渋沢栄一の子孫が説く「日本の未来をダメにする」3つの言葉とは
プロフィール:渋澤 健(しぶさわ・けん)
国際関係の財団法人から米国でMBAを得て金融業界へ転身。2001年に独立。2007年にコモンズ(株)を設立し、2008年にコモンズ投信会長に着任。日本の資本主義の父・渋沢栄一5代目子孫。
2020.11.24
菅首相はG20サミットの首脳会議の一環として開かれた会合で、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする脱炭素社会の実現を目指す考えを改めて強調しました。
大きな英断だと評価しつつも、大きな高い壁があると語るのは、世界の金融の舞台で活躍する渋澤健さん。
渋沢さんはその高い壁は意識だといい、それを打破するためには、日本でよく聞くある3つの言葉を使用禁止にするべきだと説きます。
*「できない」理由を議論することはムダな時間
前回のシブサワ・レターでは、令和時代に期待しているのは、昭和時代の成功体験である「メイド・イン・ジャパン」や平成時代の「メイド・バイ・ジャパン」だけではなく、持続可能で豊かな経済社会を世界各国と共創する「メイド・ウィズ・ジャパン」という考え方をお示ししました。多くの共感の反響をいただき、大変うれしく存じます。
もちろんメイド・ウィズ・ジャパンは壮大な目標であり、実現させるためには様々な課題を解決しなければなりません。
しかし、メイド・ウィズ・ジャパンが「できるか・できないか」という議論に余計な時間を費やすより、まずは「やりたい」という熱量を活用することが、日本の大事な時代の節目である現在において優先すべきことではないでしょうか。
少なくとも、考えるために時間をかけて行動を抑制するより、行動しながら考えた方が、結果的に我々の後世から評価される結果へとつながることでしょう。
多くの先進国、そして中国までが温暖化ガスのゼロ目標を定める中、日本が達成「できない」理由を並べて躊躇しているように見えることに、内心忸怩たる思いを抱いておりました。
しかし、菅政権はついに先日、「温暖化ガス2050年ゼロ」を宣言しました。
人類共通の目標に日本も手を挙げることは、メイド・ウィズ・ジャパンの実現へ一歩ずつ近づいているという意味でも、大変大きな英断だと思います。
「温暖化ガス2050年ゼロ」の達成には官民で年10兆円超の投資が必要、という「高い壁」が指摘されています。
他にも、温暖化ガスを排出する炭素エネルギーに日本は長年頼っていたため、経験値が乏しく、不確実なリスクを取れないという指摘もあるでしょう。
このような「できない」理由が多く立ちはだかり、日本は世界の中で周回遅れでした。
しかし、日本には一般家計のタンス預金(社会的にも経済的にも何も役立っていないお金)が50兆円、現預金が1,000兆円もあり、資金は「高い壁」ではありません。
技術でもない。「高い壁」は意識でありましょう。
「革新」という言葉はよく目にする言葉ですが、「前のものを改めて新しくする」という意識は、日本人にどれほど自分事として根付いているのでしょうか。
「高い壁」とは実は、前の仕事や状態を継続させようと真面目に働いている多くの日本人が集団的につくっているものではないでしょうか。
たった3つの言葉を以後絶対に使用禁止にすれば、日本の組織(官庁、企業、大学の全てを含む)は今後の10年で、かなり良い状態になっていると思います。
言い換えると、この3つの言葉を禁止するだけでメイド・ウィズ・ジャパンという成功体験の実現が近づく、とかなり高い確信を持っています。
1.「前例がない」 10年後の日本の状態を考えたときに、今から前例をつくることが不可欠ではないでしょうか。
2.「組織に通らない」 自分では判断できない、あるいは面倒なので、組織のせいにしてはいませんか。
本当に良いと思っているのであれば、組織に通すことが自分の仕事ではないでしょうか。
3.「誰が責任とるんだ」 それは上司や経営者でしょう。
この3つの言葉を自分の組織で聞いたこと「あるある」と思った方も多いと思います。
日本全国の多くの組織の様々な層で聞こえてくる言葉でありましょう。
ただ、温暖化ガスを2050年までゼロにするためには、あるいは、現状から大きく飛躍する目標を達成するためには、日本全国の産学官の組織でこの3つの言葉を排除しなければなりません。
なぜなら、これから多くの前例をつくらなければならず、またこれから多くの新しい取り組みを組織に通す必要があり、そして特に責任ある立場の人たちが、まさに責任を持って、これから「前のものを改めて新しく」しなければならないからです。
壮大な未来を描く可能性のある光を、いかに小さくても決して消させない。
「できない」という否定、理屈やネガティブ思考の高い壁を崩壊せよ、と日本全国から声が上げってほしいです。
メイド・ウィズ・ジャパンを実現させるために不可欠なのは、新しいお金の流れ、新しい技術の流れ、そして新しい意識の流れをつくる人材を育むエコシステムです。
現在、ケイパビリティが足らないのであれば、「やりたい」という掻き立った意欲を「できる」実績へと積み重ねるキャパシティー・ビルディングこそが、産学官で最も優先すべき事項ではないでしょうか。
先日、日本経済新聞が主催するアフリカ新興テックのセミナーに登壇しました。
オンラインで開催され、1150名の申し込があり、その内の200名ぐらいがアフリカから入りました。
質疑応答ではアフリカの起業家から、このような声が聞こえてきました。
「日本はたくさん質問してくれる。けど、いつ実際に動いてくれるんだ。」
世界がメイド・ウィズ・ジャパンを待っています。
スウェーデンの天才が語る
ポケットに入っているだけで集中力がそがれる「スマホ」真のヤバさ
アンデシュ・ハンセン : 精神科医
2020年12月08日
リモート会議に参加しながら、取引先にメールを書き、その間に画面上に届く社内SNSの新着通知にも目を配る……。
現代のビジネスパーソンにとって、同時に複数の業務を処理していくマルチタスクは仕事の生産性が高まる理想の働き方のように思える。
しかし、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏によれば、人間の脳は本来的に1つのことにしか集中することができず、マルチタスクに向いていない。 複数の作業を同時にこなしていると思っていても、実際にやっていることは作業の間を行ったり来たりしているだけだという。
ハンセン氏は、ノーベル賞選定で知られる名門カロリンスカ医科大学を卒業後、ストックホルム商科大学にて経営学修士(MBA)を取得したという異色の経歴の持ち主。脳科学的見地から、最新作『スマホ脳』では、スマホの存在が現代人の集中力を著しく損なっていることに警鐘を鳴らしている。
本稿では同書より、マルチタスクをめぐる論考を抜粋してご紹介する。
*複数のことを同時にやろうとしていないか
ここ数年、複数のことを同時にやろうとしている自分に気づいたことはないだろうか。
それはあなただけじゃない。私など、集中して映画を観るのも難しい。気づくとスマホに手を伸ばしているのだ。
新しいメールは来ていないだろうか??
映画のストーリーを追いながら、スマホをだらだらとスクロールしてしまう。
現代のデジタルライフでは、私たちは複数のことを同時にしようとしがちだ。
つまりマルチタスクだ。スタンフォード大学の研究者がこんな研究を行った。
マルチタスクが得意な人が、思考力を問われる課題にどれほど秀でているかを調べる研究だ。
300人近くの被験者を集めたが、その半数は勉強しながらネットサーフィンをしてもまったく問題ないと思っている。
残りの半数は、一時にひとつだけのことに取り組むのを好む人たちだ。
いくつものテストを行い被験者の集中力を測定したところ、マルチタスク派の方が、集中が苦手だという結果が出た。
それもかなり苦手だという。中でも、重要ではない情報を選別し、無視することができなかった。
つまり、何にでも気が散るようなのだ。
長いアルファベットの列を暗記するという実験でも、マルチタスク派の記憶力は残念な結果に終わった。
それでも、何か得意なことがあるはずだ──研究者たちはそう信じ、ある課題から別の課題にどんどん移っていく能力、つまりマルチタスク能力を測ってみることにした。だが、得意分野のはずのマルチタスクですら、マルチタスク派は成績が悪かった。
*マルチタスクができるのは人口の1―2%
マルチタスクが苦手な人ばかりではない。現実には、並行して複数の作業をできる人もいる。
ほんの一握りながら、「スーパーマルチタスカー」と呼ばれる人々がいるのだ。
このような特質をもつのは、人口の1~2%だと考えられている。つまりそれ以外の大多数の人の脳はそんなふうには働かない。
余談だが、基本的に女性のほうが男性よりもマルチタスクに長けているそうだ。
複数の作業を同時にやっているつもりで、実際にはこの作業からあの作業へと飛び回っているだけなら、確かに脳は効率よく働かない。
ボールを全部落としてしまう下手くそなジャグラーさながらだ。
マルチタスクは集中力が低下するだけではない。
作業記憶(ワーキングメモリ)にも同じ影響が及ぶ。作業記憶というのは、今頭にあることを留めておくための「知能の作業台」だ。
メモに書かれた番号に電話をかけるとしよう。
メモを見て数字を覚え、番号を押す。数字はあなたの作業記憶の中にあり、それは集中力と同様にかなり限定されている。
だから多くの人は、6ケタか7ケタくらいしか頭に留めておけない。
私など、そこまでも覚えられない。正しい電話番号やメールアドレスを何度も確認するはめになり、毎回イライラする。
ある実験では、モニターに次々と文を表示して、それを150人のティーンエイジャーに見せた。
その中にはマルチタスクに慣れた若者も含まれていた。
モニターに表示されたのは、きわめて正しい文(「朝食にチーズサンドを食べた」など)もあれば、めちゃくちゃな文(「朝食に靴ひもを一皿食べた」など)もある。どれが正しいかを答える課題だ。
そのくらいちょろいと思うかもしれないが、迅速に答えなければいけない。
文はわずか2秒しか表示されないのだ。加えて、スクリーンには気を散らすような情報が表示されていて、それも無視した上でだ。
クリアするには、作業記憶がしっかり機能していなければいけない。
果たして結果は??
マルチタスクに慣れた若者の方が、結果が悪かった。つまり、作業記憶が劣っていたのだ。
集中力も作業記憶も、私たちが複数の作業を同時にしようとすると悪影響を受けるようだ。
きっとあなたは今、じゃあパソコンの電源を切り、スマホはサイレントモードにしてポケットにしまえばいいやと思っただろう。
だが、そんなに単純な話ではない。
スマホには、人間の注意を引きつけるものすごい威力がある。その威力は、ポケットにしまうくらいでは抑えられないようなのだ。
*「スマホを無視すること」に処理能力を費やす
大学生500人の記憶力と集中力を調査すると、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットにしまった学生よりもよい結果が出た。
学生自身はスマホの存在に影響を受けているとは思ってもいないのに、結果が事実を物語っている。
ポケットに入っているだけで集中力が阻害されるのだ。
ポケットの中のスマホが持つデジタルな魔力を、脳は無意識のレベルで感知し、「スマホを無視すること」に知能の処理能力を使ってしまうようだ。
その結果、本来の集中力を発揮できなくなる。
よく考えてみると、それほどおかしなことではない。
ドーパミンが、何が大事で何に集中すべきかを脳に語りかけるのだから。
日に何百回とドーパミンを放出させるスマホ、あなたはそれが気になって仕方がない。
何かを無視するというのは、脳に働くことを強いる能動的な行為だ。
きっとあなたも気がついているだろう。
友達とお茶をするために、スマホを目の前のテーブルに置く。気が散らないように画面を下にするかもしれない。
それでもスマホを手に取りたい衝動が湧き、絶対にさわらないと覚悟を決めなければいけない。
驚くことでもない。
1日に何百回もドーパミンを少しずつ放出してくれる存在を無視するために、脳は知能の容量を割かなければいけないのだ。
スマホの魔力に抗うために脳が全力を尽くしていると、他の作業をするための容量が減る。
それほど集中力の要らない作業なら大きな問題にはならないだろう。
しかし本当に集中しなければならないときには問題が起きる。
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