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岸田首相が国民から蛇蝎の如く嫌われた分かりやすい理由


2024.09.02 

by 上久保誠人

 814日に総理大臣官邸で開かれた記者会見で、次期総裁選に立候補しないことを表明した岸田首相。決断の裏には長く続いた低支持率があるとされますが、なぜ首相はことほど左様に国民から嫌われたのでしょうか。政治学者で立命館大学政策科学部教授の上久保誠人さんは今回、その理由を多角的な面から考察。まさに「納得の論理」を展開。



自民総裁選への不出馬を表明した岸田首相はなぜ国民からここまで嫌われたのか

岸田文雄首相が、9月に実施される自民党総裁選への不出馬を表明した。首相は、総裁選を勝ち抜いて政権を維持する意向だったとされる。

だが、内閣支持率の低下に悩み、首相の座から退くことを決断した。

本稿は、岸田内閣退陣の直接的な理由となった支持率の低さについて考える。なぜ、岸田首相は国民から嫌われたのか?その理由を論じたい。

あえて結論から言おう。岸田首相は、何代も続く政治家の家系に生まれなければ、首相はおろか、政治家にすらなれなかっただろう

その程度の資質の人物だということが、国民に見えすぎた。

一方で、そんな岸田首相が、やりたい放題に権力を振るっている。自民党内の派閥のほとんどを解散させた首相には、過去最高に権力が集中している状態だ。

だが、「増税メガネ」という言葉がある。岸田首相が主にネット界隈で呼ばれているあだ名だ。

だが、首相は増税を実行したわけではない。所得税減税、住民税減税を打ち出し、消費増税も表明していない。

それなのに「どうせ増税したいのだろうと見透かされたようにあだ名にされている

それは、岸田首相の背後に、財務省がいると思われているからだ。

だから、首相は所得税・住民税の税率をいったん引き下げるが、いずれ大増税をするに決まっている。

首相は財務省の言いなりであり、財務省の代弁者だと思う人が多いということだ。

岸田首相は強力な権力を掌握しても、それを国民のために使うことはない。

国民とは意識が乖離してしまっている。財務省など、影の権力者の言うことを「聞く力」しかない

だが、国民には、首相を止める術がない。それが、国民をイライラさせてしまった。支持率低下につながったのではないかと思う。

 

地元支持者が他陣営に買収されることも防げない頼りのなさ

岸田文雄氏には、首相を務める資質がないということを、彼が首相に就任する前から、国民は何度も眼にしてきたと思う。

まず、「河井案里選挙違反事件」への対応があり得なかった。

20197月、参議院議員選挙の広島選挙区で、立候補していた自民党の河井案里氏を当選させるために、その夫であり衆院議員であった河井克行氏が、案里氏と共謀して大規模な買収行為を行った。その結果、案里氏は当選した。

一方、選挙前の現職だった溝手顕正氏(自民党)は落選した。溝手氏は、当時党政調会長だった岸田氏の側近だった。

元々、広島は岸田氏の地元だ。自民党広島県連は、溝手氏が所属する岸田派が多数を占めていた。

ところが、安倍首相(当時)、菅義偉官房長官が河井氏を応援し、当選させるために、党本部から15,000万円を入金した。

それに対して、溝手氏への入金は河井氏の10分の1のわずか1,500万円だった。

河井克行氏は、20193月下旬から8月上旬に広島県議や広島市議、地元首長ら計94人に案里氏への投票や票の取りまとめを依頼し、総額約2,570万円を提供したという。また、河井案里氏は、このうち5人に対する計170万円について夫の克行氏と共謀したという。

後に、二人は公職選挙法違反で逮捕された。河井夫妻が問題なのは言うまでもない。

だが、私は、買収された広島県議、広島市議、地元首長らは、元々誰の支持者だったのかということが問題だと思う。

そのほとんどが、岸田首相の地元支持者に他ならないからだ。

地元支持者が他の陣営に買収されることも防げない、側近の落選すら防げない、地元にすら軽く見られている人物に、首相が務まるわけがないと、多くの人が思ったはずだ。そのような人物が、バイデン、プーチン、習近平、モディ、エルドアンと、魑魅魍魎、百鬼夜行の国際社会で、日本の国益を守れるわけがないからだ。 

総裁選で何度も見せた「負けっぷりの悪さ」

岸田首相は、自民党総裁選に何度も挑戦し、敗れてきた。

その「負けっぷりの悪さ」も、首相の頼りないイメージにつながっているように思う。

その「負けっぷり」は、かつての自民党であれば、二度と総裁選に挑戦できなかったような無様さだった。

岸田首相が、最初に総裁選に挑戦しようとしたのは、20189月だった。

当時、連続3期当選を目指す安倍晋三首相と、石破茂元幹事長が立候補して、安倍首相が勝利した。

一方、安倍首相の有力な対抗馬とみられていた岸田氏は、不出馬を決定した。

岸田氏は、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進めることが適切だと判断した」と不出馬の理由を語った。

宏池会(岸田派)内は、若手を中心に出馬を促す主戦論」と、ベテランを中心に今回は出馬せず、次回の総裁選挙で安倍首相からの禅譲を目指す慎重論」で割れていた。岸田氏は、総裁選に出馬するかを慎重に検討してきたが、結局、自民党内に「安倍首相は、余人をもって代えがたし」という「空気」が広がる中、勝機が全くみえないことから、勝てない戦を避けて、安倍首相からの将来の「禅譲」に望みを託すことに決めたのだ。

だが、岸田氏の総裁選不出馬表明が、安倍首相の出身派閥である細田派、そして麻生派、二階派が支持表明した後になったことが問題だった。

安倍首相側から「今さら支持すると言われても、遅すぎる」と言われてしまったのだ。岸田氏は、政局眼の弱さ、頼りなさをみせることになってしまった

 

完全に安倍首相の軍門に下った宏池会の領袖

また、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進める」と言ったことも問題だった。

これは、かつて宏池会の領袖だった谷垣禎一総裁が中心となって公明党、民主党政権と「三党合意」して実現した税と社会保障の一体改革」を事実上反故にして進められているアベノミクス」に挙党態勢で全面的に協力すべきと、岸田氏が主張したことを意味した

「アベノミクス」の評価は別の話としたい。だが、言えることは、宏池会といえば、伝統的に「健全財政」であり「軽武装経済至上主義」の「保守本流だ。倍首相の出身派閥「保守傍流」である「清和会とは明らかに違うのは、国民のよく知るところだ。

その宏池会の領袖が、完全に安倍首相の軍門に下ったことを意味した権力闘争、政策の両面で、岸田氏は弱さを国民に見せつけてしまった

そして、20219月、安倍首相退陣で行われた自民党総裁選。案の定、安倍首相から岸田氏への「禅譲」はなかったあるわけがないのだ。

戦後政治の歴史を振り返れば、禅譲を狙って裏切られ捨てられた事例は多数あるからだ。

例えば、現在岸田氏が率いている宏池会の会長だった前尾繁三郎元衆院議長は、1970年の佐藤栄作元首相による佐藤4選の総裁選で、「人事での厚遇」の密約を理由に不出馬を決めたが、結果的に佐藤氏に約束を反故にされた。前尾氏は派内の反発を買って宏池会会長の座を大平正芳元首相に譲らざるを得なかった。そもそも、生き馬の目を抜く政界で「禅譲狙い」は、上手くいくわけがない

岸田氏は18年の総裁選後、政調会長に就任したが、アベノミクスを無批判に、礼賛し続けるしかなくなった。持論は封印して服従するしかなかった。

「禅譲狙い」は、首相と一蓮托生となり、心中するしか道はないだけではなく、それ以上に厳しいものだ。

一生懸命働いても、手柄は自分のものには絶対にならない。なにか落ち度があれば、すべての責任を押し付けられる。いいことは何もないものだ。

そして、この政調会長の時に「河井案里選挙違反事件」が起こった

岸田氏の地元が大量に買収された。その背後に安倍首相・菅義偉官房長官がいたと言われているのだ。 

安倍氏が岸田氏への「禅譲」を見送ったウラ事情

岸田氏が、落ち度の責任を押し付けられた事例に、安倍政権が新型コロナウイルスを巡る経済対策の1つとして打ち出した、「国民1人当たり一律10万円を現金給付」を決定した時のゴタゴタがある。当初、「減収世帯に30万円を給付する」という措置だったが、国民から酷評された。制度そのものが分かりづらい上に、自己申告が煩わしく、いつもらえるかも分からない。本当に必要な人がもらえるのかどうかも分からなかったからだ。

結局、公明党が首相官邸に泣きついて、「一律10万円の現金給付」に急遽変更となった。

当初の現金30万円給付は、岸田氏が政調会長として財務省と取りまとめたものだった。岸田氏に対して自民党内からの批判が噴出した。

「公明党が言えば、ひっくり返すというのはどういうことか」「党は政府の下請けではない」「岸田氏は終わりだ」などと叩かれ、岸田氏のメンツは丸つぶれとなり、「ポスト安倍」として力量不足と酷評されてしまった。

岸田氏の政治的センスのなさと力量不足を不安視させる事態が続き、世論の岸田支持も盛り上がらなかった

安倍首相は、岸田氏ではとても勝てないとみて、岸田氏への「禅譲」をやめたというのだ。

そして、安倍首相の辞任記者会見の後、首相の周囲は即座に動いた。

微塵も「ポスト安倍」への色気を見せなかったはずの菅氏が出馬の意向を示し、一気に「菅後継」の流れとなり、岸田氏はあっという間に蚊帳の外になった。やはり、「禅譲」などありえなかった。 

拭えなかった「頼りない」「お人よし」というイメージ

ただし、かなり酷評したので、1つだけフェアに言っておきたいことがある。

「禅譲」がないとはっきりした後、岸田氏は、出馬表明の記者会見で「大変厳しい道のりを感じているが、国民のため国家のため、私の全てをかけてこの戦いに臨んでいきたいと思います。一人でも多くの国民のみなさんに共感してもらい、力を与えていただき戦いを進めていきたいと思う」と述べた。

岸田氏は開き直ったのか、その言葉にこれまでにない力強さと率直さがでてきた。

岸田氏は確かに豹変したと思う。だから、その1年後、絶対にないと思っていた総裁選の勝利を得た。

その後も、支持率低下はともかく、やりたい政策を次々進めていく姿は、別人となった。ある意味、脱帽である。

しかし、首相になる前に張り付いた、「頼りない」「お人よし」の不器用なイメージは、ついに拭うことができなかったのではないか。

 

致命的な政治家としての「価値観や感覚の古さ」

もう1つ、岸田首相と庶民感覚の乖離を指摘しておきたい。政治家としての「価値観や感覚の古さ」である。

まず、岸田首相は、2210月に息子の翔太郎氏を首相秘書官に起用した。

野党などから「時代錯誤」だと厳しい世襲批判が巻き起こった。だが、首相はどこ吹く風だった。それどころか、231月の欧米5カ国訪問に翔太郎氏を同行させた。この際、翔太郎氏が公用車でパリやロンドンを観光しただけでなく、カナダのジャスティン・トルドー首相に記念撮影を申し込み、周囲のひんしゅくを買ったと週刊誌が報じた。いわば、仕事ではなく「物見遊山」気分だったというわけだ。言わずもがなだが、翔太郎氏の行動は、首相の息子という「特権」を利用していると批判された。

衆議院・予算委員会では、野党から「この人事は適切か」と問われる一幕もあった。

ところが、岸田首相は翔太郎氏のことを「政治家としての活動をよりよく知る人間」と高評価し、彼の政務秘書官採用には「大変、大きな意味がある」と言ってのけたのだ。答弁における岸田首相の表情からは「一体何が悪いのかわからない」という戸惑いが見えた。

政治家を「家業」と考えて、息子に「世襲」することにまったく疑いがないように思えた。

岸田首相は、祖父・父親が国会議員の3世議員だ。

岸田家代々の地元・広島ではなく東京で生まれ育ち、開成高校卒業後は東京大学を目指した。だが受験に失敗し、2浪の末に早稲田大学に進学。

卒業後、日本長期信用銀行勤務を経て、衆院議員だった父・文武氏の秘書となった。いわば、非常に恵まれた家系に生まれたわけだ。

だが、岸田首相にとって、そのことが「当たり前」になっているのではと勘繰りたくなる場面がしばしばある。

例えば、岸田首相は「東大に3回落ちた。私は決して線の細いエリートではない」と述べたという。

また、首相秘書官だった荒井勝喜氏が性的少数者を巡る差別発言を行い、岸田首相自身も「ダイバーシティへの理解不足」を指摘された際、岸田氏は「私自身もニューヨークで小学校時代、マイノリティーとして過ごした経験がある」と反論したという。

あくまで報道から受ける印象にすぎないが、こうした発言を見た際、「2年間の浪人生活が許されること」や「ニューヨークの小学校に通えること」がどれほど恵まれているかに思いが至らないのではないかと感じた。首相でありながら、こうした「世間とのズレ」を往々にして露呈している点に、「価値観や感覚の古さ」を感じたわけだ。 

「女性活躍」の機運とは対照的に「男性一色」な首相周辺

さらに、岸田首相は同性婚を巡る国会答弁で、同性婚の制度化について「社会が変わってしまう」と発言。これが批判されると、慌てて釈明した。

この岸田首相の答弁は、法務省が用意した文案にはなく、自らの言葉だったという。つまり本音が出たのだ。

そんな岸田首相を支えているのは「男子校」である母校・開成高校出身の政治家・官僚だ。

17年に発足した「永霞会(えいかかい)」という同窓組織には、開成出身の官僚や政治家約600人が参加。

岸田氏を首相にすることを目的に活動してきた。首相就任後も、岸田氏の有力な人脈となっている。

また、岸田政権の首相秘書官には、翔太郎氏に加えて主要省庁出身の官僚が7人いる。その8人全員が男性だ。

内閣広報官も男性の四方敬之氏が務めている。そんな男性ばかりの首相秘書官の一人だった荒井勝喜氏が、性的少数者に対する差別発言で更迭された。

荒井氏は同性婚などについて「秘書官室もみんな反対する」という趣旨の発言をしたという。

このエピソードは、荒井氏だけでなく、岸田首相本人や側近が同様の考えを持っていることを表しているように思えてならない。

岸田首相は早稲田大学法学部出身の記者から「後輩だ」とあいさつされた際、「私は開成高校なので」と返したという話もある。

その発言の是非はともかく、同窓組織「永霞会」から側近の面々に至るまで、岸田首相の周りが「女性活躍」の機運とは対照的に「男性一色」なのは事実だ。さらに言えば、岸田首相は首相就任後も岸田派(宏池会)の会長職を続けていた。

一方で、歴代首相の多くは首相就任に当たって派閥のトップから降り、派閥から離脱してきた。

岸田首相の対応は異例だった。菅前首相や石破茂元幹事長などが、現首相の「派閥主義」に批判を展開したこともある。

だが、岸田首相はこうした指摘も気にしているようには見えなかった。

要するに、岸田首相が「世襲」「男性社会」「学閥」を当たり前とする文化の中で生きてきたことがうかがえる。

繰り返しになるが、これらは2030年前から批判されてきた「古い価値観」である。

岸田首相は国のトップとして「国民の声を聞く」ことに注力しているつもりだったのかもしれないが、「古い価値観」から今一つ脱却しきれず、庶民からは違う世界の人のように映ったのだ。

さて、「なぜ岸田首相は嫌われるのか?」という問題意識への答えをまとめよう。

要するに、岸田首相には、地元を買収されて、側近を落選させられてしまう頼りなさ、首相の座の「禅譲」を狙って裏切られる弱さ、庶民と乖離した感覚がある

それでも、首相に権力は集中している。

だが、「増税メガネ」と揶揄されるように、財務省など真の権力者に支配されている 

そんな首相に対して、国民は無力だ。どうすることもできない。だから、イライラしてしまったということだ。


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