中国の技術力を舐めすぎた欧米と日本は、ここから何度もショックを経験する
高島康司
2025年2月1日
中国の生成AI「DeepSeek」の登場が、アメリカのIT業界に大きな衝撃を与えている。低コストかつハイエンドGPUなしで開発されたこのAIは、米国の技術優位を揺るがす可能性があると見られ、ニューヨーク株式市場ではAI関連銘柄が暴落した。一部では「スプートニク的瞬間」とも呼ばれるこの事態は、単なる技術革新以上の意味を持つのか?
中国のAI技術の台頭と、世界のテクノロジー覇権の変化を考察する。
DeepSeekは、本当に「スプートニク的瞬間」か?
生成AIのチャットプログラム「DeepSeek」が公開された。ユーザー登録すると誰でも無料で使える。これがいま「スプートニク的瞬間」と呼ばれる大きなショックをアメリカのIT業界に引き起こしている。1月27日、ニューヨーク株式市場でAI関連銘柄が大きく売られ大暴落した。AIの開発を主導しているハイエンド半導体の製造企業「エヌビディア」の株価は17%も下落し、その時価総額は1日でおよそ6,000億ドル、日本円でおよそ92兆円減少した。これは、アメリカ史上最大の下落である。
このショッキングな下落の背景は、中国のAI開発企業「DeepSeek」が低コストで開発した生成AIが、アメリカのAI産業の優位性を揺るがしかねないとの見方が広がり、AI関連銘柄が大きく売られたからだ。
「DeepSeek」は、中国のヘッジファンドマネージャーである梁文峰が設立したスタートアップが開発したAIモデル「DeepSeek R1」を基盤にした生成AIのチャットプログラムである。同モデルは、米国のモデルに比べて圧倒的に低コストで、かつわずか数カ月で開発され、さらに最先端の「Nvidiaチップ」を使わずに完成している。
「DeepSeek」の研究チームは、約600万ドル(約9億2,000万円)をかけてローエンドでデータ転送速度の低い「H800 Nvidiaチップ」を約2,000個使用し、AIモデルを開発したと述べている。一方、アメリカの企業はAI開発に十倍の90億ドル(約数千億円)を投入しているので、はるかに安価に高度な生成AIのプログラムの開発に成功している。
また、「DeepSeek」はオープンソースモデルであり、ユーザーが自分のコンピュータで直接利用できる点が特徴だ。
また「DeepSeek」の特徴の1つは、非常に少ない電力で稼働することだ。「Open AI」や「Google」などのアメリカ企業のAI開発には、際限のない電力とエネルギーが必要となる。そのためAIの開発には、巨大なデーターセンターと、それを稼働させるための電力供給を可能にする新たなインフラの建設が必要になる。「DeepSeek」だと電力消費量が少ないので、新しいインフラの投資も少なくて済む。
NVIDIA CORP<NVDA> 日足(SBI証券提供)
「スプートニク的瞬間」
さらに「DeepSeek」の発表は、別なショックも引き起こした。
これまで米政府はアメリカと中国の技術覇権争いの要となるAI分野で中国が優位に立つことを阻止しようと、画像処理半導体(GPU)などのハイエンド技術の中国への輸出を禁止した。しかし、「DeepSeek」の進歩は、中国のAIエンジニアが限られたリソースで効率性の向上を追求し、規制の影響を回避できていることを示唆した。
こうした特徴を持つ「DeepSeek」の発表を、投資家のマーク・アンドリーセンは、旧ソ連が1957年に世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功したことになぞらえ、「AIの「スプートニク的瞬間」」と呼んだ。中国がアメリカの技術に依存せず、既存のものを上回る高度なAIプログラムの開発に成功したからだ。
これは誰も想像していなかったということで、これを「スプートニク的瞬間」と呼んだのだ。
「DeepSeek」の成功により、「Open AI」やその他のアメリカのAIサービス提供会社は、確立された優位性を維持するために価格を引き下げざるを得なくなるだろう。
また、より効率的なモデルがはるかに少ない支出で開発できるのであれば、「メタ」や「マイクロソフト」などのIT企業による巨額の支出にも疑問が投げかけられることになるのは間違いない。
一方トランプ大統領は先週、「OpenAI」や他のIT企業と協力して最大5,000億ドル(約78兆円)を投じる新たな「スターゲート・プロジェクト」を発表している。
そのようなときに、アメリカのIT企業が開発したAIのプログラムの競争力に疑問を呈する「DeepSeek」が発表になったのだ。最悪のタイミングだったかもしれない。
無数にある「スプートニク的瞬間」
このように「DeepSeek」の発表は、非常に大きな驚きを引き起こした。筆者も「DeepSeek」を使ってみたが、「ChatGPT4o」とほぼ同等の機能だが、反応と処理の速度は「ChatGPT4o」よりもかなり速かった。
これが完全に無料で提供されているので、「ChatGPT4o」などのアメリカ企業のAIサービスには大きな脅威である。
まさにアメリカが絶対的な優勢を維持していると思われていたAIの分野で、米企業を凌ぐサービスを中国の企業が提供したことは、「スプートニク的瞬間」と呼ばれるような大変な驚きを引き起こした。
しかし、「DeepSeek」の公開を「スプートニク的瞬間」と呼ぶのは現実を反映しているとは言えない。
すでに詳しく紹介したように、すでに中国は先端的テクノロジーの分野で圧倒的に優勢であり、AIはアメリカがかろうじて優位を維持していた分野のひとつにすぎない。
「スプートニク的瞬間」という表現には、中国のテクノロジーがやっとアメリカに追いついてきたという驚きの印象が含意されているが、現実はそうではない。
すでに中国のテクノロジーはどの先端的分野でもアメリカを凌駕している。今回「DeepSeek」の公開で、たまたま先端分野のひとつである中国のAIが注目されたのだ。
そうした意味では、これから無数の「スプートニク的瞬間」を我々は目にすることになるはずだ。
すでに紹介したが、オーストラリア国防省のシンクタンク、「オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)」は2024年8月に、世界の最先端技術のランキングである「クリティカル・テクノロジー・トラッカー」の最新版を発表した。
このレポートは、防衛、宇宙、エネルギー、環境、人工知能、バイオテクノロジー、ロボット工学、サイバー、コンピューティング、先進材料、量子技術の主要分野にわたる64のクリティカル・テクノロジーをカバーしている。このレポートは、各国の研究実績、戦略的意図、将来の科学技術能力の潜在的可能性を予測する先行指標として、最も引用頻度の高い論文の上位10%を調査し、分野別で国と研究機関の優位性をランキングしている。
・ASPIのCritical Technology Tracker
https://ad-aspi.s3.ap-southeast-2.amazonaws.com/2023-03/ASPIs%20Critical%20Technology%20Tracker_0.pdf
中国は2003年から2007年の間、先端的な64の技術分野のうち3分野で首位に立ったが、2019年から2023年の間には64の技術分野のうち57分野で首位に立っており、昨年のランキング(2018年から2022年)で52の技術分野で首位に立っていたときよりも、そのリードをさらに広げている。
中国は、量子センサー、高性能コンピューティング、重力センサー、宇宙打ち上げ、先進的な集積回路設計および製造(半導体チップ製造)の分野で新たな進歩を遂げた。
一方、アメリカは首位であった分野は以下の7つだけだった。
1. AIによる自然言語処理
2. 量子コンピューティング
3. 遺伝子工学
4. 核医学と放射線治療
5. ワクチン開発
6. 小型人工衛星
7. 核時計
これ以外の57分野では中国が首位でアメリカを凌駕している。その代表的な分野のランキングを紹介する。
<中国が首位の代表的分野>
電気バッテリー
ドローン、群れをなすロボット、協調ロボット
先進的な航空機エンジン
ハイスペックな加工プロセス
高度集積回路の設計および製造
レポートの分析結果
これが「クリティカル・テクノロジー・トラッカー」の結果である。
先端的テクノロジーの世界的な国別ランキングを出しているのは、筆者の知る限り、「オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)だけである。
レポートの分析を見ると、中国のテクノロジーの優位性がどれほどのものなのかよく分かる。次頁に、このレポートの一部を訳出した。
中国のリードは拡大し続けている。中国は過去1年間で世界の研究におけるリードを強化し、現在64の重要技術のうち57でリードしている。
これは昨年の52技術からの増加であり、わずか3技術でリードしていた2003~2007年の期間からは飛躍的進歩である。
過去21年間、2000年代後半から2010年代半ばにかけての世界研究における中堅の地位から今日の研究・科学大国への中国の台頭は、緩やかではあるが着実なものであった。
中国は、電気バッテリーなどの一部の分野では研究結果を製造過程に転換することができているが、中国がその強力な研究実績を実際の技術力に転換するのが遅い分野もある。
中国は、過去10年半ばにその地位を大幅に強化した。 2013年から2017年にかけて、64分野のうち28分野で米国を上回った。その他の分野では、高性能コンピューティング、敵対的AI、高度な集積回路の設計と製造(半導体チップ製造)、自律システム運用技術、量子センサーなど、2020年代に入ってからようやくわずかにリードを広げており、中国のAIとコンピューティングへの取り組みを反映している。自然言語処理の論文の年間出版率でも米国と同等に達している。
米国は、これまで築き上げてきた強力な歴史的優位性を失いつつある。21年間にわたり、米国は研究面での優位性を維持できていない。
2000年代前半から中頃にかけて、米国は圧倒的な研究大国だった。2003年から2007年にかけての米国の研究実績では、64の技術のうち60で米国が研究をリードしていた。
しかし、20年以上にわたって、その研究面でのリードはわずか7つの技術にまで低下している(2019~2023年のランキング)。
注目すべき残留分野としては、量子コンピューティング、ワクチンおよび医療技術があり、これらの分野で米国は依然として優位を維持している。
数十年にわたる投資と先駆的な研究を通じて築き上げられた知識、専門技術、組織的強みは、短期的には引き続き米国に利益をもたらすと思われるが、中国は、自国の科学技術分野とトップクラスの実績を持つ機関、特に主要な防衛・エネルギー技術分野への比類のない投資を通じて、急速に追い上げている。
中国は、科学的専門知識とトップクラスの研究機関において潜在的な独占的地位を築き上げてきた。
10年以上前に中国が米国を追い抜いた分野では、中国は着実かつ揺るぎないリードを確立する傾向があった。
例えば、先端材料と製造の分野では、中国は2000年代後半から2010年代半ばにかけて大きな進歩を遂げ、現在では先端複合材料、先端保護、コーティング、スマート材料、新しいメタマテリアル、ナノスケール材料と製造などの分野で研究専門知識とトップクラスの研究機関が極めて集中しており、独占リスクをもたらしている。
いくつかの重要な通信分野、特に先端光・無線周波数通信や海中無線通信では、中国は2010年代半ばにリードし、過去5年間で米国の3~5倍の研究成果を達成して大きなリードを築き上げており、これもまた独占の脅威となっている。
それに比べて、バイオテクノロジー、遺伝子技術、ワクチンの分野での中国の躍進は比較的最近のものであり、テクノロジートラッカーで取り上げられている7つのバイオテクノロジーのうち5つにおいて、2010年代後半から2020年代にかけて、中国は年間の影響力の強い論文の発表率で米国を追い抜くことができた。
中国が最も大きな独占リスクをはらんでいるバイオテクノロジー分野は合成生物学であり、2016年にトップに立って以来、中国の研究論文の発表数は米国の5倍近くに上っている。しかし、米国は依然として核医学と放射線治療でリードしており、ワクチンと医療対策でも大きなリードを維持している。
現実を直視すべき時
これが、中国の先端的テクノロジーの現状である。
中国はほとんどの分野でアメリカを圧倒している。そして、アメリカがかろうじて優位にある上の7つの分野でも、中国はアメリカを追い上げている。
今回「スプートニク的瞬間」として大きな驚きをもたらした「DeepSeek」の発表は、AIによる自然言語処理の分野でも中国が首位になりつつあることを示している。おそらくこれから我々は、先端的テクノロジーの分野で中国のプロジェクトが発表になるたびに「スプートニク的瞬間」を無数に経験することになるはずだ。
一方、日本を含めた欧米の主要メディアでは、中国に対するネガティブな報道ばかりが目立つ。不動産バブルの崩壊とともの中国経済の破綻も間近だというような報道だ。
たしかに中国は経済の構造的な転換期にある。GDPの40%も占めていた不動産開発投資への依存から脱却し、習近平主席が「新産業」と呼ぶ先端的なテクノロジーをベースにした新しい製造業による発展へと舵を切った。このまま行くと、日本は中国が引き起こす製造業の津波に飲み込まれることになるだろう。
そのような状況を回避したいのであれば、中国のテクノロジーの現状を直視しなければならない。
※ メール・BLOG の転送厳禁です!!
よろしくお願いします。
コメントをお書きください