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廃業したパチンコ店が市民の交流拠点に?


京都福知山で見た地域活性化の大成功事例

吉村智樹

2024712

ああ、ここもさびれてるなぁ」。旅先で降りた駅の周辺が閑散としていて、胸が痛くなる経験がよくある。

名のある中核都市でさえ、かつては栄えていたのであろう大きな商店街がシャッター通り化し、人の往来はまばら。

若者の姿は見当たらず、からっ風だけが吹き抜ける。高齢化・少子化・人口流出など、さまざまな原因が街をさびれさせているのだ。街の衰えが問題視される昨今、閉業したパチンコ店を市民の交流拠点として蘇らせ、街の活性化に成功した稀有な例がある。しかも外観は「ほぼパチンコ店のまんま」だというから驚く。

 若者をはじめさまざまな世代を呼び寄せ、復活からわずか1年で7,800万円を売り上げる「確変」を巻き起こした旧パチンコ店を筆者は訪ねた。



京都府内3番目に大きな市でも人口減少は免れない現実

京都府の北部に位置する福知山。府内で3番目に大きな市だ。福知山は明智光秀が築いた城下町として知られる観光圏であり、JR山陰線や福知山線・WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)が乗り入れる、都心と日本海沿岸部をつなぐターミナルでもある。

そんな重要な都市でありながら、福知山も例に漏れず、住む人が減り続けている。総務省の調査によると2000年には83,120人だった人口が、2020年には77,306人。

一貫して減少し続けており、このままでは2040年には6万人台へ割り込むと予想されている。

データだけを見れば衰退の一途を辿っている福知山。

 しかし、駅を降りた筆者の印象は違った。福知山駅の北口から伸びる「福知山駅正面通り商店街」を歩き、時代がチェンジするような息吹を感じたのだ。

パチンコ台が無人販売所に変身

商店街を入ってすぐの場所に、どう見てもパチンコ店としか思えない建物がある。その名も「銀鈴(ぎんれい)ビル」。   

いかにも昭和なデザインの、射幸心をあおる懐かしい外観だ。銀弾が鈴鳴りに湧き出るめでたい名前で、オールドパチンコファンなら右手がうずいて仕方がないであろう。

ところが! 館内に足を踏み入れると、そこには未知なる光景が広がっていた。 かつてパチンコ台が設置されていた通称「シマ」は往時の面影を残したまま、米・野菜・フルーツ・ジビエ加工品など、ご当地産商品の無人販売所へと大胆に変身しているではないか。さらに、カウンターがあった場所ではカヌレが焼かれ、ほかにも、たこ焼き・ビューティサロン・ラーメン・コリアングルメ・エステ・スマホ販売とパソコン教室・おしゃれなレンタルスペースなどが明確な仕切りなく並んでいる。

しかも、内装はパチンコ店特有の大きな照明やキラキラとした意匠をそのまま残しているのだから驚異だ。

一見パチンコ店なのだが、実は……

パチンコ店の内装はそのままに、ホールが野菜などの無人販売所に変身 

パチンコ台があった場所は商品の陳列棚に 

こちらはパチンコ台があった場所が掲示板に

店内でたこ焼きやビールなどが味わえる


パチンコ店の意匠をそのまま残しているのは「パチンコ屋さんだった過去を否定したくなかったから」と語る福知山フロント株式会社の杉本潤明さん

廃パチンコ店をリノベーションした事例は全国にあるだろう。

しかし、柱、鏡張りの天井など、ここまで外観や室内装飾に手を加えないままのテナントミックスは極めて珍しい

「パチンコ店の要素を残しているのには、二つの大きな理由があります。

一つ目は、かつて福知山の人たちがここでパチンコを楽しんだのだという、熱気や活気を記録として残しておきたかったから。パチンコ屋さんだった過去を否定したくなかったんです。もう一つは、全面改装する予算がなかった(苦笑)」

福知山で生まれ育ち、銀鈴ビル復活に尽力した「福知山フロント株式会社」代表取締役、杉本潤明さんはそう語る。


さびれゆく商店街を救うべく蜂起した有志たち

福知山駅の北口側から伸びる福知山駅正面通り商店街は、300メートルにも及ぶ長大な商圏だ。ピーク時には90もの商店が並び活況を呈していた。

杉本潤明さん(以下、杉本)

「僕が小学生だった頃は、とてもにぎわっていた商店街だったんですよ。『さとう』と『ファミリー』という二つの大きな商業施設があり、二つの頭をとって『サーファー通り』と呼ばれていました。中学・高校生の遊び場でね、高校の先生がパチンコ店の見回りをしていたくらいです」

ところが新陳代謝が進まず、次第にシャッターが目立つようになったという。2015年には店舗33、空き店舗26にまで減少し、顧客数や売上は下降していった。

パチンコ店の復活に挑んだ福知山フロント株式会社とは、このように閑古鳥が鳴いていた福知山駅北側を活性化させるために、2015年に設立された民間出資のまちづくり会社だ。8名いるメンバーは皆、それぞれに別の職業に就いている。

福知山フロントは、福知山市から「街の活性化に取り組まないか」と持ちかけられたことをきっかけに発足した。

コンサルタントの広瀬今日子さんをはじめ同調者たちが空き店舗調査や生活実態調査を実施し、その結果をもとに「スピード感をもって街を活性化させるためには、商店街組織では限界がある。会社という体制づくりが不可欠だ」と、商店街振興組合の理事長や若手有志らで組織化したのである。

広瀬今日子さん(以下、広瀬)

「行政が手をさしのべてきたとき、当時の理事長と専務理事が、『これはラストチャンスや』とおっしゃったのが印象に残っています。

私は仕事で各地の商店街活性化事業をしているのですが、福知山の皆さんは『蘇りたい』という熱意がすごかった。歴史がある商店街って、提案しても大御所がなかなか首を縦に振らない場合が多いんです。けれども福知山はベテランが率先して街を変えようとしてくださっている。それで意気投合し、会社の設立に全力を傾けたんです」

マルシェ「ファーマーズテーブル 福知山駅北」を定期開催し、閑散としていた福知山駅前北口に活気を呼び戻した 

起ちあがった福知山フロントは、2015年から全力で新規誘致に取り組んだ。銀行の跡地をブリュワリーとして蘇らせたり、かわいいデザインケーキの店を招いたりと短期間に14店舗の誘致に成功している。

彼らの努力で福知山駅北側は「商売が成り立つエリア」として再び認知されはじめ、次第に元気を取り戻しつつあった。

さらに福知山フロントは京都北部の生産者・料理人とユーザーをつなぐマルシェ「Farmers Tables FUKUCHIYAMA EKIKITA(ファーマーズテーブル 福知山駅北)」の定期開催をスタート。行列ができる人気イベントに成長したのである。このように福知山フロントはエリアの価値を高め、若者への訴求の成果を上げてきたのだ。

ところが……状況は一変する。2020年、ここへきて商店街はパチンコ店「銀鈴会館」という巨星を失うこととなるのだ。


パチンコ店の閉店で「商店街の灯りが消えた」

3階建ての銀鈴ビルは駅から徒歩約2分、商店街の入り口という好立地にある。 

在りし日のパチンコ店「銀鈴会館」。3階建てのビル「銀鈴ビル」の1階に店舗を構えていた 

1957(昭和32)年に開業したパチンコ店「銀鈴会館」は銀鈴ビルの1階にあった、言わば商店街の顔だ(ビルの23階は昔、ゲームセンターや従業員寮などに使っていたようだ。ただ、『入ってみたら空っぽで、正確にはわからない』とのこと)。

そんな駅前のシンボルだったパチンコ店はオーナーの高齢化とコロナ禍のダメ押しで閉店してしまった。

福知山フロントのメンバーであり、商店街で「はんこカフェ 福知堂」を営む奥田友昭さんは、パチンコ店がなくなった当時の様子をこう振り返る。

奥田友昭さん(以下、奥田)

「商店街から『灯りが消えてしまった』と感じましたね。うちは1946(昭和21)年からこの商店街で店をしているんですが、駅前があんなに暗く感じた経験はなかったです。夜なんて暗いから怖がって誰も歩かない。パチンコ店がなくなって、改めて『これまで商店街を明るく照らしてくれていたんだな』と気がついたんです」

ときには風紀を乱すと忌み嫌われがちなパチンコ店だが、夜の保安に貢献する側面もあったとは。


「これは祭だ。やろう!」と復活プロジェクトがスタート

奥田さんのように「商店街の雰囲気が暗くなった」「光を失った」と感じる住民も多かったようだ。手を打たなければ活性化へ努力が水泡に帰する危険性もあった。

幸い、パチンコ店は杉本さんが代表取締役兼CEOをつとめるグループ会社の保有物件であった。

この縁から、福知山フロントは亡きパチンコ店を市民交流の場に蘇生させる「銀鈴ビルプロジェクト」を起ち上げる。

杉本「実は……内心は不安でした。『こんな古いパチンコビルを令和の時代にいまさらなんとかするなんて無理だろう』と思っていたんです。

とはいえ、僕は祭が大好きで、祭が街を再生する姿をこの目で見たい気持ちもありました。

そうして危機感と楽しさがマッチして、『これは祭だ。やろう!』と、企画化に乗り出したんです。勢いとノリがなかったら無理でしたね」 

廃業し、パチンコ台が回収された銀鈴会館。復活劇はここから始まった

そうして広瀬女史たちの奮闘により令和4年度、中小企業庁による「地域商業機能複合化推進事業(地域の持続的発展のための中小商業者等の機能活性化事業)」の補助金を獲得し、復活へリーチをかけたのである。

総事業費は借入金を含め約1億円となった。銀鈴ビルの復活は、商店街に銀の光を取り戻す運動でもあったのだ。


10か月で来客数23,000人、売上7,800万円を達成

2023429日、パチンコ店があった銀鈴ビルは遂に市民交流の拠点となる複合商業施設として復活した。

名前は変えず「銀鈴ビル」のまま、再び商店街に灯りをともしたのである。そのインパクトは強烈だったようだ。

2023429日に復活。長蛇の列ができた

それまでパチンコに縁がなかった客層がやってきた 

再び商店街に灯りがともり、さまざまな世代が交流する拠点として蘇った 


広瀬「同時に8店舗オープンは福知山市内ではビックリするほど珍しい出来事なんですよ」

奥田「行列がすごかったね。50メートルくらい人が並んでいました。商店街のおじさんたちも目を丸くして、『口だけじゃなくて、本当に実行してるのがすごいわ』と喜んでくださいましたね」

20244月、銀鈴ビルは復活を遂げてから無事に1年が経ち、来客数23,000人、売上7,800万円(20235月~20243月)を記録。名実ともに福知山の新名所となったのである。 

広瀬「これまで取り組んできた銀鈴ビルをはじめとする誘致事業によって、福知山駅周辺への出店希望者が増加し、建物所有者の意識もずいぶん柔軟になりました。それも大きな効果でしょうね」
奥田「次は地元の人だけではなく、京都市や大阪など他都市からも遊びに来てもらえる場所にしていきたいです」
杉本「そう、『はじめの1年がピークだった』じゃおもしろくないですしね。祭の熱を外へ、外へと伝えていきたい。ここからがスタートですよ」

 福知山は2024811日(日)、奥田さんをはじめとする若手有志たちの奮起により11年ぶりに花火大会が復活する。

 また今年11月には、福知山線舞鶴線開通120周年を記念し、マルシェ開催とあわせて商店街にミニSLを走らせる企画を考えているところだそうだ。

 いま、間違いなく福知山がアツい。フィーバーしているのだ。 

 あなたの街にも、復興のきっかけとなる物件が眠っているかもしれない。廃墟に再び命を吹き込み、街のドル箱的な存在に蘇生させてみてはいかがだろう。


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