにも気づき始めていた。 そしてJZも僕と同じく、この現状を何とかしなければと思っていた。JZはこの問題に関しては、オビ=ワン・ケノービ的存在だった――ローブの代わりにチェックのシャツとジーンズを身にまとい、フォースの道の代わりに「システム」を信奉しているという点だけが違った。 

気を散らすものを遠ざける「システム」

  彼の説く「システム」は神秘的ですらあった。まだ具体的なかたちにはなっていなかったが、「そういうものがたしかにある」とJZは信じていた。「システム」とは要するに、気を散らすものを遠ざけ、エネルギーを保ち、もっと時間をつくるためのシンプルな枠組みだ。 

 ちょっと引くだろう? 僕も最初はそうだった。でも彼が「システム」について語るのを聞きながら、いつしか激しくうなずいている自分がいた。古代人類史や進化心理学にくわしいJZは、僕らの狩猟採集民としてのルーツと、めまぐるしい現代世界とのあいだの大きなギャップに、問題の一端があると考えていた。また彼はプロダクトデザイナーの視点から、この「システム」を機能させるには、意志力だけに頼って気を散らすものと戦い続けるより、デフォルトを変更してそういうものから距離を置くしかないと考えていた。 そうか、と僕は気づいた。この「システム」とやらは、もし本当に完成させることができれば、まさに僕が求めていたものになる。そんなわけで僕はJZとタッグを組んで、冒険の旅に乗り出したのだ。


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