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「非まじめ」は、字面からも発音からも、不まじめと混同されやすい。だが、この両者はこのような理由によって、まるで次元が異なるのである。(中略) 現代の行きづまりをなんとか越えられないかという、あがきの結果が本書である。ぐうたらの不まじめでもなく、頭から湯気を立てるまじめでもなく、ピンチに悠々として、透徹した眼力と冷静な頭脳をもって解を求める姿勢、それが「非まじめ」である。 1977年11月 森 政弘
「無駄を拒否しない。無駄に対して大きな愛情をもつことである。すると不思議にも無駄は余裕に変身する。」
「まじめな人間が嫌うあいまいな事、いい加減な事というのは実は非常に高級な事である。」
「捨てれば得られる。得るばかりの発想というのは、人間の心を貪欲にする。精神の健康をもたらすには 捨てる発想もまた必要。 邪魔だから投げ捨てるのではなく、離れるべき時がくれば、さっと離れる・・・」
会社時代に「まじめ」も活かし、「不まじめ」も活かすという 『非まじめ』 という 森 政弘先生の教えに出逢い、それに傾倒して「世界初」のモノづくりに熱中しました。
会社を定年退職してから、3年間という短い期間でしたが 中小企業・ベンチャー企業の支援を通して頂いたご縁を、ネット情報を俯瞰(?)しつつ、『おがわの音♪』 の配信を通して、微力ながら少しでも貢献できれば・・・と思いつきました。 IT進化(深化)した今、「情報洪水」の中で一体何が正しいのか? を見据えながら、これからどのように歩を進めるのか? という時代に、『おがわの音♪』 が少しでも皆様の助力となれば幸いです。
2016年8月 OTM研究所 代表 小川 雅央
「非まじめ」のための『心の健康』
① 溌剌としていて、何事に対しても興味がわく。
しかし、集中力があり自分に欠けた物事に魅力を覚え、拒否しない。
② アイデアに富み、毒を薬に転換する姿勢が強い。
③ どんなことに遭遇しても頭にカッとくる事がない。アイデアと機知でユーモラスに打ち勝ってしまう。
④ デリケートな心情。感覚はアナログ的。それでいてひ弱でなく、気宇広大。
⑤ いやな事に悠然と立ち向かうことができる
⑥ 厳しいが、和やか
⑦ 自信があるが、謙虚
⑧ エゴがなく、相手の立場に立てる ・・・など
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OGAWA @OTM研究所 (火曜日, 10 7月 2018 18:36)
「ロボットコンテストの教育的意義」という森先生のお話の中から、以下のようなコメントを見つけました。
ご参考まで♪
危機意識をもつだけでは問題は解決しないので、何かをしなければなりません。でもどうしていいかわからない。すると、深層心理の中に危機感がどんどん蓄積していきます。やがて、その危機意識を夢に見るようになりました。夢に見るぐらいのときに、何か外から刺激が入ると心の中で熟成してきたものが爆発して、意識の上に出てきます。
禅哲学者の鈴木大拙先生が著された禅の本などを読みますと、禅僧が悟る瞬間とは、心の中で悩みに悩んで考え抜いて、坐禅し抜いた挙げ句、日常の作務の中で石ころに箒がぶつかって見性した、あるいは警策で叩かれた瞬間に悟ったという話が出てまいります。
それと同じパターンで、心の奥底で熟成され、深層心理の中にグッと収めていたものが、昼間は忘れているけれども夜には夢に出てくるといった状況でした。そして八月のある日、私は熱い風呂に入りました。面白いもので、風呂でいろいろとアイデアを出す人がいますが、私もいろいろなアイデアが出るのは、風呂に入っているときがいちばん多いのです。ポッと出ます。ただし、その前によく熟成させておく必要がありますよ。
「ロボコンの始まりは乾電池一つの競技から」⇒ どんなアイデアかというと、実にばかばかしいものですが、単一乾電池、つまり懐中電灯の乾電池一個だけのエネルギーで、人間を乗せて走らせることのできる車ができないかと思ったのです。乾電池でモーターを回して、回転数を歯車で落としていくと、回転数が二分の一になれば回転力は二倍になります。十分の一に落とせば十倍になり、千分の一に落とせば千倍になりますから、さらに回転数を落とせば、人間ひとりを乗せた車を動かせるぐらいの回転力は出るだろう。(中略) しかし一方で、そんなにたくさんの歯車や軸受を使ったら、摩擦か何かで動かなくなってしまうのではないかということも思いました。
結局、やってみなければわかりません。 ・・・このようなアイデアが発端となって、ロボコンが始まったというコトでした。