【プロフィール】午堂 登紀雄
1971 年、岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。米国公認会計士。
大学卒業後、東京都内の会計事務所、大手流通企業を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。
本を読めば読むほど頭が悪くなる人
この世には、ファイナンシャル・インテリジェンスがないばかりに、高学歴でも貧乏な人は山ほどいます。
同様に、リーディング・インテリジェンスがないばかりに、博識なおバカさんも山ほどいます。
こういうことはないでしょうか。
- ノウハウを求めて買ったのに、具体的な方法が何一つ書いていないと不満に感じたことがある
- 新しい情報や新しい知識が書いてあるのを見つけるとうれしい
- 買って損したと感じる本が多い
- 本は結構読む方だが、特に年収も貯蓄も増えていない
本をたくさん読めば、成功できる。そう考えている人も多いと思いますし、実際、そういう論調の本もたくさんあります。
総論としては私も賛成の立場です。
しかし、現実には、本を読めば読むほどますます頭が悪くなる人もいるのです。
なぜかというと、本の内容に依存してしまい、自分の頭で考えなくなるからです。
たとえばデカルトは『方法序説』(岩波書店)の中で、「読書とは、著者の思考をなぞっているだけだ」とまで言います。
ここからくみ取ると、著者の主張に自分の経験や価値観をぶつけたり、重ねたり、想像したりしなければ、やはり自分の思考体系や行動体系は変わらないということではないでしょうか。
他人の思考をなぞるだけでは思考停止する
旅行を例に考えてみましょう。パックツアーを利用して旅行に行くと、何が起こるかというと、「思考停止」です。
イタリアに行けば、ガイドブックに載っているトレビの泉などを見て、「ああ、これがトレビの泉か」と確認し、記念写真を撮って帰ってくる。他人がなぞった「イタリア」を自分もなぞるだけ。
行く前に想像していたイタリアと、実際に行ってみたイタリアはまったく同じ、ただの「確認旅行」です。
観光旅行とはそんなもの、ということかもしれませんが、やはり決められたレールのない環境に身を置き、考え方を広げる旅行の方が、断然醍醐味があるのではないでしょうか。
たとえば、現地に行ったらレンタカーを借りて、地元のガソリンスタンドで給油すれば、隣で給油している現地の人が話しかけてきます。地元の人しか行かない料理屋に行けば、日本とは違う現地の生活が垣間見えるでしょう(私は値段をボッたくられましたが…苦笑)。
現地に溶け込んでみると、道路事情にしろ、食文化にしろ、生活環境にしろ、日本の日常と比較するので、普段は考えてもみなかったことを考えるきっかけになります。
「確認だけの読書」で得られるのは心地よさだけ
読書も気をつけなければ、確認読書になってしまいます。
自分が知っているところを再確認する、自分の考えと同じ主張を見つけて安心する、自分が思っていることを著者が代弁してくれて満足する。おおむね、こんなところが「良い本」として売れる傾向にあります。
確かにそんな本は小気味よく、安心して読むことができ、読後感も心地いい。
しかしそれだけでは、自分の思考の枠組みを広げることができません。せいぜい現状維持がやっと。
もちろん私も、有名な起業家や経営者が言っていることが、普段の自分の考えと同じだったら、やはりうれしくなります。
それに、日々の忙しさにまぎれて忘れている大事なことを、改めて気づかされるということも大切です。
でもやはり、自分の思考が動きだすのは、異次元の主張、自分の考えとは異なる主張、読者に挑んでくるような本と真正面からぶつかることだと思います。
「それは自分には合わない」などと自分を素通りさせるのではなく、「自分とは違う価値観」をどう受け止め消化するかが、確認読書と学べる読書とを分かつことになります。
それには読む側に、相応の度量や想像力、共感力が必要ではないでしょうか。
読書は最も学習効率の悪い方法?
読書は手軽な自己投資方法ですが、手軽であるゆえに、もっとも非効率的な学習方法であるとも言われています。
アメリカの視聴覚教育の専門家、エドガー・テールによれば、学んでから2週間後も覚えている割合は、「読んだこと」がわずか10%に過ぎず、本を読むだけというのは、もっとも効果が少ない学習方法という研究結果を発表しています。
反対に、最も学習効果が高い方法は、「動作を伴う発言」であり、2週間後にも覚えている割合は90%だそうです。
もちろんこれは記憶効率のみを計測したものであり、論理的思考力や発想力は測れませんので、一概に「読書がダメだ」というわけではないでしょう。
しかし、やはり読み方を工夫しなければ、本はたくさん読んでいるけれど…ということになってしまいかねないというメッセージにも聞こえます。
本に答えは書いていない
「絶対儲かる成功法則」なんてものは存在しませんが、なぜそういうタイトルの本が出るかというと、その方が売れるからです。
売れるなら、著者としても出版社としても、やはり売れるタイトルで出そうとします。
実際、読者に考えさせるような本ではなく、「これが必勝法」「この通りにやればうまくいく」という論調の本が売れる傾向にあります。
でも、そんなのは幻想です。
たとえば、ガイドブックや辞典や手引き書には、答えが書いてあります。
なぜ答えがあるか?知ってもお金にならないから。
お金にならない情報は簡単に入手できますが、お金になる情報は入手が難しい。
なぜかというと、お金になる情報は、リスク、恐怖、困難、という仮面をかぶって流通しているからです。
お金持ちになる答えがあれば、全員お金持ちになれます。
でも現実にお金持ちになれる人が少ないように、そんな答えはありません。
そもそも、本に答えは書いていないし、そういうものを期待しても、プロセスをとばして結果だけ求めようとしますから、結局うまくいかない。 本には答えではなく、たくさんのダイヤの原石、つまり ヒントが隠されているだけ。
だから、その原石を拾い上げ、磨いてあげなければならない。
つまり、自分の力で、リスク・恐怖・困難という仮面を剥がしてあげて、なおかつ繰り返し実践しなければならないのです。
答えが書いてある本は時に悪書となる
反対に、明快な答えを提示してくれている本は、時に悪書となります。
お金に関する本にもありがちなのですが、言い切ると主張が明快になるので、本としては売れる傾向があります。
「これに投資しろ」「これが値上がりする」などと言われると、読者は考えなくてよいので安心します。
そしてそういう人がカモになるのです。 実際には、年齢も収入も資金余力も運用技術も、人それぞれ異なるし、マーケットの状況も違うし、そもそも運用の目的も人によって異なる。だから、万人に対してそのアドバイスが適するとは限らない。
知的に鍛えられた人というのは、自分の思考を簡単に他人に預けたりはしません。
しかし 知的に弱い人は、著者の差し出した結論に安易に飛びつきます。
言い切られること、断定されることは、思考停止させるだけの力があるということに、私たちはもっと敏感になる必要があります。
「成功本」は著者のかつてのプロセスを理解しながら読む
もうひとつ。「これをすれば大丈夫」などという答えが書いてある本は、「プロセスをすっ飛ばしている」という致命的な欠陥があります。 たとえば「成功者の今」という結果は誰でも見えます。
しかし、その人が歩んできた数十年の苦労と努力のプロセスは、誰にも見えません。
すごい人や目標にしたい人がいたとして、今のその人がやっていることを真似したって、自分の役には立たない。
スキーでパラレルも満足にできない人が、V字ジャンプの飛行姿勢を練習しても意味がないのと同じです。
本当にやるべきことは、今のその成功者やっていることを真似るのではなく、成功者が成功する発展途上でやっていたことを真似ることのはずです。 今は情報量が多いですから、いろんな成功者の結果だけなら、いくらでも目にすることができます。
しかし、その人が成功するまでの努力のプロセスは、なかなか伺い知ることはできません。
だから、依存心が強い人、一発逆転願望がある人や想像力が欠如している人は、今の姿だけに注目し、結果や成果を急ぎます。
でも結局は、そういう人が情報商材や各種セミナーのカモになり、ただお金を失うだけになってしまいがちです。
そして、その著者のプロセスは、一冊の本で表現できるほど浅いものではありません。
だから、気に入った著者の本は全部読み、その人が成功途上に何をしてきたかを知る。
そうやって凡人から成功者になっていく過程の思考体系と行動体系を吸収することで、今の自分には何が足りなくて、これから何をすべきかがわかるのです。
時間があったら本など読まない
書き間違いではありません。私は、ある程度のまとまりのある時間がとれるとき、あるいは集中力のあるときには本は読みません。
せっかくの大切な時間を、読書なんかで無駄にしたくないと思うからです。
では何をしているかというと、「考える」か「アウトプットする」かのどちらかです。
なぜかというと、どんな素晴らしい知識を得たりアイデアがひらめいたりしても、それを行動に移さなければ1円にもならないからです。やはり最優先は「考える」「アウトプットする(実践する)」だからです。
「考える」というのは、たとえば私の場合は、「どうすればホームページへのアクセスが増えるか?」 「どうすれば集客できるか?」といった課題を解決する方法をひねり出すこと。 たとえばフリーダイヤルを導入し、ウェブサイトの改善(コンテンツ・SEO対策)を考える。 新しいセミナーの企画を考える、他社とコラボレーションのスキームを考える、などです。
アウトプットというのは、実際に企画書を作る、原稿やコラムを書く、コピーを書く、覚えた英語表現を話す、取引先を開拓すべく電話をかける、などです。
職業にもよりますが、自分のやるべきことが明確なら、本を読んでいる時間はそんなにないはずです。(リサーチは別として)
『世界一の庭師の仕事術』(WAVE出版)の著者である石原和幸さんは、20代は朝6時から夜中の1時まで花を売り、30代で30店舗に拡大させ、40代になってからも借金返済と「チェルシー・フラワーショー」というガーデニングの世界大会でゴールドメダルをとるために、一ヶ月に40件の庭をつくったそうです。 もちろん彼も、「庭をつくる参考文献として本をたくさん読んだ」という記述がありましたが、圧倒的に実践時間の割合が高いであろうことは想像に難くありません。
私も含めて、いったん自分を戒めたほうがよいのではと思っています。そう、「読書をするのはヒマ人のあかしでもある」と。
実践を繰り返して、身につけたものだけが富を生む
たとえば、あなたがバスケの新入部員だとします。初めてバスケットボールを持ち、シュートしてみました。そしたら入らなかった。
ここであなたは、「自分にはバスケのセンスはない。やめよう」と考えるでしょうか。
そんな人いないですよね。何度も練習すればうまくなるはず、と考えると思います。
ビジネスや投資も同じで、何度もやればうまくなる。でも、みんな途中であきらめるだけなのです。
『スラムダンク』(井上雄彦)にこういう場面が出てきます。
ルーキーの流川楓が、試合中に相手の反則でまぶたが腫れ、片目が開かなくなってしまいました。フリースローのチャンスですが、遠近感がつかめない。あわや外すか?と思われましたが、流川は目をつむってシュートを打ち、見事決めました。
その直後に流川が言ったのが次のセリフです。 「何百万本も打ってきたシュートだ。体が覚えてるさ」
結局、本を読んでお金に換えるには、何度も何度も繰り返して練習しなければならないのだということです。
(理論上は何百万本も打てないのですが、この際そんなことはどうでもよい)もちろん、読んだこと全てがすぐに実務に使えるかというと、そういうものばかりではないですし、思考の組み替え作業が行動として表出するには、多少の時間がかかるでしょう。
しかし、スポーツやお稽古の場合は何千回、何万回も練習するのに、ビジネスや投資の世界では 「1回やったけどダメだった」であきらめる人は山ほどいます。 読んだ内容を覚えていることが重要なのではない。読んだ内容を実践し、試行錯誤して修正し、繰り返して錬磨し、目をつむってでも繰り出せるほどの技として身について初めてお金に換えることができるのです。
読んで頭に入ったから、覚えているから賢くなった、というのは幻想です。
知っていることと実践することには、次元が違うと言ってもいいほどの隔たりがあります。
『エンゼルバンク』(三田紀房 講談社)というマンガにこんな場面が出てきます。
「成功の反対語って何かわかるか?」新人の社員はこう答えます。
「成功の反対って言ったら失敗でしょ?」
「違う。成功の反対は、挑戦しないことだ。成功とは失敗という基礎の上に成り立つものだから、成功と失敗は同義語だ」
成功した経営者の多くは「いやあ、たまたま運が良かっただけなんですよ」言うことがありますが、運を引き寄せるべく努力をしてきた人が大半です。 しかし、彼らの言う努力とは、読書ではないのです。
読書に逃げてはいけない
一つの技を学んだら、繰り返し繰り返し練習して、無意識でも反応できるくらい自分の血肉にすることです。
作家の宇野千代さんが「才能とは、絶え間なく続く繰り返しに耐えられること」と言っていた通り、何度も何度も練習する。
コミュニケーションや人脈術の本を読んだら、実際に人に会って使ってみる、もちろん最初からうまく出来る人の方がまれで、うまくいかないかもしれない。なら、シチュエーションや自分のスタイルに修正しながら、少しずつ自分の型をつくっていく。
読書をしても、セミナーに参加しても変わらない人というのは、新しい技を学んだらそれに満足し、練習しないで次の新しい技の学習に走るからです。 いわゆる勉強オタク、自己啓発オタクと呼ばれる人です。
本を読んでばかりだと練習時間がとれませんから、これでは技が身につくはずがありません。
そうなる理由も簡単です。練習するより学習する方がラクだからです。
考え実践するより、文字を追うだけの方がラクだからです。
本来やるべきことの「逃げ」の手段として読書をしている人が大多数なのです。
ただ字面を追うことはできるし、内容に感心したり共感したりすることはできます。
でも、自分に応用しようと考えることは面倒くさい。実践することはもっと面倒くさい。誰でもラクな方がいい。
だから読書に逃げる。読書して勉強しているフリをする。自分は努力していると思い込もうとする。
本を読んでも、それは本に書かれた文字を頭の中で認識しただけのこと。
「仕事の実力」は、仕事をすることによってしか、身につかないのです。
仕事術の本は、仕事を必死にやる人だけがモノにできる
以前読んだときには「たいしたことないな」と思っていた本が、数年後に読み返すと「すごく良い本だった」という経験はないでしょうか。 実務を経て成長することによって、さらりと書かれてあることが自分の経験と結びついて、より納得感や気づきにつながることがあります。
逆に、昔読んだときはすごく感激したけど、今読むとそれほどもでないなあと感じることもあると思います。
それはあなたが成長しているからです。
仕事術の本を読む人は向上心のある人だ、と一般的には思われていますが、私はちょっと異なる感想を持っています。
向上心というよりも、「ラクして能力が高まる期待をしている人」「今の状態から抜け出す方法を自分で考えるのが面倒な人」ではないか。 漠然とした不安感が、目の前の仕事ではなく、仕事術の本に向かわせるのでしょう。
確かに読めばなんとなく賢くなった気分にさせてくれます。
知っていることがあれば、著者と同じレベルに追いついた気がします。
「がんばっている自分」に酔うことができます。読書をしている間は不安感から逃れることができます。
でも読んでしばらくするとまた不安になるので、次々と仕事術の本を読んでいくことになります。
年齢の問題ではないかもしれませんが、実務経験が浅いと、表面的なテクニックしか学べず、その根底に流れる著者の哲学や思考体系を得ることが難しい。
そういう人たちが、「そんなことは知っている」と、次々とビジネス書をジプシーのように読み歩くのでしょう。
しかし、ヌルく仕事をしている人が、仕事術の本を読んでも、仕事ができるようにはならない。
自分がどう生きたいかという戦略を描いたら、あとは脇目もふらず邁進するだけ。
それが不安を払拭する最優先の方法だと思います。
「本を読んだけれど、なかなか行動できない。最初の一歩を踏み出すには、どうすればいいですか?」という質問を受けることがあります。
もし自転車に乗ったことがない子供から、「自転車に乗れるようになるにはどうすればいいの?」と聞かれたら、なんて答えますか?
「まず自転車にまたがってみようよ」とアドバイスするのではないでしょうか。
「そんなの、めんどうくさいよ」と子供が言ってきたとしたら?
「乗ってみないと乗れるようになるわけないだろ」と言うか、「それじゃ、自転車に乗るのはあきらめな」と言うかのどちらかでしょう。
最初の一歩を踏み出すには、とにかく足を前に出してみるしかありません。
読書も同じで、「成功したい」「儲けたい」と思って読むのなら、あとは「本に書いてあることをベースに実践してみる」しかない。
それをしないのなら、「成功するのも儲けるのもあきらめな」ということになります。
「株で儲けたい」と思って株の本を読んだら、口座を開設しとりあえず10万円入金して、本に書いてある手口を試してみる。
もし損したら、本に書いてある方法と何が違っていたのか、あるいは本には書かかれていない何か前提条件があったのではないかと考え、また試してみる。
「成功するには口ぐせが大事」と書いていたら、口ぐせリストを紙に書き出して、会社のパソコンの前に貼り付けておく。
そして、その言葉を口にするたびに「正」の字を書いて、何回言ったかを日々確認し、1ヶ月続けてみる。 ・・・
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