巨大企業を再生させた背景にあったものとは……
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日立を救った「川村隆」は何がすごかったのか
勝見 明 : ジャーナリスト
2021年08月26日
古森重隆、稲盛和夫、川村隆。3人の名経営者にはある「共通点」もあるという──。
川村氏が上梓した『一俗六仙』を、企業経営者を数多く取材してきたジャーナリストの勝見明氏が読み解く。
* 巨大企業を救った3人の名経営者
日本を代表する巨大企業を危機から救った3人の名経営者に取材したことがある。
1人目は、今年6月、富士フイルムホールディングス(HD)会長・CEOを退任した古森重隆さんだ。
デジタル化の波により、写真事業の本業喪失という未曾有の危機に直面すると、自社のあり方を根本から改革し、新たな成長軌道に乗せた。
2人目は、京セラ創業者の稲盛和夫さん。
経営破綻した日本航空(JAL)の再建を託されると、無報酬で会長に就任し、着任の翌期には高収益企業へとよみがえらせた。
3人目が日立製作所の元会長、川村隆(*隆は旧字)さんだ。
日立は世界金融危機の直撃を受け、2009年3月期決算で、国内製造業では過去最悪の7873億円の最終赤字を計上する。
川村さんはグループ企業の会長職として本体の外に出ていたが、急きょ、呼び戻されて、69歳で会長兼社長に就任。
日立再生を陣頭指揮して、黒字化への道筋を切り開いた。
3人のそれぞれの印象を喩えで表すと次のようになる。
仕事を「戦場での戦い」にたとえる古森さんは、威圧されるほど目力の強い風貌から古武士を思わせた。
稲盛さんは、こちらが質問をするたびに、目を閉じて1~2分、沈思黙考してから語り始める。
そのさまはさながら禅僧。実際、稲盛さんは65歳のとき、臨済宗の寺院で得度していた。
そして、川村さん。目を細めながら柔和な表情で懇々と語るその語り口に、学者と向かい合っているような印象を覚えた。
川村さんは経済界でも無類の読書家で、東西の知に精通した教養人として知られた。その知性を感じ取ったからだろう。
三人三様だが、もっとも人間的な距離感の近さを感じたのが、川村さんだった。
* 名経営者が仙人の境地に至った
2020年に東京電力HD社外取締役会長を退任し、81歳ですべての肩書から解放された川村さんが今年6月、上梓したのが『一俗六仙』だ。1週間7日間のうち、俗世的仕事との関わりは1日程度にとどめ、あとの6日間は仙人のように、自分の本当にやりたいことをやる。
読書を主とし、睡眠、入浴、散歩、小唄、三味線、スキー、ゴルフ、そして、学問の最先端調べなど。
「晴耕雨読的」「林住期的暮らし」をしたいという願望を表した自身の造語が本のタイトルになった。
林住(りんじゅう)期とは、人の生涯を4つの段階に分けるヒンズー教における人生観の3段階目にあたる。
知的修練を行う学生(がくしょう)期、結婚し、子をつくり、家族を養いながら働く家住(かじゅう)期を経て、妻とともに森林に住み、静かに思索、瞑想し、清浄な生活を営むのが林住期だ。
林住期を終えると、聖地を巡礼するなど解脱の境地に入る遊行(ゆぎょう)期に至る。
本書は林住期に入り、経済界の重鎮から「無職」となり、仙人の境地に至った川村さんが、森のとある切り株に腰を下ろし、まわりに集(すだ)く後進たちに仕事論や人生論を語りかける、そんな趣のエッセー集だ。
例えば、「仕事と人生、どちらが大事か」と題した一文。
川村さんは、まず、古代中国の思想家、荘子の説を引く。
「(仕事の)本質は合理主義に立脚して、できるだけ無駄を省いていく中で社会への付加価値を作り出すものである。
一方、人生とは無駄もしながら、無駄の中に意義を見つけていくものだ」
この荘子説に対する川村説はこうだ。
「(仕事は)経済合理性を追求するものであることは論をまたない。しかし、それは社会性を持つ人間たちによってなされるものである以上、とくに苦境に立った場面で、社会の中での人間同士の助け合い、思いやりなどが存分に発揮されることがある」
「これは人生そのものだと感じ入ったことが何回もあった」
その一方で、仕事は「最後に他人に評価されて価値が決まるところがある」ので、得られるのはあくまでも「やりがい」「働きがい」であり、「真の生きがいは仕事の中にはない、人生の中にのみにある」とも記す。
自分が示したテーゼに対するアンチテーゼ。この自己矛盾は、長く仕事人生を送ってきた人間が「仕事と人生」について自省する難しさを物語るが、教養人の名経営者はこう記述して、落とし前をつけるのだ。
「仕事と人生の間には、わずかな領域かもしれないが、分かつべからざる共通領域も存在する。よってそういう経験を仕事の中で持つことができた幸せな企業人は、それをその後の人生の拡大に有効活用できる、と私は考えている」
仕事に多少とも自らの生き方を投影することができた「幸せな企業人」は「その後の人生の拡大」においても「真の生きがい」を見つけ出すことができる。
* ハイジャック事件に受けた影響
では、川村さんは企業人として、どのような生き方をしてきたのか。
支えたのは、本書でも随所で語られる「ザ・ラストマン」の精神だ。
「ラストマンとは何か。組織の中での総責任者、すなわち最終的意思決定をしてその実行に責任を持つ者という意味だ」。
日立の創業工場である日立工場に勤務して、30歳で課長に昇進したとき、工場長はそう訓示した。
「それから30年近く経ったある日、私は再びこの言葉を胸に刻むことになる」と、1999年7月23日に起きた全日空61便ハイジャック事件の顛末が語られる。
当時、本社副社長だった川村さんが乗った新千歳行きジャンボジェット便が羽田空港を出発直後、ハイジャックされ、刃物を持った犯人がコックピットに入り込み、機長を刺殺し、自分で操縦桿を握った。機体は地上200メートルまで急降下する。
そのとき、たまたま乗り合わせていた非番のパイロットがコックピットに突入して、犯人を取り押さえ、操縦桿を奪い返した。そのパイロットも、機長同様、命を落とす危険もあった。
それでも、「自分しかない」と責任を一身に背負い、517人の命を救った。傑出したラストマンだった。
この事件から10年を経て、川村さんはラストマンとして、同じように重い責任を追うことになる。
本体に呼び戻されて、再建を託されたとき、川村さんには取るべき施策がある程度見えていた。
急速に業績を回復させるため、「集中する事業」と「遠ざける事業」(撤退や縮小の対象にする事業)を選別する。
M&A(合併・買収)で事業を補強するには資金の余裕がない。
そこで、上場グループ企業を完全子会社化して取り込み、本体を増強する。
* 日立の新たなアイデンティティー
社長職とグループ全体を統括する会長職を兼務すると、川村さんが最初に注力したのは、すべての社員の気持ちをそろえることだった。それには自分たちのアイデンティティーを明確に打ち出す必要があった。
日立は創業者小平浪平が国産電気機械の量産を目指し、5馬力電動機を製作したところから出発した。
創業の原点は社会インフラの事業や技術にあり、日立の事業の基本は電力や鉄道や水事業などの社会インフラにある。
そこで、ITにより高度化された社会インフラを実現することを「社会イノベーション」と呼び、「総合電機」から「世界有数の社会イノベーション企業」になることを日立の新たなアイデンティティーとして掲げた。
なぜ、アイデンティティーを重視したのか。
筆者が2011年に川村さん(当時は社長職を中西宏明氏に譲り会長職)に取材した際、こう答えた
「再生には財政再建も急務であり、赤字を出していた自動車機器事業やデジタル家電事業を分社化するなど、構造改革の方針を決めていました。ただ、財政を再建するだけでは、社員たちは日立がどこへ向かっているのかわかりません。
実際、若手社員たちから届くメールは、現状への失望や諦めが読み取れました。
自分は何のために仕事をするのか。必要なのは未来の道筋を示すことでした。自分の仕事は社会イノベーションにつながり、下支えしている。その意識を共有し、コンセンサスを取ることが何より大切だと私は思ったのです」
「沈む巨艦 日立」の社長就任を打診されたとき、受諾の結論に至る伏線として、全日空機ハイジャック事件とザ・ラストマンの精神があったと本書で記す。
517人の命を背負い、コックピットに飛び込んだパイロットと同じように、川村さんもラストマンとして国内外のグループ全社員約32万人の命運を握る責任を感じ取ったのだろう。
*「心の経営」を支える豊かな教養
経営には「頭の経営」と「心の経営」があるように思う。
頭の経営では、再建に向け、論理的にも明快な戦略を打ち立て、株主と社会に向けて発信する。
と同時に、心の経営で社員たちと向き合い、共感し合う。
冒頭に紹介した古森さんも稲盛さんも、頭と心の経営で再建を成し遂げた。
古森さんは、新事業開拓と構造改革に着手するとともに、不安を抱く社員たちに向け、「富士フイルムを21世紀を通してリーディングカンパニーとして存続させる」と「第2の創業」を宣言。
「現状をトヨタに例えれば、自動車がなくなるようなものだ。しかし、この事態に真正面から対処しなければならない」と檄を飛ばして奮起を促した。
稲盛さんも、JALに小集団部門別採算制度の「アメーバ経営」を導入すると同時に、社員たちの働き方や考え方のベクトルをそろえるため、「JALフィロソフィー」を策定した。
川村さんの場合、心の経営を下支えしたものの1つに、豊かな教養による深い洞察があるのだろう。
本書でも、愛読書である3大幸福論、すなわち、ラッセル、ヒルティ、アランの『幸福論』をはじめ、ドストエフスキー文学、江戸末期の儒学者、佐藤一斎の『言志四録』、西行法師、徒然草、藤沢周平……等々、川村さんの知の遍歴が披瀝され、そこから人生の要諦をいかに読み取ったかが明かされる。
中でも面白かったのは、渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズの大ファンで、作品のストーリーを実に克明に覚えていることだ。本書で紹介される、とある場面。
寅さんはおいの満男に、「何をするために大学まで行くのか」と聞く。満男は答えられない。
寅さんは諭す。「あのなあ、道が二股に分かれていて、どちらが正しい道かわからない。そんなとき自分の頭で考えて、こちらに行くべき、と自分で決められるように、大学で学ぶのだ」。
「自分で意思決定ができ、人生の方向づけができる人間になることの大切さ」を、それができない代表格である寅さんが説教する。川村さんが印象深く記憶にとどめたのは、場面のおかしさもあるが、自身、道が二股に分かれていたとき、真正面から向き合い、自分で人生の方向づけをすることを課してきたからだろう。
*「ザ・ラストマン」のラストメッセージ
森のとある切り株に腰を下ろし、仕事論や人生論を説く川村さんの眼差しは、時に厳しさを帯び、現役世代へ諫言を呈する。
「欧米と比較すると受動的で真面目な正規社員ばかりが多くなっている」
「競争を望まず、痛みのある改革に取り組まず、事態好転と自然解決のみを待って様子見をするという不健全体質になってしまい、熱意なく硬直した職場が日本中に蔓延する体たらくにしてしまった」
「日本ではアクセルを踏む経営者が少数派であるところが問題であるのに、(日本の企業統治は)そこに焦点が集まらずに、それ以前の法令遵守が不備だというところでとどまって、不遵守にどういうブレーキをかけるか、という話ばかりになるというのは本当に情けないことだ」そして、経営者にラストマンとしての気概を求め、望まれる組織のあり方をこう指南する。
「仕事の場面においても小集団において最終意思決定者つまり『ザ・ラストマン』になる機会を少しずつ作り、小さなラストマンを職場に増やして次第に大きなラストマンになる人が出るよう工夫することなのだ」
「早く進め、早く間違えて、早く直す」一俗六仙の境地で語る人生訓とともに、「一俗」に凝縮された言葉がラストマンのラストメッセージとして、心に響く書だ。
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