2023.10.06
by 「マジ文アカデミー」
生成AIの進化に伴い「文章はAIに任せればいい」という話が出てくるのを不思議がるのは、朝日新聞の校閲センター長を長く務め、ライティングセミナーを主宰する前田さんです。前田さんは、AIが長けていることできないことをあげたうえで、文章作りをAIに任せたいと思ってしまう理由に「書き手のジレンマ」があると考えています。
生成AIと将棋
僕がAIを身近に感じるようになったのは、2012年の第1回将棋電王戦です。
そこでAIが米長邦雄永世棋聖に勝ったということに驚いたのです。それまでにも、将棋とAIの研究が続いていたことは知っていました。
でもそこで一気にAIが「人間を超えた」ということを実感できたのです。
それでも将棋の人気は衰えません。「将棋はAIに任せておけばいい」という話にはならないのです。
藤井聡太さんがAIを相手に将棋の研究をしているという話があります。あくまでもAIは、棋士が腕を上げるための道具なのです。
将棋はAI同士の戦いを見ていればいい、とはなりませんよね。
ü 無から生み出すことはできない
ところが不思議なことに、ChatGPTのような生成AIが出てきたら「文章を書く必要はなくなる」という話を耳にするようになりました。
確かに便利です。
会議録や、簡単な調べ物をまとめたりするには、とても便利です。それは、あるものをまとめる作業をしているだけです。
会議録なら、録音やテキストを生成AIに読み込ませなくてはなりません。
調べ物なら、ネット上にある情報(正確であるかどうかは別にして)を検索しまとめる作業です。
つまり、無から何かを生み出すことは不可能なのです。
たとえば、海の中を歩きたいという思いが、潜水用具をつくるキッカケになります。
宇宙はどうなっているのだろうという思いが、天文学を生み、宇宙ロケットを開発するのです。
AIにはそもそも海の中を歩きたいという思いや、宇宙はどうなっているのか、といった疑問を持つわけではありません。
AIは、そうした思いや疑問に突き動かされた人たちの研究成果や営みの軌跡を抽出して組み立てることに長けているのです。
ü AIが自主的に発想のタネを見つけてはくれない
僕たちの思いは生成AIの知るところではありません。わからないことについては、まとめようがありません。
ある情報をもとに文章を作成することと、文章に書くべき情報を生み出すこととは別です。
読み手に伝えるための、情報のもとになる考えや、そこにいたる発想・思いつきなどのタネは、様々な情報を得たうえでのものです。
こうやって新たに生み出された僕たちの発想のタネは、僕たち独自のものです。
AIはこうした文章の元になる発想のタネを主体的に生み出すことはできません。
AIが棋士を負かす事態になっても将棋はAIに任せればいいとは言いません。
ところが、文章についてはAIに任せればいいという発想が出てくるのは、何とも不思議なことだと思うのです。
ü 「書き手のジレンマ」から脱する
これは「書き手のジレンマ」とも言えるものが存在するからだと考えています。
「書き手のジレンマ」とは、「うまく書きたい」「へたな文章を書くと笑われる」という壁を自らつくりながらも、
「言いたいことがうまく表現できない」「うまく内容を伝えられない」といった現実に直面することです。
文章を書くときは誰しもが、「書き手ジレンマ」に陥りがちなのです。そこには共通したポイントがあります──
※) 2023年10月5日号より一部抜粋
※ メール・BLOG の転送厳禁です!! よろしくお願いします。
コメントをお書きください