既存のワクチンの利便性などを大幅に上回る「次世代ワクチン」の臨床試験が多くの途上国で始まろうとしている(写真:David Paul Morris/Bloomberg)
「効く、安い、手に入れやすい」で世界は一変
The New York Times
2021年04月12日
ブラジル、メキシコ、タイ、ベトナムで臨床試験(治験)が始まろうとしている新たな新型コロナウイルスワクチンは、世界的にパンデミックとの戦い方を変えることになるかもしれない。「NDV-HXP-S」と呼ばれる新ワクチンには、現行のワクチンより強力な抗体を生み出すと広く期待されている新たな分子設計が用いられている。
この分子設計を使ったワクチンが治験入りするのは初めてだ。これまでのワクチンに比べ、生産がはるかに容易になる可能性もある。
ファイザーやジョンソン・エンド・ジョンソンなどの現行ワクチンは入手の難しい原料を使って特別な工場で生産しなければならない。これに対し、この新ワクチンは鶏卵を使って大量生産できる。
世界中の工場で毎年何十億回分という量が生産されているインフルエンザワクチンと同じ手法が使えるのだ。
安全性と有効性が確認されれば、NDV-HXP-Sはインフルエンザワクチンのメーカーによって年間10億回分を上回る量産が可能となる。現在ワクチンの入手に苦労している低・中所得国にも、国内生産や国外から安価に調達する道が開けてくる。
* 衝撃的なゲームチェンジャー
「衝撃的だ。これは(状況を劇的に変える)ゲームチェンジャーになるだろう」。
デューク大学国際保健イノベーションセンターのアンドレア・テイラー副所長はそう話す。
だが、それにはまず治験によってNDV-HXP-Sが実際にヒトに対しても有効であることを実証しなくてはならない。
治験の第1段階は7月に完了する予定で、最終段階にはさらに何カ月という時間がかかる。
ただ、動物実験ではすでに期待できる結果が得られている。
「効き目はホームラン級だ」とNDV-HXP-Sの開発で調整役を担った非営利組織PATH(パス)のブルース・イニス氏は語る。「世界クラスのワクチンだと思う」。
新型コロナウイルスの場合、免疫システムにとって最適な標的はウイルスの表面を冠のように覆うタンパク質だ。
「スパイク」と呼ばれるそのタンパク質は細胞と融合し、ウイルスを細胞内に侵入させる役割を果たしている。
しかし、単にスパイクタンパク質を人間に注射すればよいという話にはならない。
なぜなら、スパイクタンパク質は形を変えることがあるからだ。
間違った形のスパイクタンパク質を使用すれば、免疫システムから間違った抗体を引き出すことになる。
こうした知見は、新型コロナのパンデミックが発生するだいぶ前から知られていた。
2015年には別種のコロナウイルスが現れ、中東呼吸器症候群(MERS)と呼ばれる危険な肺炎を引き起こしていた。
当時ダートマス大学ガイゼル医科大学院に所属していた構造生物学者のジェイソン・マクレラン氏は、同僚らとMERSのワクチン開発に乗り出した。
*「2P」という名の忘れられた発明
マクレラン氏らはスパイクタンパク質を標的に用いる考えだったが、それにはスパイクタンパク質が形を変えるという事実を考慮する必要があった。
スパイクタンパク質は細胞への融合プロセス中に、チューリップのような形状から投げ槍のような形状に変形するからだ。
科学者らはこれら2つの形状を、それぞれプレフュージョン(構造変化前の)構造、ポストフュージョン(構造変化後の)構造のスパイクと呼んでいる。プレフュージョン構造に対する抗体は強い効き目を持つが、ポストフュージョン構造に対する抗体ではウイルスを食い止めることができない。
マクレラン氏らはMERS用ワクチンを作るために標準的な技術を用いたが、結果として出来上がったのは、目的にそぐわないポストフュージョン構造のスパイクばかりだった。
その後、同氏らはチューリップのような形をしたプレフュージョン構造にタンパク質をとどめておく方法を見つけ出す。
スパイクタンパク質内にある1000を超す構成単位のうち、わずか2つをプロリンと呼ばれる合成物に変えるだけでよかった。
出来上がったスパイク(2つの新たなプロリン分子を持つことから「2P」と呼ばれる)は、狙いどおりにチューリップ状の姿を取る可能性がはるかに高くなった。
マクレラン氏らが2Pスパイクをマウスに投与すると、MERSコロナウイルスにかなり感染しにくくなることがわかった。
研究チームはこのように手を加えたスパイクで特許を申請したが、世界はこの発明にほとんど注意を払わなかった。
MERSは致死性こそ高かったものの、感染力は高くなく、さほど大きな脅威とはならなかったためだ。
MERSのヒト感染が初めて確認されてから現在までの死者数は累計で1000人にも満たない。
ところが、2019年末に新型のコロナウイルス「SARS-CoV-2」が現れ、世界に大きな被害を与え始める。
マクレラン氏らはすぐさま行動に移り、SARS-CoV-2に合わせた2Pスパイクを設計。
その数日後、モデルナがその情報を利用して新型コロナウイルス用のワクチン開発に着手した。
他社もすぐに続いた。アメリカ国内でこれまでに承認されているジョンソン・エンド・ジョンソン、モデルナ、ファイザー/ビオンテックの3つのワクチンはすべて2Pスパイクを利用したものだ。
*「2つ」から「6つ」でパワーアップ
マクレラン氏らは2Pスパイクをワクチンメーカーに引き渡すと、タンパク質の研究をさらに深掘りしていった。
2つのプロリンでワクチンが改善できたということは、プロリンの数を増やせば、さらなる改善が見込めるに違いない。
「理屈からいって、一段と優れたワクチンを生み出せるはずだった」と現在はテキサス大学オースティン校で准教授を務めているマクレラン氏は言う。
マクレラン氏は昨年3月、同じくテキサス大学に所属する2人の生物学者、イリヤ・フィンケルスタイン氏およびジェニファー・メイナード氏とチームを組み、3つのラボで100種類の新たなスパイクを生成。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団から資金提供を受けた3人はこれらを1つ1つ試験し、新たなスパイクの中から有望な変更を組み合わせることで、ついに目標にしていた単一のタンパク質をつくり出す。
そのタンパク質には、2Pスパイクの2つのプロリンに加え、さらに別のプロリンが4つ含まれていた。
プロリンの数が合計で6つになることから、マクレラン氏はこの新しいスパイクを「HexaPro(ヘキサプロ)」と名づけた(「ヘキサ」は「6」を意味する)。
ヘキサプロの構造は2Pよりもさらに安定しており、熱や有害な化学物質にも強いことがわかっている。
こうした頑丈な構造によってワクチンの効果が高まることをマクレラン氏は期待している。
同氏はまた、ヘキサプロベースのワクチンなら世界の広い地域で利用できるようになるとも考えている。
中でも状況の改善が強く求められている地域が低・中所得国だ。
第1世代のワクチンは、こうした地域にほんのわずかな量しか届いていない。
こうした目的にかなうようテキサス大学は、低・中所得国80カ国の企業と研究機関に対し、ロイヤルティーを支払うことなくヘキサプロを利用できるライセンス契約を用意した。
*鳥ウイルスが大量生産の決め手に
その一方で、PATHではイニス氏らが新型コロナワクチンの生産量を上げる方法を探していた。
彼らが求めていたのは、豊かではない国が自力で生産できるワクチンだった。
PATHのチームが考えていたのは、鶏卵を使って安くワクチンを作れないか、ということだ。
この方法なら、インフルエンザワクチンの工場で新型コロナワクチンを生産できるかもしれない。
ニューヨークでは、マウントサイナイ・アイカーン医科大学の研究者チームが、ニューカッスル病ウイルスという人体に無害な鳥ウイルスを使って、まさにそのようなワクチンを製造する方法を見つけ出していた。
ニューカッスル病ウイルスを使って、さまざまな病気に対するワクチンを生み出す実験は何年も前から進められていた。
例えばエボラ出血熱のワクチン開発でも、ニューカッスル病ウイルスの遺伝子セットにエボラの遺伝子を付け加える手法がとられている。
遺伝子操作したウイルスを鶏卵に挿入すると、そもそもが鳥ウイルスだから相性が良く、卵の中で急速に増殖した。
こうして科学者はエボラタンパク質で覆われたニューカッスル病ウイルスをつくることに成功した。
マウントサイナイの研究者チームは、エボラタンパク質の代わりに新型コロナのスパイクタンパク質を使って、これと同じことを試みていた。そこに入ってきたのが、マクレラン氏が新たにヘキサプロをつくり出したという情報だ。
チームはさっそくヘキサプロをニューカッスル病ウイルスに付け加えてみた。
するとウイルスにはスパイクタンパク質が密生し、その多くが望ましいプレフュージョン構造を有していた。
チームはこれを「NDV-HXP-S」と名づけた。
ニューカッスル病ウイルス(NDV)とヘキサプロスパイク(HXP-S)を組み合わせた名称だ。
*新興国が続々と治験入り
PATHは、日ごろ鶏卵でインフルエンザワクチンを製造しているベトナムの工場で数千回分のNDV-HXP-Sを生産するよう手配。同工場から試験用のワクチンがニューヨークに送られてきたのは昨年10月のことだ。
マウントサイナイの研究者チームは、NDV-HXP-Sがマウスとハムスターで強力な効き目を発揮することを確かめている。
「ただ、人体についてはまだ結論が出ていない」と研究を指揮するピーター・パレーゼ氏は言う。
このワクチンは、さらなるメリットももたらしてくれた。
インフルエンザワクチンは1つの卵で1~2回分の量しか生産できないのに対し、NDV-HXP-Sは5~10回分の生産が可能かもしれない。「これにはとても興奮している。ワクチンを安く生産できるようになるからだ」とパレーゼ氏。
次いでPATHは、マウントサイナイのチームとインフルエンザワクチンのメーカーを結びつけた。
そして3月15日、ベトナムのワクチン医学生物学研究所がNDV-HXP-Sの治験開始を発表。
その1週間後、タイの政府製薬機構がこれに続いた。
さらに3月26日には、ブラジルのブタンタン研究所がNDV-HXP-Sの独自治験で当局に許可申請を行う考えを明らかにした。
その一方で、マウントサイナイのチームはメキシコのワクチンメーカー、アビメックス社に点鼻スプレー形式のワクチンとしてライセンスを供与。
鼻腔内噴射でワクチンの効果が高まるかどうかを確認するために、アビメックス社が治験を行う予定になっている。
自力生産の可能性をもたらしてくれるNDV-HXP-Sに、これらの国々は光を見いだしているのだ。
そうした中でマクレラン氏は、ヘキサプロよりもさらに優れたバージョン3のスパイクづくりに取りかかっている。
「このプロセスに終わりはない」と彼は言う。「配列の数はほぼ無限だ」。
(執筆:Carl Zimmer記者)
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