2018年8月3日(金)
米国の新聞が経営難に苦しんでいるようだ。
読売新聞が7月24日に「米新聞社困窮、一夜で半数リストラ...全米に拡大」という見出しで記事を掲載している。現在、当該の記事は有料購読者以外は読めない。
リンク先で、同じ出来事を扱った別の記事を読むことができる( http://blogos.com/article/315140/)。
こちらはオンライン記事らしく「苦境に立つアメリカの新聞業界 オンラインに望み」という見出しを打っている。
内容はいずれも、米ニューヨークの主要タブロイド紙である「ニューヨーク・デイリー・ニューズ」が、7月の23日に編集部門約80人のうち、編集長を含め半数の40人余りに対してレイオフを決行した事実とともに、全米の新聞が多かれ少なかれ同様の苦境にあることを伝えるものだ。私は、読売新聞の紙面の行間から、「われわれも同じだ」といううめき声のようなものを聞き取らずにおれなかった。苦しいのは読売だけではない。日本の新聞社は、どこであれ米国の新聞が立たされているのとそんなに変わらない苦境の中で、ゆるやかに窒息しつつある。本業以外の収入や、長年にわたって蓄積してきた土地や資産のやりくりでなんとかもちこたえてはいるものの、どこの新聞社も、この20年ほど、販売部数と広告収入の減少に歯止めがかからない状況下で経営戦略の見直しを迫られている。このたび、読売新聞が米国の事情として新聞社の困窮ぶりを伝えた背景には、自分たちが日々直面している危機への目配りがあったはずだ。いずれ近いうちに、日本の新聞各社も、現在米国の新聞が断行しているのと同じような思い切ったリストラに踏み切らざるを得なくなるはずだ。記事の行間にただよっていた沈痛さは、記者個人の観察というよりは、新聞業界人全般が抱いている不安を反映したものなのだと思う。
今回は、新聞の話をする。
なにかと暗い話題の多い新聞に関して、あらためてその現状と未来を考えることで、なんとか打開に至る道を見つけることができればありがたいと思っている。そんな道は無いよ、ということなら、われわれは無い道を歩く方法を考えなければならない。
どっちにしても楽な仕事ではないわけだが、戻る道がないことだけははっきりしている。
7月27日の午後、麻生太郎財務大臣が財務省の幹部人事を発表したというニュースが伝えられた。
テレビの映像を見ていて私が強い印象を抱いたのは、伝えられている人事の内容そのものよりも、麻生大臣の横柄な態度に対してだった。
大臣は、記者に「大臣の認識としても今回の人事はベストだということでよろしいでしょうか」と問われて
「思ったから私が任命した。忘れんでください。人事権はあなたにあるんじゃない。オレにあるんだから」と答えている。
なんともあきれた言いざまだ。が、見て腹が立つのかというと、意外にそうでもなかった。
「この人はどうしていつもこんなに威張っているのだろうか」と思うと、むしろ笑いがこみあげてくる。
あるいは、この人の人気の秘密はこういったあたりにあるのかもしれない。
つまり、誰もが互いの意図を斟酌し合ってはオノレの行動をチマチマと制御しているこの国にあって、常に一貫して空気を読まない小動物じみた頑迷さが、見物用のキャラクターとしてのこの人の挙動に、ある種の魅力を賦与しているということだ。
記者には腹が立つ。どうして黙って言われっぱなしになっているのかと思うと、どうしてもイライラするのだ。
「仮にも大臣が記者に向かって言って『オレ』はいかんだろ」
「きょうび、小学校の先生だって教室のガキにこんな言い方はしないぞ」
「っていうか、これ、普通の会社で上司が部下に言ったら即パワハラ認定じゃないか?」
「たとえばの話、寿司屋の板前が客に向かって、『忘れんでください。サカナをサバく包丁はあなたが持っているんじゃない。
寿司を握る権限はオレの手のウチにあるんだから』とか言ったら、その店は半月でツブれるだろうな」
「これ、要するに『それでは、大臣にもぜひ覚えておいていただきたいのですが、記事を書くペンはあなたが持っているのではありません。私が持っています』と言い返すことができなかった記者が腰抜けだったってことだよな」
「ワープロだろ、スマホかもしれんけど」と、当日の動画を見ていると様々な感想が思い浮かんで、いちいちイライラしてしまう。
この時の会見に限らず、麻生大臣は、記者に対してたびたび「あんた」という呼称を使っている。自分の名乗りに「オレ」という一人称代名詞を採用することも多い。それどころか、この4月には、「お前、NHK? 見ない顔だな」と、取材者を「お前」呼ばわりしている(http://news.livedoor.com/article/detail/14628928/)。
これらの一連の不遜な態度が示唆しているのは、単に「対人マナー」や「礼儀」の問題ではない。
大臣の言葉遣いの横暴さは、政治家と報道陣の関係性の変質という、より致死的な問題の露呈である可能性が高い。
もし仮に、大臣と記者の関係が、対等な政治家とジャーナリズムの対峙の関係でなく、上司と部下、王と臣下、命令者と服従者という上下関係に関係に近づいているのだとしたら、それはジャーナリズムの死が近いことを意味している。
日頃から大臣に無礼な言葉を浴びせられ続けていてなお、それをたしなめることができずにいる記者がいるのだとしたら、その記者は「御用聞き」と見なさなければならない。そして、御用聞きが書く記事は、読者の側からすれば、通常の新聞記事ではなくて、政府広報として閲覧せねばならないことになる。
ということは、そんな新聞は、有料で購読するには及ばないということでもある。
大臣の態度が横柄であることの主たる罪は、麻生さんご本人にある。これははっきりしている。
しかし、責任がどこにあるのかというと、必ずしも麻生大臣一人にすべてを負わせて済ますわけにはいかない。
個人的には、麻生大臣が記者に対して日常的に横柄な口のきき方をしていることの責任の半分は、記者の側にあると考えている。
というのも、「関係」というのは、一方的に形成されるものではなくて、双方の合意なり実績に沿って徐々に作り上げられるはずのものだからだ。つまり、大臣が横柄に振る舞うのは、番記者が常に迎合的に振る舞っていることの裏返しなのであって、大臣の恫喝的な一挙手一投足は、それを歓迎ないしは容認している記者諸君のチキンハートとワンセットで考えなければならないということだ。
菅義偉官房長官の会見での態度も、この2年ほどの間に目に見えて横暴さを増している。
興味のある向きには、総理府のサイト内にある「内閣官房長官記者会見」というページを見に行くことをおすすめしたい。
ここには、過去の会見の様子が動画で紹介されている。
つい最近の例では、7月23日午後の記者会見で、記者の「イージス・アショアの導入費、2基で6000億円以上と試算されている。
当初の推定の3倍以上になる。生活保護費を削減し、西日本豪雨の対策費が要求される中、他を削ってでも必要な理由は?」
という質問に対して「報道した所に聞いてください」という一言のみで片付けている。
予算の使い道を尋ねる質問に対して、報道機関に聞けという回答は、まったく意味をなしていない。
というよりも、回答を拒否しているに等しい。質問の内容如何で、回答できない場合があるにしても、官房長官は、回答を拒否するのであれば、まずその理由を述べなければならないはずだ。この時に限らず、菅官房長官は、特定の記者の質問に対して明らかに不快な表情を浮かべて回答をはぐらかすケースが目立っている。
私が心配しているのは、政治家にきびしい質問を浴びせる記者が、会見の中でむしろ「浮いて」いることだ。
上に挙げた23日の会見でも、イージス・アショアについて質す女性記者の30秒ほどの質問の間に、幹事社の記者と思われる司会担当の記者から「簡潔にお願いします」というツッコミが2回入っている。
その前のGPIFの質問の時も同様で、同じ女性記者の28秒間の質問の間に、司会者は「簡潔にお願いします」というツッコミを2回入れている。これらの質問の動画をひと通り見てみると、会見場にいる記者の大勢、つまり「内閣記者会」(=官邸クラブのメンバーを中心とする記者たち)が、菅官房長官に対して毎回「空気を読まない」質問を繰り返している特定の女性記者を歓迎していないことが、その場の空気としてありありと伝わってくる。つまり、これは「菅官房長官の回答姿勢が居丈高だ」という問題であるよりは、「官邸クラブの運営が官房長官の意向を強く反映している」問題だということを意味している。
もちろん、件の女性記者が、筋違いだったりお門違いだったり勘違いの結果だったりするおかしな質問を繰り返している可能性はあるし、そうでなくても、彼女は記者クラブ内に漂っている「空気」を読んでいないことは確かだと思う。
でも、それにしても、記者クラブのメンバーの大勢が、浮いている記者よりも、官房長官の側に傾いているように見えることに、私は気持ちの悪さを感じずにおれない。単純な話、同業の記者に対して、あんなナメた答えを返している姿を見て、ほかの記者が腹を立てないことが不思議でならない。
いまから50年ほど前の1972年の6月、佐藤栄作元首相が、退陣表明をする予定になっている記者会見の中で、新聞記者への積年の不満をぶちまける形で「自分はテレビカメラに向かって直接しゃべる。偏向報道をする新聞記者は帰ってくれ」という旨のことを言って総理室に引き返してしまったことがある。
その後、周囲のとりなしで、再び会見が開かれることになったのだが、テレビと新聞を差別する総理発言をめぐって、紛糾し、結局今度は新聞記者たちが会見をボイコットしたという事件があった。
この時の会見をめぐるドタバタは、私もなんとなく覚えている。まったく見事なばかりにスラップスティックな顛末だった。
じっさい、バカな話ではある。
が、この時の一連のなりゆきは、一方において、良くも悪くも当時の記者に気骨があったことを示唆している。
彼らは少なくとも面と向かってバカにされて黙っている人たちではなかった。これは、職業人として思いのほか大切なことだ。
特に記者にとっては、生命にかかわる資質なのだと私は考えている。
ともあれ、大臣や官房長官の恫喝にくるくると尻尾を巻いている記者の皆さんには、総理の会見を蹴飛ばして社に帰るなどという芸当は、到底考えることすら及ばないことなのではなかろうか。
私自身、ライターとして仕事をするようになって以来、いくつかの新聞社と常に途切れることなく仕事をしてきた自覚があるのだが、その40年ほどの間に、新聞社の社員の印象はかなりあからさまに変わっている。
一番の違いは、彼らがおしなべて「感じの良い人」になったということだ。
これは、私の側の年齢の問題も多少は関係している。
どういうことなのかというと、35年前はこっちも20代だったし、一緒に仕事をする記者や編集者の多くは年上だったわけで、だから、口のきき方について言うなら、当時の新聞社の人たちは、私に対してわりと遠慮のない口吻で語りかけていたということだ。
引き比べて、この10年ほどは、新聞社の人間といってももっぱら自分より若い人たちとやりとりすることが多い。それゆえ先方の態度も、いきおいへりくだった感じになる。と、全体としては、以上に述べた通り、記者のマナーは一貫して向上してきたというお話になる。
ともあれ、そうした彼我の立場の違いを差し引いて、総体として記者の対人マナーの絶対値を評価してみるに、私の見たところ、この30年ほどの間に、彼らは、より礼儀正しく、より謙虚で、より常識的で、よりフレンドリーな方向に変化してきている。この点は間違いないところだ。つまり、大きな部分において、記者の態度はマイルドな方向に変わっているわけだ。
ただ、時に横柄で、「あんた何様のつもりだ?」と尋ねたくなることさえあった30年前の記者たちが、現在の若い記者さんたちに比べてどこか優れていた部分を持っていたのだとすれば、私は、彼ら古手の記者たちが、自分たちの仕事に高い矜持を持って臨んでいた一点を挙げたい。彼らは、鼻持ちならない説教臭い人々ではあったが、大変に高いプライドを持って仕事にあたっていた。
昭和の記者連中は、記者という職業を英雄視するあまり、取材相手を無神経に扱うきらいがあったし、鼻持ちならないエリート意識を振り回して周囲を辟易させてもいた。
それに比べれば、インターネットの誕生以来、マスゴミ嫌いのネット民たちに思うさまにイビられ続けている昨今の記者の皆さんの振る舞いの上品さは、同じ職業に就く人間のそれとは思えない水準に到達していると思う。
しかし、あまたある欠点を別にして考えれば、昭和の記者連中が仕事に対しておそらくは相当に真剣な人々であったこともまた事実ではあるわけで、30年前の、新聞社が学生の就職希望企業のトップに君臨する憧れの会社であった当時の記者であれば、世襲の大臣のナメた言い草を決して容認しなかっただろう。
「官僚の人事権が大臣にあることは、当方も承知しています。私のさきほどの質問は、人事権を握っている人間が、その責任に恥じる人選をした点を自覚しておられるのかという一点です。あたらめてお答えいただきたい」くらいの矢は放ったはずだと思う。
政治家の不遜さを正すためには、政治家以上に傲慢な記者を当てる必要があるのかもしれない。
各社、麻生番にコワモテの記者を配置するくらいはやったほうがいいような気もする。
とはいえ、コミュ力万能の就活をくぐり抜けて採用された若手記者は、そもそも傲慢力を去勢されているのだろうか。だとしたら残念なことだ。もちろんどうせなら、傲慢さよりは知性と理屈で麻生さんをぎゃふんと言わせてほしい。
みんなが読みたがっているメディアへの道って、案外、そんなところから始まってそうな気がするぞ。
(文/小田嶋 隆)
https://ja.wikipedia.org/wiki/小田嶋隆
※ メール・BLOG の転送厳禁です!! よろしくお願いします。
コメントをお書きください