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医者が教える非まじめ老後のすすめ 他


阿川佐和子さん、推薦!
「本書は、超高齢化社会を迎える日本人のバイブルです!」

  ◎風呂に入らないで死ぬ人はいない。3日に一度で十分。

  ◎栄養バランスは寿命にはほとんど関係ない。
  ◎歳をとったら無理に断捨離なんてしなくていい。
  ◎定年後こそ、亭主元気で留守がいい。
  ◎老人はドタキャンOK。誘われたらとりあえずYESと言う
  ◎子どもとの同居がきっかけで衰えが加速することもある。
  ◎家族だから知っておきたい。大切なのは、ありがとうポチ袋
  ◎財産は残すな。使い切るのが子どものため
  ◎人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。そろそろ本気で準備を始めよう。(目次より)

 

健康のこと、夫婦や家族のこと、お金のこと、人生の最期のこと…。
歳をとったら、ちょっと手を抜いてまじめをやめたほうが、すべてうまくいく!
高齢者医療の第一人者が教える、老後を豊かに過ごすために知っておきたい”非まじめに生きる“30のヒント。


 「非まじめ」のための『心の健康』

  溌剌としていて、何事に対しても興味がわく。

     しかし、集中力があり自分に欠けた物事に魅力を覚え、拒否しない。

② アイデアに富み、毒を薬に転換する姿勢が強い。

  どんなことに遭遇しても頭にカッとくる事がない。アイデアと機知でユーモラスに打ち勝ってしまう。

  デリケートな心情。感覚はアナログ的。それでいてひ弱でなく、気宇広大。

  いやな事に悠然と立ち向かうことができる

  厳しいが、和やか

⑦ 自信があるが、謙虚

⑧ エゴがなく、相手の立場に立てる    ・・・など

 


科学者が仏教を学ぶことの意味とは―。その答えがここにある!ロボット研究の第一人者と気鋭の心理学研究者が、仏教について交わした電子メールによる往復書簡。約600通をもとに抽出し凝縮された厖大な「知の軌跡」が、知覚・認識・存在・論理という人間の本質にかかわる諸問題を解き明かす。

仏教とは縁もゆかりもなかった心理学者・上出寛子氏が、ロボット工学の世界的権威で仏教哲学の専門家でもある森政弘氏との出会いを契機に仏教哲学を学び始め、ついにはロボット工学系の国際会議において英語で仏教哲学を紹介するまでになる――。
本書は、この「師弟」研究者の間に交わされた600通を超える電子メールを約200通に凝縮して、時系列に配列したものです。読者は、森氏の懇切丁寧で時宜に適った指導と上出氏の鋭敏かつ真摯な姿勢によって、普遍性を持つ思想・哲学としての仏教が学問領域の垣根を越え、自然に伝播していく様子を目の当たりにします。
森氏は、技術の発展や向上のみに邁進する現代日本社会にあって、それらを担う科学・理工系の人たちが仏教哲学を体得し、それを研究・開発に活かしていくことによって初めて、技術が人々を真の幸福へと導くものになると語ります。
AI(人工知能)の技術開発が「心・欲望・悟り」の領域に入りつつある今日、とくに理系の研究者や技術者、学生にお薦めの仏教哲学入門書。

以下の文章は、本書の第14章からの抜粋です。
森氏が説かれる仏教哲学の核心――二つの相反するものが融合・調和して一つになるのが宇宙の本質であるという

二元性一原論」が、お二方のやりとりから浮き彫りになっています。
「論理」(科学)と「矛盾」(仏教)は、いずれかを選び取るのではなく、二つの間を行ったり来たりする姿勢こそが天地自然の道理に適っていると言われます。
【森氏】――普通の賢い人は、自分が理性の枠内に閉じ込められていることに気付かないのです。貴女は一度、この理性という世界から飛び出して、自在になって下さい。つまり、理性の中への出入り自由です。理性が要る時は理性世界に入り、それが邪魔をする時はパッと飛び出す。……これが仏教的な生き方です。
【上出氏】――論理で説明できる力がなければ、研究者としてはやっていけないと思っていた学生時代であれば、論理も矛盾も同時に成立することなんて、これほど当然のようには思えなかったと思う。今では物事の本質とは、相反するものが助け合って成立している、という矛盾も、整合性をもって論理的に考える、という思考も、両方行き来することの方がずっと自然で明白であるように思う。森先生はこれまでずっと、わたしの頭の固さに合わせて、色々と教え方を自在に工夫してくださっていたのだと思う。

上出/寛子
1980年、大阪府に生まれる。大阪大学人間科学部人間科学学科卒業。博士(人間科学)。大阪大学特任助教、東北大学助教を経て、現在、名古屋大学特任准教授。日本ロボット学会の安心ロボティクス研究専門委員会幹事、ロボット哲学研究専門委員会委員長を務める。現在は、両委員会が終了し、引き続き、ロボット考学研究専門委員会を立ち上げ、委員長を務める。大阪大学総長奨励賞、日本応用心理学会優秀大会発表賞、日本ロボット学会研究奨励賞などを受賞する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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コメント: 2
  • #1

    OGAWA @OTM研究所 (火曜日, 27 8月 2019 20:38)

    「非まじめ」は、字面からも発音からも、不まじめと混同されやすい。だが、この両者はこのような理由によって、まるで次元が異なるのである。(中略) 現代の行きづまりをなんとか越えられないかという、あがきの結果が本書である。ぐうたらの不まじめでもなく、頭から湯気を立てるまじめでもなく、ピンチに悠々として、透徹した眼力と冷静な頭脳をもって解を求める姿勢、それが「非まじめ」である。  1977年11月 森 政弘                          
    「無駄を拒否しない。無駄に対して大きな愛情をもつことである。すると不思議にも無駄は余裕に変身する。」
    「まじめな人間が嫌うあいまいな事、いい加減な事というのは実は非常に高級な事である。」
    「捨てれば得られる。得るばかりの発想というのは、人間の心を貪欲にする。精神の健康をもたらすには 捨てる発想もまた必要。 邪魔だから投げ捨てるのではなく、離れるべき時がくれば、さっと離れる・・・」 

    OGAWA @OTM研究所
    (火曜日, 10 7月 2018 18:36)
    「ロボットコンテストの教育的意義」という森先生のお話の中から、以下のようなコメントを見つけました。
    以下、ご参考まで♪
     危機意識をもつだけでは問題は解決しないので、何かをしなければなりません。でもどうしていいかわからない。すると、深層心理の中に危機感がどんどん蓄積していきます。やがて、その危機意識を夢に見るようになりました。夢に見るぐらいのときに、何か外から刺激が入ると心の中で熟成してきたものが爆発して、意識の上に出てきます。
    禅哲学者の鈴木大拙先生が著された禅の本などを読みますと、禅僧が悟る瞬間とは、心の中で悩みに悩んで考え抜いて、坐禅し抜いた挙げ句、日常の作務の中で石ころに箒がぶつかって見性した、あるいは警策で叩かれた瞬間に悟ったという話が出てまいります。
    それと同じパターンで、心の奥底で熟成され、深層心理の中にグッと収めていたものが、昼間は忘れているけれども夜には夢に出てくるといった状況でした。そして八月のある日、私は熱い風呂に入りました。面白いもので、風呂でいろいろとアイデアを出す人がいますが、私もいろいろなアイデアが出るのは、風呂に入っているときがいちばん多いのです。ポッと出ます。ただし、その前によく熟成させておく必要がありますよ。
     「ロボコンの始まりは乾電池一つの競技から」⇒ どんなアイデアかというと、実にばかばかしいものですが、単一乾電池、つまり懐中電灯の乾電池一個だけのエネルギーで、人間を乗せて走らせることのできる車ができないかと思ったのです。乾電池でモーターを回して、回転数を歯車で落としていくと、回転数が二分の一になれば回転力は二倍になります。十分の一に落とせば十倍になり、千分の一に落とせば千倍になりますから、さらに回転数を落とせば、人間ひとりを乗せた車を動かせるぐらいの回転力は出るだろう。(中略) しかし一方で、そんなにたくさんの歯車や軸受を使ったら、摩擦か何かで動かなくなってしまうのではないかということも思いました。 
    結局、やってみなければわかりません。 ・・・このようなアイデアが発端となって、ロボコンが始まったというコトでした。

  • #2

    小川珠代子 (木曜日, 26 12月 2019 17:35)

    多様性の時代、予測不可能な時代を切り拓く鍵は、曖昧耐性と思います。
    科学と仏教、相反する価値をありのままに受け止め、新たな価値を追究するあり方が問われていくと感じます。
    紹介図書、一読させていただきます!