DXをまったく理解していない日本の経産省
世界的エンジニアが違和感を抱いたワケ
2023.01.18
by 中島聡『週刊 Life is beautiful』
重要性が叫ばれはしているものの、そもそもその何たるかが完全に理解されているとは言い難いデジタル・トランスフォーメーション(DX)。それは国とて例外ではなく、中島聡さんも、経産省が行っている「DX認定制度」に違和感を抱いているといいます。
何かが根本的に間違っている経産省「DX認定制度」への違和感
先日、たまたま経産省が行っている「DX認定制度」のことを目にしたのですが、何かが根本的に間違っているように感じたので、その違和感について書きます。
デジタル・トランスフォーメーション(DX)とは、デジタル技術により社会やビジネスが大きな変革を起こすことを指します。単なる「既存のビジネスのデジタル技術を使った効率化(デジタル化)」と違って、ビジネスのやり方やビジネスモデルそのものが根本的に変わり、その業界で活躍する企業が大幅に入れ替わるのが特徴です。
良い例が、書籍の販売ビジネスです。従来は、書店を構え、そこに来た顧客に対して書籍を販売するのが一般的なビジネスでした。
品揃えは少ないけれども、駅前などの立地条件で勝負する小規模店舗と、豊富な品揃えを持つ大規模店舗が存在し、日本では紀伊國屋書店、米国では、BordersやBarnes & Nobleが大規模店舗を複数持ち、大きなビジネスをしていました。
その書籍販売ビジネスにDXを起こしたのが、Amazonです。
Amazonは、実店舗を持たず、オンラインで書籍を販売するというビジネスモデルにより、「どんな大規模店舗よりも品揃えが豊富」「家から一歩も出ずに書籍を購入できる」「他の人の評価を見ることができる」「店舗費用や人件費が不要なので、通常の書店より安く売ることが出来る(小売価格が固定されている日本は例外)」などの新たな付加価値を提供することにより、消費者にとっての「書籍の購入体験」を根本から革新することに成功したのです。
既存の大規模書店も、書籍のオンライン販売を始めるなどの対応策は施しましたが、実店舗を持たず、優秀なソフトウェアエンジニアを雇ってソフトウェアで勝負するAmazonにコストでも機能でも対抗することは出来ず、倒産、もしくはビジネスの縮小を強いられています。このケースがDXを理解するのに適しているのは、DXがいかに既存のビジネスにとって厳しいものかが明確な点です。
多くの不動産と従業員を抱えていたことがAmazonと戦う上で大きな足枷になったことに加え、実店舗に来てくれている顧客からの売り上げを失う訳にはいかず、既存のビジネスを抱えたまま、新しいビジネスモデル(書籍のオンライン販売)を取り入れたとしても全く不十分だったのです。
Amazonはさらに、利益の全てをソフトウェア・システム、ロジスティックス(流通、在庫管理など)、コンテンツへの投資へと回し、既存の書店からビジネスを奪っただけではなく、書籍以外の物品の小売・卸売・流通に根本的なまでの改革をもたらす、巨大な企業に成長することに成功したのです。
(中略)
国が行うべきことは、既存のビジネスの「デジタル化支援」ではなく、既存のビジネスにデジタル技術を活用した新しいビジネスでチャレンジするベンチャー企業の育成・支援でなければなりません。紀伊國屋書店やBordersが「DX認定」を取ったとしても、根本的に異なるビジネスモデルで攻めてくるAmazonと戦えるはずがないのです。
国が考えるべきは、既存のビジネスを守ることではなく、どうやったら Amazon/Uber/Netflixのような「次の時代を担う企業群」を日本から誕生させるか、なのです。
具体的な政策としては、
l 新規参入を妨げている規制の緩和
l 人材の流通を難しくしている解雇規制の緩和
l リスクマネーを増やす税制、金融政策
l ソフトウェア・エンジニアを育成する教育改革
l 貴重な理系の人材を上手に活用できていない、ITゼネコンの解体 などが考えられます。
(中略)
リスクマネーを増やす政策に関しては、徐々に良い方向に進んでいるように見えますが、ベンチャー・キャピタル業界で投資判断をする人たちが金融業界出身の「サラリーマン」ばかりである限りは、大胆な投資は難しいので、そこには発想の転換が必要です。日本政府と金融業界の距離の近さを考えれば仕方がないのかも知れませんが、「自ら事業をゼロから起こした経験のある人たち」がベンチャー投資を主導できる環境作りが必要であることを、政府も金融関係者も意識すべきです。
ソフトウェア・エンジニアの育成に関しては、日本特有の「高専」というシステムを最大限活用し、「理数系が得意な子供たちは、受験勉強などに無駄な労力を割かず、高専で英語とソフトウェアを徹底的に勉強して、即戦力として世の中に旅立つ」のが当たり前な世の中にする必要があると本気で考えています。
私自身がそうだったので、これは自信を持って言えることですが、15才から19才ぐらいの脳みそが柔らかい時期に彼らを受験勉強で苦しめるのは全くの無駄であり、彼らにはさざまな勉強の機会を与え、「得意なこと、夢中になれること」を見つけだして、それを「とことん極める」チャンスを与えるべきなのです。これからの社会の成長を担うのは ソフトウェアであることは明確であり、「プログラミングが三度の飯より好きな子供たち」をどれだけ輩出するかが、日本の将来にとって何よりも大切です。
しかし、いくら「ソフトウェア人材」を増やしたところで、彼らが日本特有の「ITゼネコン・ビジネス・モデル」に飲み込まれてしまう限りは、彼らの才能を開花させることはできないし、世界のソフトウェア市場で戦える人材も会社も育ちません。上流にある「プライムベンダー」に就職すると、仕様書だけ書いて実装は下請けに丸投げする「コードが書けない管理職エンジニア」になってしまうし、下流の「下請け企業」に就職してしまうと、人月工数で働く「IT土方」として過酷な労働環境に置かれてしまうからです。
この状況から脱却するには、「ITゼネコンの解体」も含めた痛みの伴う改革が必要だと私は考えています。
しかし、そんな政策は既存のIT業界からの猛反対に合うことは目に見えているので、この問題を真正面から捉えて、日本のIT業界やそこ深く結びついている官僚組織と徹底抗戦する覚悟のある政治家が現れない限りは難しいかも知れません。
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