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『2050年の世界 見えない未来の考え方』


 本書は世界経済の未来に関する本である。

しかし、日本の読者のみなさんにわたしから伝えたいメッセージも、この本に込めている。

日本は過去半世紀以上にわたり、世界経済でとても大きな役割を果たしてきた。

つぎの30年以降も、みなさんの国が世界経済を形づくる非常に重要な役割を担いつづけてほしいと心から願っている。

本書で説くように、穏やかで秩序ある社会をつくり、安全でだれもが憧れる生活様式を国民が送れるようにするなど、日本が世界に教えられることはほんとうにたくさんある。しかも、世界第3位の経済大国であり、2050年にも大差の4位を維持する可能性がとても高い。

民主主義の下ですべての国民が快適な生活を送っている非常に重要な成功例でもある。

 この本での日本に関する大きなテーマは二つある。

第一に、先進諸国に対し、すべての人の役に立つ高齢化社会をつくるにはどうすればいいかを示す。

そして第二に、価値観が固まっていない国々に対し、官民が協力する日本型の混合経済モデルがうまくいくことを示す。

日本は経済力があるだけでなく、アメリカの政治科学者であるジョセフ・ナイのいう「ソフトパワー」もある。

 わたしは記者として1970年代はじめから日本を何度も訪れ、日本の友人と長く親交をあたためてきた。わたしの日本観はそのなかで形づくられたものだ。1990年代はじめまでの驚異的な成長も、その後の停滞も、この目で見てきている。 

そしてもちろん、中国の台頭がもたらした東アジア時間帯における経済のパワーシフトを肌で感じている。



 本書に埋め込まれている重要な考え方の一つとして、つぎの1020年は、世界にとってさまざまな点で厳しく不安定な時期になるということがある。

中国とアメリカのあいだの緊張が高まるのは避けられない。その動きはすでにある。

台湾の地位をめぐる緊張や中国の西側への投資をめぐる緊張がそうだし、中国の領土拡張政策全般がそうである。

そこにロシアによるウクライナ侵攻という悩ましい要素が加わっている。これがどう収束するのかは、いまの時点ではわからない。

ロシアの侵攻は、本書の英語版が印刷所に送られる数日前にはじまった。

本書の最終章にわたしが不安に思っている10の項目を示しているが、その三つ目に、くしくもロシアがなんらかの暴走を起こして自国と周辺国にダメージを与える可能性をあげている。もうそうなっているかもしれないとも指摘した。それを予見できたからといって、なんの慰めにもならないが。

 それ以外にも数多くの緊張が生まれるだろう。

アメリカと西側全体にとっては、非同盟主義の国、とくにインドに対して、独裁国家の側につかずに民主主義の国と協力することが自国の利益になると説き伏せるのが最優先の課題になる。日本にとっては、この不透明な時期にどのような役割を果たすかが課題の一つになってくる。

本書で述べるように、2030年代末には、中国の前進は止まる。人口が高齢化して減少に転じるため、いまよりも付き合いやすい隣人になる

ロシアについては、人口が収縮して広大な国土を管理できなくなり、状況はどんどん厳しくなっていく

だが、日本はその一方で、どうすれば適切で十分に機能する民主的な混合型市場経済へと世界をうまく導いていけるかという問題と向き合わなければいけない。

これは難題であり、答えは日本人自身が見つけなければならない。

外を向いて、西側同盟のなかで軍事的な役割を拡大するなど、より積極的に関与するべきか。それとも自国を優先して国民を第一に考えることが日本の国益になるのか

どちらの側にも言い分はある。本書では、日本は後者の道をいく可能性のほうが高いと考えている。

しかし、外国人が国の政策に口を出すべきではないだろうが、わたし個人の願いを言わせてもらうなら、日本はアジアのなかで積極的にリーダーシップをとってほしい。

それは国内と世界の両方に目を向けるということだ。わたしがそう言うのは、日本は英知と判断力をもってそのパワーと影響力を発揮すると信じているからである。

 その先に目を向けて、2050年の世界に視野を広げてみよう。

日本はそこでどのような位置にあるのだろう。中国のあり方は変わると考えられ、日本にとっては非常に大きな機会が生まれる。

中国では、おそらく2030年代に政治体制になんらかの変化が起きて、いまの強権的な中央集権体制は、国民の要求や欲望を第一に考える体制にとってかわられると、わたしは考えている。このシフトが現在の政治体制のなかで起こるかどうか、体制の転換があるかどうかは判断がつかない。それが整然と進むか、無秩序に陥るかもわからない。

それでも、中国は人口が減少している中間層の国になるのは間違いない2050年には、経済と政治の後退が鮮明になっており、その流れは21世紀後半もつづくだろう。

 これをグローバルな視点から見ると、2040年代以降、後退する中国と、世界を支配しつづけるアメリカとの関係は、いまの2020年代の状況よりもはるかによくなる

アジアという地域の視点で見るなら、日本にとって扉が開ける。

東アジアの時間帯にある国々は、日本に経済のリーダーシップを求めるようになるのはまちがいなく、そしておそらく、政治のリーダーシップも求めるようになる。

ただし、前に述べたように、後者については日本の国民が決めることである。

 この機会を最大限に活かすために日本の社会が考えたほうがいいと思われることがいくつかある。順不同で五つあげよう。

 第一に、日本の偉大な企業の技術力を足がかりにする。

日本企業は製品をよりよいものにする方法だけでなく、それをさまざまな社会に売り込む方法も世界に伝えてきた。

日本の企業は政治家よりも世界を深く理解しており、教えることがたくさんある。

 第二に、この後で明らかにしていくように、日本はこれからも高齢化社会と向き合っていくことになり、その姿は世界にとって教訓となる

教育の水準が高く、適応力があり、健康な高齢者は資源であって、重荷ではない

従来の雇用形態にかぎらず、広く社会で高齢者のもつスキルを最大限に活かすにはどうすればいいか、わたしたち全員が学ばなければならない。

これは世界が人類の歴史ではじめて直面する状況である。ある意味では怖い。

若い世界、とくにアフリカで人口が増えるなかで、老いる社会がはたしてリーダーシップを発揮しつづけられるのか。それでもそうしなければいけない。

 第三に、世界の中間層は21世紀を通じて秩序と規律を強く求めるようになっていく。

ここでも日本が教えられることはたくさんある。秩序が失われれば富は破壊される。2022年に世界はそれを目の当たりにした。

ロシアがウクライナに侵攻し、世界のエネルギーと食料の供給が混乱に陥り、町や都市のインフラが物理的に破壊された。

戦争では経済的被害より人的被害の回避を最優先にするべきだが、経済への打撃も非常に大きい。

にもかかわらず、外国との紛争が起きているだけでなく、国内が無秩序状態に陥っている国があまりにも多い。

数多くのラテンアメリカ社会が抱える、暗く悲しい側面の一つは、殺人率が恐ろしく高いことである。日本の治安のよさは、進むべき道を明るく照らす道しるべになる。

東京は地球上で最も安全な大都市である。ほかの国はぜひ東京から学んでほしいし、どうすればより秩序ある社会をつくれるか、日本も積極的に伝えてほしい。

 第四に、海外に渡る(理想としては留学をする)若者が増えて、その国で友ができ、人脈が広がるといい

海外からの観光客を増やす取り組みを国が進めるのもとてもいい。

ヨーロッパと北アメリカの若者は日本のことをよく知らないし、日本の若者もヨーロッパと北アメリカのことをよく知らない。わたしはそれが気になっている。

外国に行ってなにを得るかは、その人次第である。しかし、外国に行かなかったら、学ぶことはもちろん、教えることもできない

 そして第五に、もっと広い意味で、わたしは日本人が自信を取り戻してほしいと願っている。日本は世界が直面している課題に対処している。

日本人は、巨額の公的債務、円安ドル高、1990年代はじめのバブル崩壊以降の「失われた」年月などを心配しているが、そこから少し離れたほうがいい。

悲観ばかりしていると思考が麻痺して、可能性をつぶしてしまうと、わたしは心の底から感じている。

日本人が自分たちの成し遂げたことを称えられるようになればなるほど、よりよい世界を築く力でありつづけるようになる。

 あと二つほど、伝えておきたいことがある。

まず、この本では一世代後の世界についておおむね前向きな展望を示しているが、最近の出来事、とくにウクライナ侵攻と台湾情勢の緊張を受けて、それを見直すべきなのだろうか。わたしの答えは「ノー」だ。

前に述べたように、ロシアの侵攻がはじまったのは最終校正が終わる一週間足らず前であり、原稿を少し書き換えて、考察に反映させることができた。

その段階では、ロシアの行動がどのような結果をもたらすかはわからなかった。それどころか、この原稿を書いている6ヵ月後の時点でも先は見えていない。

中国と台湾の関係も見通せなかったし、いまも不透明なままだ。

しかし、良識ある人なら誰でもそうであるように、いま目の前で起きている現実に愕然としているが、このようなことを予見できていて、少しほっとしてもいる。

それはこの本を読んでいるすべての人へのメッセージだ。未来の詳細を知ることは望めないが、どういう方向に進みそうかという輪郭はわかる。

その大きな方向性をたたき台にして、新しいエビデンスが出てきたら、それを書き換えていけばいい。

 まったく予測できないことももちろんあるし、未来への旅を再開して、先を行けば行くほど、よい意味でも、悪い意味でも、予想外のことが起こる可能性は高くなる。

だが、不完全な(そのうえ間違っていたりする)地図であっても、ないよりはずっといい。

 だからわたしは、自分をツアーガイドだと思っている。未来という見知らぬ地へと向かう旅をしている人たちを導く案内人だ。

それがみなさんに最後に伝えたいことである。

日本でこの本を読んでいるあなたも、そのツアーに加わっている。それはわたしたち全員がしなければならない旅である。

時計を止めることはできない。わたしは30年前に同じような旅をしているという強みがあるので、そこでどんな風景に出会うか、だいたいわかる。

しかしもちろん、未来の世界は、過去に訪れた世界とは違う。そこではだれも行ったことがない場所を訪れ、だれもしたことがない経験をする。

それに、ツアーに参加している誰もが、わたしには知りえないことについて専門的な知識をもっているにちがいないし、みんなで同じ経験をしても受け止め方はそれぞれ違うはずである。テクノロジーでも、医療の進歩でも、環境に関する懸念でも、読者のみなさんのほうがわたしよりも深い専門知識をもっている側面はかならずある。

日本についてもそうだ。わたしはみなさんの国のことをよく知っているし、日本にはたくさん友人もいるが、この日本語版を読んでいるみなさんのほうが日本のことはよくわかっているに決まっている。それでも、友人として外から日本を見つめた視点はきっと役に立つだろう。

そう、これはわたしたちがともにつくりあげる旅だ。そこにみなさんを導けるのは、わたしにとってこのうえない喜びであり、特権である。 

2022年9月 ロンドンにて  ヘイミシュ・マクレイ


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